入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’23年「夏」(32)

2023年07月12日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今さら100㍍を何秒で走れるか試す気などないし、目の眩むような壁を神経にヤスリをかけるような思いで攀じってみたいとも思わない。
 それでも、何かをしようとした時、後期高齢者としての自覚が行動に抑制をかけるということはない。というか、そういうことを普段は殆ど意識すらせずに暮らしている。
 牧場へ行って用意した道具を忘れるということはしょっちゅうのことだが、これは腹が立つが仕方ないと半ば諦めている。同じく、人の名前が思い出せなかったり、立てた予定を失念したり、思い違いすることはある。
 つまり、頭の方は年齢にかこつけて不承ぶしょう受け入れるほかないが、肉体に関しては有難いことにあまり悲観することはない。これを、実際は安気な錯覚と反省するが、またすぐに忘れて、気分は若いころと同じようなつもりでいる。
 そういえば、肉体的に最も衰えを感じるのは股間に鎮座するわが一物で、これはすでにお役御免となってかなり久しい。
 
 ある雑誌からの受け売りの又受け売りになるが、著者がある研究者の言葉を紹介するに、われわれが通過してきた思春期に「安全に生きること、社会的ヒエラルキーのなかでうまくやること、性的欲望をきちんと表現すること、独り立ちすること」を学ぶことで、変化する社会に適応できるようになると述べている。
 自分の思春期に、以上4つのことを学んだかと訊かれたら、全く自信がない。そもそも「安全に生きること」、「ヒエラルキーのなかでうまくやる」ことなんかをしっかり学んでいたなら、牛守になっていただろうか。「性的欲望云々」もだが、確かに山の中で一人の暮らしをしているが、これを「独り立ち」と言えるのか。

 性的欲望というのは、観念的には死ぬまで存在すると思うが、そもそも「きちんと表現する」ことの意味も理解できないから、学んだ覚えはない。ただ、ときめき、不安、懊悩なら少しは体験したかも知れない。そして、その残滓、などと言ってはいけない、「残り火」なら今も小さな火を燃やし続けている。

 日毎にいやでも目にする広告からの感想だが、今や女性の便秘と、高齢男性の性的不具合(勃起不全)は現代の「二大宿痾」と言っても過言ではないような気がする。
 幾つになっても特定の女性がいて、ときめき、喜び、それを広言し、はしゃいでいるあの評論家には早く引退して欲しいが、それはともかく、思春期に「性的欲望をきちんと表現する」ことを会得したのだろうか、あの人が。

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     ’23年「夏」(31)

2023年07月11日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 ここから眺める風景から牛の姿が消えた。きょうの写真のような牛たちの姿は今までのようには見られなくなるだろう。
 今ごろあの牛たちは、囲いの外に思いもしなかった広い放牧地があることを知って、林の中の心地よい緑陰を選び、鹿と一緒になって草を食んでいるかも知れない。
 
 昨日の第4牧区への移動は予定通りで、格別問題もなく上手くいった。幾頭かは心配していた電気牧柵の洗礼を浴びたと思うが、アルミ線が切断されるようなことはなかった。
 その後のことがどうしても思い出せないが、多分また草刈りをしていて、その途中だったと思う。様子を見にいったら、全頭が囲いの中に戻ってしまっていた。それも、牛たちは横になって頭だけこっちに向け、まるで牧守が試みたことをからかいでもするかのような素振りだ。そのはなはだ横着で、ふてぶてしい態度、愚鈍な牛に人間が小馬鹿にされてるような絵だと言えよう。
 夕暮れ時に外から戻ってきたら、囲いの中に牛たちの姿はなかった。確認のため牧区内に入って探すと、小入笠の頭に続く山腹のほぼ中段に位置する放牧地にいた。しかも、有難いことに群はバラけてはいなかった。
 
 牛たちは、きょうはさらに行動範囲を拡大し、これから1ヶ月以上を過ごすことになる自分たちの置かれた環境が、どのようなものかをより多く知るだろう。
 一応、今後も囲いの中へは自由に戻れるようにし、給水や給塩はここで行うつもりでいる。「牧場へ行っても牛がいない」という人たちへのささやかな配慮のつもりだが、これから先のことは彼女たち次第となる。場合によっては、囲いの扉を閉じなければならないことがあるかも知れない。

「三大流星群のペルセウス座流星群まで一月ほどになりました。
あらためて入笠行きの日をお伝えします。
8月10日(木)からの4泊で14日(月)の明け方まで撮影予定です。
坪井さんは11日(金)からの2泊です。
今回、雨は連れて行かないのでご安心ください。」
 と星の狩人かんとさん。雨のこと、本当に信じてもよいのだろうか 、クク。

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     ’23年「夏」(30)

2023年07月10日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 激しく雨が降っている。そんな中、囲いの牛たちはそれをまったく意に介するふうも見せず、いつものように草を食んでいる。それが彼女たちにとっては生きることであり、仕事でもあり、子を産み、乳を出すのも本能のしからしめるところで、人間のようにそこに物語などは存在しないだろう。
 いや、そんなふうに単純に片付けてもよいものか、入牧したばかりのころは同じ農場、牧舎から来た牛たち同士で行動しようとするし、そのうちには群を主導する役を買う牛だって出てくる。
 言葉はなくもそれなりに意思の疎通が行われているし、彼女たちにも物語があると考えるべきだろう。

