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お釈迦様だけがそうではありません。この世に生まれてきた者はすべてそうであります。仏陀と等しいのです。ですから、歓喜が爆発してもいいのです。赤ちゃんがお母さんの胎内から此の世に出現して来ておぎゃあと泣きます。あれを通訳するとお釈迦様の誕生宣言になるのでしょう。わたしはそう思います。みな生まれて来たことは嬉しいのです。
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お釈迦様だけがそうではありません。この世に生まれてきた者はすべてそうであります。仏陀と等しいのです。ですから、歓喜が爆発してもいいのです。赤ちゃんがお母さんの胎内から此の世に出現して来ておぎゃあと泣きます。あれを通訳するとお釈迦様の誕生宣言になるのでしょう。わたしはそう思います。みな生まれて来たことは嬉しいのです。
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「天上天下に宣言します。わたしはすべてが満ちている尊いこの世界に誕生をしました。そしてまたすべての存在がそうして此の世に誕生をしています」という輝かしいばかりの自己認識です。歓喜が爆発しています。
仏陀が「おれだけが尊い、お前たちは尊くない」という曲がった戯れ事を申されたのではありません。木も草もこの世に生まれてきた存在は、そういう不平等の目をしていません。大空も平等の目をしています。冷ややかな差別の目をしてはいません。徹底して「みな尊い」の一点張りです。
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此の世に生まれて来たわたしはすべてを満たしている尊い存在となった、という歓喜の宣言です。生まれて来るためのすべての条件を満たしてここへ生まれて来たのです。生きて行くすべての条件を満たしている此の地上に来て、こころ満たしてこれから暮らしていくのです。「この世はすべてをこよなく恵まれているところだ」と見ることができれば、目は明るいでしょう。
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今日はお釈迦様がお生まれになった日です。「天上天下唯我独尊」(てんじょう てんげ ゆいが どくそん)という輝かしい自己宣言があります。お釈迦様はお生まれになって七歩を歩まれ、片手を天空にかざして、こう宣言されたそうであります。或いは、後々の人たちの誇張法なのかもしれません。
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昨日、野球観戦の後、福岡市立博物館で「老いと図像学」という展示を見た。おりしも当館はジブリ展が大人気で、凄まじい人出だった。60分待ちの列が列んでいた。わたしは待たないですっと2階の小展示室へ。だあれもいなかった。老いをテーマにした日本の古い絵図が展示されていた。老いが人々の憧れだった頃の。「俱に白髪の生えるまで」が夫婦のスローガンだった頃の。
おはようございます。四月八日です、今日は。降誕会(ごうたんえ)の日です。灌仏会(かんぶつえ)ともいいます。仏教徒にとっては今日は特別に嬉しい日です。お釈迦様がお生まれになったのです。花で飾った花御堂(はなみどう)に、お生まれになったばかりのお姿をされた誕生仏に甘茶を濯ぎます、小さな柄杓(ひしゃく)で。これは香りのする五種の春の水です。美しく薫る春を頂いている証(あかし)とします。仏生会(ぶっしょうえ)、花祭りとも呼ばれます。日本では、606年にこの行事が中国から伝わって来ました。仏陀の誕生をよろこびお祝いします。わたしたちは誕生された仏陀から此の世の生き方を教わることができます。