■数年前までは、全く注目されなかったジブチ国ですが、隣国のソマリアで1991年以降中央政府が存在しなくなり、治安が不安定となったため、ソマリランドとプントランドが面するアデン湾に海賊行為が起きるようになりました。その背景には、無政府状態になったため、外国から密漁船が入ったり、産業廃棄物を運んできて投棄したりして、豊かな漁場が荒らされたため、漁民が自衛のために武装したのが発端だとも言われています。
↑10月6日給油の為ジブチ港に戻った我が国の護衛艦2隻。↑
その後、2005年からアデン湾の海賊の出没回数が急増したため、2008年に国連で海賊対策が決議され、日本を含め、世界各国から海賊対策支援のための艦船の派遣が行われ、現在でも続いています。
↑中央左が英国海軍のベイ型補助揚陸艦「ライムベイ」。10月14日撮影。ちなみに、この1週間前には中国海軍の揚陸艦「井岡山」がジブチに寄港していた。↑
■以前は日本にとって全くなじみの薄かったジブチですが、その地理的位置は非常に重要です。ジブチの面積は日本の四国くらいの面積で、人口も約80万人程度です。
しかし、紅海の入口という海運の要衝にあり、ジブチの沖合には年間2万隻の外航船が往来しています。フランスがここをいち早く拠点にしたのもそのためでした。
日本との関係でいえば、1986年に南イエメン(当時)の内乱により38名の在留邦人がジブチに無事逃げ延びました。更に1994年5月、イエメン内戦により在留邦人と邦人旅行者計75名が急遽対岸のジブチに逃れて、ジブチ経由で帰国したこともあります。
こうして、日本人をあたたかく保護してくれたジブチに対して、我が国が感謝の意を伝える為に、1995年中学校を日本の資金で建てました。ジブチ政府の教育大臣が来日して「日本の近代化はわが国の手本だ。ぜひ校名に日本の教育者の名をいただきたい」と大臣自らが諭吉の名を挙げ、FUKUZAWAと名付けられたその中学校では、現在3,000名を超える生徒が学び、ジブチ国内有数の優良校として知られています。
ほかにも、当会取材班が報じたように、2009年10月にはジブチと対岸のオボック及びタジュラを結ぶフェリーが日本政府の資金で建造されました。現在も大勢の住民の大切な足として利用されていることを確認できました。
↑10月12日、タジュラ港で、日本が供与したフェリーから降りてくる人々。犠牲祭が目前なのでとりわけ賑やかだ。↑
↑タジュラ港で、ジブチ行きフェリーに乗り込む人や車。バックで乗り込む車の荷台には犠牲祭で生贄となる羊たちが・・・。↑
↑10月13日にオボック港に着いたフェリー。↑
■このようにジブチと日本との友好関係は着実に続いているのですが、それに割り込むかのように、この2、3年のうちに、ご他聞に漏れずここジブチでも中国の進出が著しいことが分かります。
2009年当時でも、中国はサッカー場や政府庁舎の建設などを初めていましたが、今回の取材で、その影響範囲は実に広範囲にわたることが判明しました。
とりわけ、中国は港湾開発に関心を持っています。ジブチの首都には大きな港があり、後背地の内陸国エチオピアなどの玄関港として大量のコンテナ貨物を捌いています。以前はジブチ政府がドバイの資本に港の運営を委託していました。ところが最近になって、中国資本が24%の株式を取得し、ドバイ資本は10%に減ってしまいました。
もちろんジブチ政府が66%を保有していますが、中国は、ジブチ港に西側にあるドラレ新港のコンテナターミナルを拡張したり、あらたな港湾施設を建設したりする計画や、ソマリアとの国境に近い場所に、ラクダや羊をサウジアラビアなどに輸出するための新港を建設する計画を既に表明しています。また、ジブチ市内ではジブチ政府の外務省職員の研修施設と銘打って、建物を建てています。
↑ソマリヤ国境近くにある家畜検疫所の沖合に建設予定の家畜出荷を含む多目的港の建設計画を中国が推進中。↑
