<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

エクスタシーを考える その1

2018年03月21日 09時42分33秒 | Weblog

エクスタシーに突入すると正義と不正義が双方溶けだしてしまう。エクスタシーだけになってしまう。大小長短高低、美醜貧富賢愚、もろもろの対立概念が対立もろとも瓦解する。ゼロになって溶けだして、双方とも海の藻屑と消えてしまう。

エクスタシーは、我見の消しゴムである。煩悩の火の火消し剤である。そしてそれを忘れる。これでいい。東西南北の尺度の壁がなくなるのである。「なくてよかったもの」を、わざわざ「なければならないもの」としてきた、それが崩れ去るのである。ゼロに戻るのである。「なくてもいい」という位置に戻ってきたら、そこに青空が青々として広がっているのだ。我見への囚われから解放されるのだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人体を見ているとつくづく有り難いなあと思います

2018年03月21日 09時10分52秒 | Weblog

中のものがはみ出していかないようにするためには、堰が必要です。こうしないと個が個として成り立ちません。皮膚がその役割を担っています。この内側にわたしが堰き止められています。わたしはこの堰の内側をわたしとしています。外側と区切る境界線です。皮膚呼吸もしますから、空気が通る穴、気孔が開いています。それ以外はぴったり閉じられています。閉じているので敵の侵入が防げます。皮膚は全体内容を防備守護します。汗を出して体温調節をするためには毛穴、汗の穴が開いていなければなりません。必要なときには開いて、必要でないときにはどの門も扉も閉じられています。胎内の60兆個の細胞の、細胞膜もそうしています。味方を引き入れるためには開き、敵の侵入を防ぐためにはしっかり閉じています。皮膚や膜があるために、内容物が外へ溢れ出して溶けたりしないですんでいます。人間の体内にも外側が設けられています。消化器官です。口から始まって肛門までは「外」になっています。区切られています。いわばそこが工場地帯です。この工場で、本質のわたしが活動をするのに必要な栄養分、エネルギーを摂取することが出来るようになっています。ここにも壁が設けられています。壁にはところどころ小さな小さな穴が通してあります。中と外がやりとりすることができる穴です。外なるエネルギーを吸入するための穴も人体の各所に設置されています。これはチャクラと呼ばれています。これで外を認識することができます。外とバランスを取りますから、これはいわば調和のチャクラです。渦を巻いたようにしています。植物も酸素と炭素を交互に出入させていますが、われわれ人体も必要なものを取り入れ、不要になったものを排出しています。よくよくバランスが取れています。バランスが崩れると病んでしまいます。そうならないように、いろんな装置が人体には仕掛けられています。人体を見ているとつくづく有り難いなあと思います。完全を期してあります。少々のことで駄々を捏ねたりしては行けないなあとも思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

種を蒔いて肥料を遣って育ててきた野菜類を捨ててしまうのは忍びないのです

2018年03月21日 08時55分16秒 | Weblog

おはようございます。小雨が降っています。小雨の中を畑に出て三種類の野菜類を抜いて来ました。みな春の雨に濡れて溌剌としています。外のベランダにある洗い場で、土のついた根株を切り落とし、これを丁寧に洗いました。そして濡れないところで、籠に列べて置きました。これは複数の人様に、今日と明日に、差し上げます。お願いしてもらってもらうという表現が正しいかも知れません。ジャンパーが濡れてしまいました。せっかく種を蒔いて肥料を施してやっと育ってきた野菜類を捨てるのは忍びないのです。ご苦労なことです。とても柔らかいので、きっとおいしく食べられるはずです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする