夜は長い。昼間と比べてずっと長い気がする。人を訪ねるのは気を遣うし、どこかへ出掛けるには酒を飲んでいるから車は使えない。となると、やはり夜の散歩は、おあつらえ向きだと言える。
他人に迷惑をかけるとも思えないし、健康にも精神にもいい。充実感もあるし、悪くない一人でできる夜遊びではないだろうか。
何も毎日する必要はないし、気が向いた時だけ歩けばいいのだと決めている。慣れてくれば、おのずと身体が求めてくるようにもなる。
20代の後半から30代、1回に10㌔、1か月で100㌔を目標に走る計画を立て、かなり何年も続けた。毎日だと、いろいろな付き合いができなくなるし、精神的にも負担になるから、この程度で良かったと思う。その後、月に100㌔の目標は外したが、40代、50代でも時々は走っていた。
素人考えながら、30代に走ったことが40代の体力維持に繋がり、40代の同じ努力が50代には貯金になったような気がする。
こうして考えてみると、苦労や疲れることはできるだけ避けて生きてきたつもりながら、意外とそうではなかったかも知れない(また消えた、どうもここら辺がおかしい)。
58歳で入笠の牧守になってから、最初のころは入牧頭数が200頭近かったから、放牧の仕方にもよるが、頭数確認のためには2万歩以上を歩いた。しかし、それをあまり苦にすることはなく、むしろ、そういう仕事、暮らしを喜んでいた。
それはいつも、山での体験や苦労と比較していたからで、またもしも山でなく、別のことに熱くなっていたなら、牧場で働こうなどとは考えもしなかっただろう。
ある時「趣味と実益になってよかったじゃないか」などと農協のさるエライ人に恩着せがましく言われたこともあった。あれを「実益」と言われた日には返答に窮したものだが、しかし聞き流した。
どうも安気気楽に生きようとしてかえって苦労を増やし、それだけでなく立場も下げ、収入も減らすという皮肉な結果になった。よくある話だ、別に後悔はしていない。
それよりむしろ、牧場や入笠には感謝している。あの風景、自然がもし身近になかったなら、果たして自分の人生で他に代替するものがあったかと思うほどにも。
かんとさん、了解。遅ればせながらFWさん、多謝。
本日はこの辺で