↑中国が建設中の外務省職員研修所。↑
さらに驚いたのは、ジブチ北部のイエメン国境に近い土漠に、中国が一大リゾート地を作るというプランが取りざたされていることです。ここは、紅海の入口でもっとも幅が狭く、そこを年間2万隻もの船舶が通過するシーレーンです。
↑オボックからコールアンガルの自宅まで便乗した女児。↑
↑久しぶりに戻る自宅と母親を目がけて嬉しくて思わず駆け出す女児。↑
↑コールアンガルの町?というか集落から北にラシアン岬の山が見える。中国はこの付近にリゾート建設を計画中。この辺はエリトリアとの国境に近くオマーン軍などが中立の立場で駐屯しており、一般人は立入り禁止なのだが・・・。↑
この喉元に、一大リゾート地を作るというのですから中国の魂胆はみえみえです。
■中国は、インド洋でも、スリランカやモルディブで港湾建設を無償で請け負う計画を政府に提示し、既にスリランカのハンバントゥータでは港湾建設に着手しています。これも、インド洋のシーレーンへの影響行使が目的で、有事の際は中国艦隊を停泊させるための布石だと見られます。
インド洋の覇権を確保したい中国は、天敵のインドと中の悪いパキスタンに擦りより、パキスタン西部のイランよりのバルチスタン州沿岸の港湾都市のグワーダルで現在行われている大規模な港湾の建設を支援しています。これも建前はパキスタン海軍の基地としても使用できるということですが、有事の場合には、中国海軍が寄港しても、パキスタンは拒否できないことになるでしょう。
現在、日本の自衛隊関係者ら500名余りをはじめ、海賊取締りのための海上保安庁関係者や、協力隊員など600名以上の日本人がジブチに滞在しているものと見られます。街中のレストランでは、自衛隊員の労作である日本語のメニューを備えた店が沢山ありますが、それ以上に中国の影響力はジブチにも浸透しつつあります。
↑ビバリーカフェの日本語メニューも成果品のひとつ。↑
尖閣諸島問題で、中国の本質を思い知らされた我々は、こうした中国の世界的な長期戦略についてもっともっと関心を抱くべきでは無いでしょうか。
↑高層?ビルが建ち始めているジブチ市街。↑
【ひらく会情報部・ジブチ取材班・この項終わり】
↑10月6日給油の為ジブチ港に戻った我が国の護衛艦2隻。↑
その後、2005年からアデン湾の海賊の出没回数が急増したため、2008年に国連で海賊対策が決議され、日本を含め、世界各国から海賊対策支援のための艦船の派遣が行われ、現在でも続いています。
↑中央左が英国海軍のベイ型補助揚陸艦「ライムベイ」。10月14日撮影。ちなみに、この1週間前には中国海軍の揚陸艦「井岡山」がジブチに寄港していた。↑
■以前は日本にとって全くなじみの薄かったジブチですが、その地理的位置は非常に重要です。ジブチの面積は日本の四国くらいの面積で、人口も約80万人程度です。
しかし、紅海の入口という海運の要衝にあり、ジブチの沖合には年間2万隻の外航船が往来しています。フランスがここをいち早く拠点にしたのもそのためでした。
日本との関係でいえば、1986年に南イエメン(当時)の内乱により38名の在留邦人がジブチに無事逃げ延びました。更に1994年5月、イエメン内戦により在留邦人と邦人旅行者計75名が急遽対岸のジブチに逃れて、ジブチ経由で帰国したこともあります。
こうして、日本人をあたたかく保護してくれたジブチに対して、我が国が感謝の意を伝える為に、1995年中学校を日本の資金で建てました。ジブチ政府の教育大臣が来日して「日本の近代化はわが国の手本だ。ぜひ校名に日本の教育者の名をいただきたい」と大臣自らが諭吉の名を挙げ、FUKUZAWAと名付けられたその中学校では、現在3,000名を超える生徒が学び、ジブチ国内有数の優良校として知られています。
ほかにも、当会取材班が報じたように、2009年10月にはジブチと対岸のオボック及びタジュラを結ぶフェリーが日本政府の資金で建造されました。現在も大勢の住民の大切な足として利用されていることを確認できました。
