入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’24年「秋」(69)

2024年10月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 先日、遠目にはコナシの夥しい枝が日ごとにワイン色に見えてくると呟いたが、そのわけは言わなかった。実はあの木には今、小さな赤い実が無数に付いていて、きょうのような曇り空の天気では余計にそんな色に見えると思って眺めている。
 しかし、同じような大きさの黄色い実を付けた木もある。それでも全体は、やはりワイン色に見えるのだから実の役割があるにしても、そのせいだけではないのかも知れない。やはり「性悪女の木」にされてしまった夥しい数の厄介な枝が、そのように見せているのだろうか。

 昨日の午後も3時を過ぎて、台湾からの待ち人は小さなバイクに乗ってやってきた。20代、もしくはそれより上でも30代前半であったろう。日本語の能力は、意思を通じ合うのに殆ど問題がなく、それも丁寧な言葉使いであった。
 実に精力的な旅を続けていて、日本のこれまでに訪れた場所やこれからの予定を聞くと、こっちが疲れてしまうほどで、そのためによく事前学習もやってきたように思えた。
 
 日本の歴史に関心があるらしく、織田信長や真田幸村の名が出てくるうちは黙って聞き流していたが、穴山だ小山田の名が出てきたのには驚いた。本能寺の変に至っては羽柴秀吉の謀略ではないかと言い出し、そうでなければ毛利攻めを中止して、あれほど短期に引き返すことはできなかったはずだと言い出すほど、これにも驚く。

 翻って台湾について、人口1千200万人、島の面積はほぼ九州と同じだと、どれほどの日本人が知っているだろうか。
 日清戦争に敗れたため、台湾は日本に割譲され、統治され、日本語による教育が行われた。これくらいは知っている。しかし、調べなければ戦争勃発の年、1894年は出てこない。
 1920年代、日本が軍事力をもって中国大陸への野望を実現しようとしていた中、蒋介石の国民党と毛沢東率いる共産党軍とが共闘したり争ったりした。第2次世界大戦で日本が破れ、大陸から去ると、またしても内戦が起こり、破れた蒋介石や国民党軍がこの島に渡った。これは歴史の教科書にも書いてある。
 
 中国は台湾の独立を認めようとせず、台湾海峡を挟んで近年その関係はますますきな臭くなってきている。このことは誰でも知っている。案じてもいる。
 東日本大震災の際には最も多くの義援金を送ってくれたように親日的であり、台湾のIT企業TSMCなどがわが国への進出を図るなど、経済的な交流は盛んである、この程度でしかない。
 台湾にもきっとかの国の織田信長がいただろうし、真田幸村もいただろうが、そういう歴史を大方のわれわれは知らない。

 今朝は約束の時間より1時間早く起こされ、前日から行ってみたいと言われていた場所を案内した。その後、できたらもっと日本の紅葉も見たいというので、とっておきの場所に連れていった。きっと、彼の旅の思い出の1ページぐらいにはなっただろう。
 
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 本日はこの辺で。

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