かっ飛ばせ借金 打ち勝て倒産

 
 ‐オグチ経営研究所‐

 ☆★自分でできる経営の再生と整理★☆

  

超安くさせた自宅買い戻し

2007-06-28 | 事例
東京の近郊と云っても、電車で2時間、更にバスで30分、市と言っても不便な所です。
一つの工場が、建てられて何も稼動しないうちに倒産しました。
面倒を全て見るからと約束した納入先が倒産してしまったからです。
特殊なものを作るためにわざわざ工場を新築したのです。
勿論補助も約束して有りましたが、其れも反故となり、全ての責任が圧し掛かってきました。

工場は全て銀行からの借入でした。
銀行は社長の義父の自宅・それに工場の敷地・更に隣接した駐車場予定地まで担保に取りました。
社長のほか、義父と妻とが保証人です。
銀行は、そのほかに納入先との契約を信頼して居ました。

義父は農家の倅、全て相続で手に入れた不動産です。
相続人は妻である母と妹が居りましたが、母は既に他界し、妹は嫁いで居たために何も相続しておりません。

義父も妻を早くから亡くし、一人娘と二人暮らしでした。
結婚したら何処かに行くと思っていた一人娘が、婿と二人でこの土地で仕事をやると聞いて、嬉しかったのでしょう。
工場を建てると聞いて直ぐ土地を提供し、自分の不動産を全部担保に出しことも
保証人になることも承諾したのです。

立派な工場が出来ましたが見るのも癪に触ります。
やるべき仕事がなくなってしまいました。
直ぐにあちこち動きましたが電機関係の仕事は、殆ど東南アジアに移っています。
実績のある会社ならばともかく、若造がこれから始める工場に対して発注する企業はありません。

仕事はなく、銀行の返済は始まりました。蓄えから返済です。しかし直ぐに底を付きます。全くの無駄なことをして、何の仕事もせずに会社は破綻しました。
債権者は借り入れた銀行だけです。

銀行は直ちに不動産の売却を図りました。しかし、市とは云うものの、私鉄駅からも離れた北関東の調整地域、しかも固定資産税は宅地や雑種地ですが登記地目は何れも畑のままです。
其の上に、なぜか昭和50年に建てた自宅は建物登記がして有りません。
しかし、固定資産税は義父が払っています。
そんな不動産が売れるはずがありません。
そうでなくても、この辺りで、任売でも競売でも不動産の売買例は最近聞いた事がありません。

社長は必死です。何も云わずに保証人になり担保提供してくれた義父のため、其れをお願いした妻のためにも、最低でも自宅だけは守ってやりたいです。
しかし、蓄えも返済に回して買い戻し資金など全然ありません。

著名なコンサルタントに相談しました。
其処の提案は不動産を売却して金額を浮かし、それで自宅を買い戻すことでした。
自分のところで上手くやってくれるからと云われて、其処と専任売却契約をしました。
しかし其の契約期間3ヶ月の間、引き合いは1件も起こらず、逆に社長の方に買い手は無いかと聞く有様です。

此処で債権は担保付でサービサーに譲渡されてしまったのです。
サービサーは直ちに不動産の処分を要求します。任売出見込みがない時は直ちに競売に入ると強気です。

自宅だけは買い戻させてくれと交渉すると、固定資産税の評価額の1800万ならば良いですの答えです。どうやっても300万しか揃いません。
今後どう言う様にやっていけばよいか解かりません。
経営コンサルタントの事務所は高い費用を要求するだけで何も良い方法を教えてはくれません。

思い余って居る時に、一人の男を紹介されました。
「あのコンサルタントで出来なかったことが私にできる筈がありませんよ。」
と言いながらそれでも現場まで来て物件を見、事情を聞いたり謄本などを調べました。
「やりようは無いですね。でもこうなったら駄目元と思ってお金が掛からないことならば何でもやってみましょう。
私だったらこんな様に動きますよ。」
男が教えてくれたように動きました。

320万で自宅の買戻しの話が決まったのです。
其の経緯は明日詳しく述べようと思います。






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