 来週になれば天気は良くなるという予報だ。そろそろ囲いと隣の第4牧区を隔てている扉を開けて、あの牛たちをもっと広い放牧地へ出してやることにする。
 そうなればしかし、今まで以上に注意や監視、そのための見回りが必要となってくる。第1牧区の和牛のようにいつも1群でいてくれれば世話は楽だが、恐らくホルスはバラけるだろう。
 それと、電気牧柵を知らない牛はその衝撃を体験して初めて、細いアルミ線やリボンワイヤーは危険で、触れてはいけないものだということを学習することになる。それも、複数回を要する牛もいて、時に電気柵を切断するのは鹿だけの仕業ではない。

 霧が流れている。この白い来訪者は、何かを暗示でもするかのようにゆっくりと語りかけ、また呆気なく去っていってしまう。その気の変わり方の早さ、時には意志を持ったかのように躍動し、時には無気力になって漂い、雨が止んだ今も同じことをずっと繰り返している。(7月9日記)
 
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     ’23年「夏」(29)

2023年07月08日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 曇天、つい先程まで雨混じりのかなり強い風が吹いて、樹々が大きく揺れていた。今は風は止んだようで静かだ。刈ったばかりの草を片付けに第3牧区へ行ったら、群を作らない鹿が勝手放題、放牧地ばかりか林の中にもいて驚いた。その中には雄鹿もいた。
 雄鹿の角はまだ成長過程ながらかなり伸びていて、その赤銅色をした不気味な角の旺盛な発達力を、中国人は古くから精力の象徴と見た。生え出した10数センチの袋角(フクロヅノ)を、彼の国においては「鹿茸(ロクジョウ)」と呼んで、精力剤として用いたようだ。
 
 こんな天気だから、予約の取り消しもあって来訪者はいない。雨はこの程度なら外の作業もできないわけではないから、作ったばかりの道標を持って出掛けようかと思案している。
 ただしそうなると欲が出てきて、あれもしたい、これもしたいということにもなりかねない。特に、雨で土が緩んでいる時に、山道の整備でやっておきたいことが幾つかある。
 誤解されては困るが、勤勉、仕事好きだと吹聴しているつもりはない。それに仕事が好きだとは間違えても言えない。今考えていることは、牧場の外であくまで自主判断でする作業だから、仕事とは言えないだろう。
 
 昨日は七夕、織姫と彦星は1年振りの逢瀬を愉しめただろうか。下から、子供たちの七夕祭りに使いたいから、わが家の黒竹を切ってもいいかと聞いてきた。もちろん了解した。
 確か昨年も言ったと思うが、旧暦の7月7日の日付をそのまま新暦に当てた現行の七夕まつりは、もっと美しい星空が期待できるころに変えた方がいいと呟いた記憶がある。新暦では大体8月の中旬に相当するようだが、その方が祭の趣旨にも合ってはいないか。
 まあ、地球が土砂降りでも、遥か天空での物語、織姫であること座のベガと彦星であるわし座のアルタイルは、白鳥座のデネブの羽に助けられて久々の出会いができたことだろう。めでたし。

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     ’23年「夏」(28)

2023年07月07日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 下界は「危険な暑さ」だという予報、注意喚起がきょうも出ている。友人らからも牧守としては切り離せない外の仕事を気遣ってか、「熱中症に気を付けろ」と有難い忠告が届く。
 午前5時を少し過ぎた今ここの気温は10度、そのためフリースを着ている。連日のように草刈りに精を出しているが、日中でも25度までは行かないと見ているから、都会では考えられない山の中の贅沢な夏だ。

 牛たちには1日置きに塩、フスマ、配合飼料を混ぜた餌を与えている。時間も大体決めていて、午前10頃がその目途だ。
 昨日は和牛を放牧している第1牧区へ上がっていくと、すでに牛たちはその近くで草を食んでいた。それで、塩場からは3乃至400㍍離れた御所平まで牛を迎えに行く必要がなくなった。
 呼ばなくても来るが、一応は大きな声を出す。すると、犬っころのように、大きな身体を揺さぶって走ってくる。入牧からまだ1ヶ月も経っていないのにすでに調教の効果があって、大半が立派な角を生やしていてそれなりの凄み、迫力はあるが、それでも扱いやすい。

 他方、乳牛は和牛のようなわけにはいかない。少し知恵が足りないかも知れないと思うくらいだ。呼べば、ノロノロと向かって来る日もあれば、「何しに来たんだ」というようなまるっきり愛想のない態度で、動こうともしない日もある。
 もう少しすれば、広い第4牧区に放牧することになるが、和牛のように群れで行動してくれるかどうか、バラけてしまえば頭数確認ばかりか結構手を焼くことも増えてくる。
 一番気になることは、第4牧区へ出した後、電気牧柵に怯えて牛たちが今以上に神経質になりはしないかということだ。今年は、隣の牧区と囲い罠を自由に出入りできるようにするつもりだが、歴代の牛が決まってその出入り口の扉を通るのを怖れ、かなり躊躇して見せる。
 囲いの外に出た途端に受けた電気牧柵からの衝撃と、その扉とが関係しているとでも思い違いをしているのだろうか。

 牛の生涯は非常に短い。放っておけば20年ぐらいの寿命はあると聞くが、人間の都合で繁殖用の牛以外は4乃至5年ぐらいだろうか。生きている間も、結果的には人間のためにひたすら食べて大きくなり、乳牛は子を産み乳を出し、肉牛は人間に好まれる肉を付け、そして終わる。
 この地上に生息する哺乳類の中で、牛はほぼ人間の数と同じくらいの頭数がいて、合わせておよそ70㌫を占め、シカ、クマ、キツネ、ライオン、ゾウ、クジラ、イルカなどの野生の哺乳類は、たったの4㌫でしかないのだとか。どうやらこれも、われわれ人間の責任らしい。
 
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