↑10月12日、タジュラ港で、日本が供与したフェリーから降りてくる人々。犠牲祭が目前なのでとりわけ賑やかだ。↑
↑タジュラ港で、ジブチ行きフェリーに乗り込む人や車。バックで乗り込む車の荷台には犠牲祭で生贄となる羊たちが・・・。↑
↑10月13日にオボック港に着いたフェリー。↑
■このようにジブチと日本との友好関係は着実に続いているのですが、それに割り込むかのように、この2、3年のうちに、ご他聞に漏れずここジブチでも中国の進出が著しいことが分かります。
2009年当時でも、中国はサッカー場や政府庁舎の建設などを初めていましたが、今回の取材で、その影響範囲は実に広範囲にわたることが判明しました。
とりわけ、中国は港湾開発に関心を持っています。ジブチの首都には大きな港があり、後背地の内陸国エチオピアなどの玄関港として大量のコンテナ貨物を捌いています。以前はジブチ政府がドバイの資本に港の運営を委託していました。ところが最近になって、中国資本が24%の株式を取得し、ドバイ資本は10%に減ってしまいました。
もちろんジブチ政府が66%を保有していますが、中国は、ジブチ港に西側にあるドラレ新港のコンテナターミナルを拡張したり、あらたな港湾施設を建設したりする計画や、ソマリアとの国境に近い場所に、ラクダや羊をサウジアラビアなどに輸出するための新港を建設する計画を既に表明しています。また、ジブチ市内ではジブチ政府の外務省職員の研修施設と銘打って、建物を建てています。
↑ソマリヤ国境近くにある家畜検疫所の沖合に建設予定の家畜出荷を含む多目的港の建設計画を中国が推進中。↑
↑中国が建設中の外務省職員研修所。↑
さらに驚いたのは、ジブチ北部のイエメン国境に近い土漠に、中国が一大リゾート地を作るというプランが取りざたされていることです。ここは、紅海の入口でもっとも幅が狭く、そこを年間2万隻もの船舶が通過するシーレーンです。
↑オボックからコールアンガルの自宅まで便乗した女児。↑
↑久しぶりに戻る自宅と母親を目がけて嬉しくて思わず駆け出す女児。↑
↑コールアンガルの町?というか集落から北にラシアン岬の山が見える。中国はこの付近にリゾート建設を計画中。この辺はエリトリアとの国境に近くオマーン軍などが中立の立場で駐屯しており、一般人は立入り禁止なのだが・・・。↑
この喉元に、一大リゾート地を作るというのですから中国の魂胆はみえみえです。
■中国は、インド洋でも、スリランカやモルディブで港湾建設を無償で請け負う計画を政府に提示し、既にスリランカのハンバントゥータでは港湾建設に着手しています。これも、インド洋のシーレーンへの影響行使が目的で、有事の際は中国艦隊を停泊させるための布石だと見られます。
インド洋の覇権を確保したい中国は、天敵のインドと中の悪いパキスタンに擦りより、パキスタン西部のイランよりのバルチスタン州沿岸の港湾都市のグワーダルで現在行われている大規模な港湾の建設を支援しています。これも建前はパキスタン海軍の基地としても使用できるということですが、有事の場合には、中国海軍が寄港しても、パキスタンは拒否できないことになるでしょう。
現在、日本の自衛隊関係者ら500名余りをはじめ、海賊取締りのための海上保安庁関係者や、協力隊員など600名以上の日本人がジブチに滞在しているものと見られます。街中のレストランでは、自衛隊員の労作である日本語のメニューを備えた店が沢山ありますが、それ以上に中国の影響力はジブチにも浸透しつつあります。
↑ビバリーカフェの日本語メニューも成果品のひとつ。↑
尖閣諸島問題で、中国の本質を思い知らされた我々は、こうした中国の世界的な長期戦略についてもっともっと関心を抱くべきでは無いでしょうか。
↑高層?ビルが建ち始めているジブチ市街。↑
【ひらく会情報部・ジブチ取材班・この項終わり】