<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

疑心暗鬼の暗鬼が姿を消したのだろう 山頭火の句を読む

2018年03月29日 14時22分08秒 | Weblog

山しづかなれば傘をぬぐ      種田山頭火

昭和9年、山頭火は其中庵(きちゅうあん)に落ち着く。理由は? 「山が静かだったから」だと俳句は答えている。放浪の旅を続けてきた。いささか疲れたこともあるだろう。山は故郷の山だろうか。旅の途中で見ていた山だろうか。どっちでもあるだろう。山を静かに見ていた山頭火が静かになり得たのだろう、きっと。たいていの山は静かにしているはずだ。お喋りは苦手かも知れない。少なくとも、火の山を除いては。多弁ではない。笠は頭に被るもの。日除けにもなるし、雨避けにもなる。被っていると人の目を真面(まとも)に受けなくてもすむ。己の暗さを見破られなくともすむ。彼は笠を脱いだ。脱いだと言うことは己の暗さが払拭されたからなのだろう。

故郷の山であれば、「お帰りなさい」「疲れたでしょう」「しばらく休みなさい」と小さく声を掛けてくれたかもしれない。それに従うだけの従順さが、山頭火に生まれて来ていたのだろう。

心中のもやもやが晴れたのだ、きっと。疑心暗鬼の暗鬼が姿を消したのだろう。彼は大地にどっかりと座り込んだ。そしてこの句を得た。涙が目尻から滴った。五月の若葉が山を埋め尽くしていた。

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白い蝶がもつれあうようにして飛んで行った ラスト

2018年03月29日 14時07分07秒 | Weblog

昨日は午前中、体の調子がややヘンだった。なんだか違和感があった。まず頭の左半分の頭頂部分が痛む。外皮ではなく、奥の方だ。何度かずきんとくる。連続はしていない。それから胸の心臓あたりがきゅんとなった。彼女が出来たというときの「胸きゅん」ではない。ああそろそろ終わりの時なのかなあ、その合図を知らせているのかなあなどと思った。今日は、朝起きてすぐに一度感じただけで、後は、その"変態”が遠離っている。

白い蝶はもつれあうようにして一体何処へ飛んで行ってしまったんだろう。今度は誰の視界を飛んでいるのだろう。神さまのそれかなあ。

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白い蝶がもつれあうようにして飛んで行った その5

2018年03月29日 14時01分37秒 | Weblog

夕方になったら外に出て行こう。昨日の夕方、可成りの時間、道路沿いに置いている細長いプランターとその周辺の草取りをしていた。こざっぱりした。その続きをしよう。まだ時間が残ったら、ズッキーニと丸鞘オクラの種を小さなポットに一粒づつ蒔いてみよう。昨日は日中23℃もあったから、もう霜が降ると言うこともあるまい。ズッキーニの種は長くて青い色のと丸くて黄色いのとがある。昨年は成長がよくて、よく食べた。人様にも差し上げるほど沢山収獲した。

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白い蝶がもつれあうようにして飛んで行った その4

2018年03月29日 13時55分32秒 | Weblog

客人が来られるその前は、前日スケッチしていたものを、クレヨン水彩で色塗りをした。椅子に座って、立ち机にスケッチ帳を広げて。ヨガ体操のラクダのポーズをスケッチしていた。体操する部屋をバックに書き加えた。鏡に映っている姿も書き加えた。これで絵らしくなった。ただし、体の曲線を前面に大きく据えたので、顔の表情がうやむやになっている。もういいや。一休み。

 

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白い蝶がもつれあうようにして飛んで行った その3

2018年03月29日 13時53分52秒 | Weblog

お昼は一人で食べた。昨日の夕食の残りの焼きビーフンが一皿残っていたので、これを食べた。電子レンジで温めてから食べたらいいと伝言があっていたが、面倒臭くてそのまま食べた。これは自分が昨夜食べ残していたもので、お皿に三分の一位だった。それでも十分だった。肉体労働はなんにもしていないのだから、腹も減ってはいない。

 

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白い蝶がもつれあうようにして飛んで行った その2

2018年03月29日 13時51分17秒 | Weblog

午前中は客人があった。お縁側の椅子に掛けて、お茶と金鍔のお菓子を出して、応対した。八朔蜜柑もお出ししたが、これには手がつかなかった。帰られるときに、数日前に黄金生姜の種芋を買って来ていたので、珍しいものだから、半分差し上げた。といっても僅か数個だが。

 

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白い蝶がもつれあうようにして飛んで行った その1

2018年03月29日 13時26分02秒 | Weblog

3月29日、木曜日、晴れ。風もない。牡丹が元気になった。花芽をつけているのが分かる。芍薬は庭のあちこちで大地を割って芽を伸ばしてきた。白い蝶が二匹もつれあうようにして飛んで行った。もう視界には入って来ない。視界を越えて何処へ行ったんだろう。

 

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もうお目覚めになられた方がおられるようだ

2018年03月28日 05時49分00秒 | Weblog

まもなく午前6時。夜明け方は冷えこむ。もうお目覚めになられた方がおられるようだ。わたしの書いたブログを読みに来てくださっている。

わたしはまたこれから目を閉じて眠ろうと思う。わたしの部屋には、古くなった仏像カレンダーの仏像写真が四周ぐるりと貼りつけられている。

それをいつも目にしている。眠るときにも、目覚めたときにも。道に目覚めた人は仏陀と呼ばれている。その仏陀に囲まれながら、わたしは惰眠をむさぼる。

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戒めを守れる人がいる 戒めを守れない人もいる

2018年03月28日 05時17分22秒 | Weblog

戒めを守れる人がいる。そうすることを受け入れておられるようで、無理を感じられない。わざとらしくは見えない。登り坂を登って、登り切って、下り坂を走っている自転車に清々しい風が吹き渡っている。そのように。無理がなくて、寧ろ爽やかである。

一方で、戒めをなかなか守れない人がいる。守ろうとはしているふうだが、脱輪する。倒れる。ぶざまな倒れ方をする。戒めを守る道から撤退を余儀なくされる。苦労が絶えない。彼は破戒僧と呼ばれる。もはや出家者とは言えない。山を下りるしかない。彼は在家のままの道を模索する。ここに救われる道はないかと。

戒めを守れる人がいる。戒めを守れない人がいる。そのどちらにも道はある。あらねばならない。欲望に恬淡としていられる人がいる。欲望に泥まみれになっている人もいる。そのどちらにも道はある。あらねばならない。正義を通せる人がいる。通せない人もいる。そのどちらにも道はある。あらねばならない。

仏道は排他をしない。万人が歩いて行く道だからだ。

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我は我 これで通すしかあるまい

2018年03月28日 04時18分41秒 | Weblog

なるほど。僕の書くブログにはニュース性はないなあ。時局に疎いなあ。fashionableなところもないなあ。娯楽性もないなあ。有名人が登場してこないよ。はっとする写真もついていない、華やかな絵もない。ビジュアルでない。非現代的。つまり時代遅れ。動かなくなって赤錆びしているトロッコ列車、ってとこ。うんうん。これじゃ、読んで楽しくはなりそうもないなあ。何処からどう見ても。笑っちゃった。

でもどうにもならないよ。たしかに、そういう機能性はないもの。

ウケるブログを書いている人はたくさんいるだろう。沢山沢山いるだろうから、わざわざ真似をすることもあるまい。真似もできないのなら、どうすべきか。我は我。老爺は老爺。おもねない。非サービス業のままでいる。これで通すしかあるまい。

夜中起きてそんなことを考えた。鬱屈はやめよう。うん。

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