入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

    ’16年「晩夏」 (4)

2016年08月08日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


  午前5時半、気温15度、快晴。この幾日かはおおむね晴天が続いている。ただ、いつもの夏の雰囲気はしない。というよりか、昨日も書いたが、夏が来ないまま次の季節に移ろうとしている。
 現在小屋に1団体、キャンプ場に2団体が来ている(そのうち2団体は今日まで)。この状態が今夏の最盛期となるのか、全員でで4,50人、それでもまだキャンプサイトは充分余裕がある。まあこのくらいが利用者にとっても、管理する側にとっても丁度よいところかも知れない。まだ2団体が来るが、それは月末と9月の始めのことで、個人利用者の予約はまだそれほどではない。お盆の休みがどうなるか。

 昨日は「伊那祭」が開催されたようだが、そういうこととはおよそ縁もなく暮らしている。伊那と言えば、富士見のトノから借りた嵐山光三郎著の「漂流怪人・きだみのる」によれば、きだは伊那の地が気に入って何度か足を運び、知己もそれなりにいたようだと知って、驚いた。
 「伊那はきだドンのお気に入りの地だった。土地の人が気さくで、ハイカラな趣味があったからだ。村に二、三日滞在するとそれがわかった。ー略ー本をよく読む土地柄で、きだドンの名を知っている人が多い。住人が純情で、親切で、自立して、変人奇人が揃っていた」と紹介している。この本には、地名だけでなく名前なら知っている人も登場している。
 最近は幕末から明治にかけて伊那谷を漂白した俳人・井上井月が関心を持たれ、映画にもなったし、彼に関連する著作も次々と出版されている。書を能くし、あの芥川龍之介は「入神にいたる」とまで褒めたようだ。30年近くこの地を放浪し、そしてこの地で没した。それが可能であったのも、伊那の地には、異能な文人を受け入れ、理解できるだけの人たちがたくさんいたということだろう。
 同じく幕末、竹田耕雲斎や藤田小四郎らが率いる水戸の天狗党が伊那谷を通過していった際も、彼らは厚遇された。この地は私塾が盛んで、そこで平田篤胤派の国学を学んだ人たちが多かったからだろう。

 ついお国自慢をしてしまった。A夫さん、望遠鏡は、かんとさんの助力を得て解決しました。お出掛けください。O沢さん、諏訪側情報には気を付けてください。御所平は、昔も今も、入笠には一カ所しかありません。また、教えていただいた平凡社の「長野県の地名」にも、誤りがありました。接見の上、話します。かんとさん、ありがとうございました。

 山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましてはカテゴリー別の「H28年度の営業案内」をご覧ください。
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