山しづかなれば傘をぬぐ 種田山頭火
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昭和9年、山頭火は其中庵(きちゅうあん)に落ち着く。理由は? 「山が静かだったから」だと俳句は答えている。放浪の旅を続けてきた。いささか疲れたこともあるだろう。山は故郷の山だろうか。旅の途中で見ていた山だろうか。どっちでもあるだろう。山を静かに見ていた山頭火が静かになり得たのだろう、きっと。たいていの山は静かにしているはずだ。お喋りは苦手かも知れない。少なくとも、火の山を除いては。多弁ではない。笠は頭に被るもの。日除けにもなるし、雨避けにもなる。被っていると人の目を真面(まとも)に受けなくてもすむ。己の暗さを見破られなくともすむ。彼は笠を脱いだ。脱いだと言うことは己の暗さが払拭されたからなのだろう。
故郷の山であれば、「お帰りなさい」「疲れたでしょう」「しばらく休みなさい」と小さく声を掛けてくれたかもしれない。それに従うだけの従順さが、山頭火に生まれて来ていたのだろう。
心中のもやもやが晴れたのだ、きっと。疑心暗鬼の暗鬼が姿を消したのだろう。彼は大地にどっかりと座り込んだ。そしてこの句を得た。涙が目尻から滴った。五月の若葉が山を埋め尽くしていた。