かっ飛ばせ借金 打ち勝て倒産

 
 ‐オグチ経営研究所‐

 ☆★自分でできる経営の再生と整理★☆

  

再生に成功したのか

2007-06-12 | 事例
中小企業が銀行に返済できなくなった時、事業を継続の方法として、一番の早い道は第2会社を作り、其処に業務を移行し、今までの得意先と取引をする事です。

しかし、次の様な場合も又多く有ります。
手形を発行せずに居たために、行き詰っても不渡りは出しません。其れがために仕入先とは上手く話がつきました。けれど銀行返済が出来ないために、銀行借入は不良債権となります。しかし銀行債権は其のうちにサービサーに譲渡されるために、サービサーと上手く和解さえすれば、世間にも解からずに、今の会社を続行することが出来ます。
そこで立ち直れば、文字通りの会社債権が出来ます。

K企画はゲームソフトのメーカーです。
自社開発のソフトも作っては居りますが、大手2社の下請け作業が会社の基盤です。
何年か前に漸く手に入れた取引口座です。

会社は借入金の返済が出来ず、銀行の不良債権となりました。6行あります。
しかし此れもやがて順次サービサーに譲渡されました。

この時に、「後のサービサーとの交渉が大変だから、思い切って今の会社を廃業して第2会社を起したら。」と忠告してくれた人が居ります。
しかし3名の役員の誰もが反対でした。
理由は「折角手に入れた大手企業の取引口座が使えなくなる恐れが多い。そうなれば経営は難しい。そのくらいならば今の会社のまま進むのが良いだろう。」
K企画をそのまま続行することで意見は一致です。

この辺りでは、K企画のままでは、銀行取引は何処もしてくれません。
それに家賃もろくに払っていませんから、立ち退きを要求されています。
なんと思ってのか、今までの近郊都市の事務所を東京のド真ん中の中央区に越したのです。
打ち合わせ等に都合よく、便利で、総合の費用は反って安上がりだと云うのです。
サービサーがまだ本格的に動いていない頃です。

やがてサービサーの回収が始まりました。
サービサーに譲渡されると2-3%で和解が出来ると聞いていましたが、どうしてどうして何処も強硬です。
金が無いと幾ら言っても、殆どのところは決算書すら見たいとは云いません。
事務所に来て、「こんな事務所に越せると云う事は、払えると云うことでもあるでしょう。」と嫌味を言うくらいです。

当初K企業は徹底的に払いませんでした。サービサーは諦めると聞いていたからです。
殆ど「請求に関する訴状」を起してきました。此れも本に書いてある通りに徹底して無視です。

しかし会社近く銀行が差押えられました。中に預金のある銀行も有ります。
銀行差押で、困ったのは給料振込でした。
以後給料日には現金を持って郊外の銀行まで出かけて振込みです。
中には銀行差押で空振りした銀行が、財産開示を要求してきたところもあります。

其れまで安泰であった売掛金が差押えに合ったのは、もう何処も差押えはやりつくした後です。
古い決算書から見当をつけたのでしょう。最大の得意先です。会社は潰れます。
さすがに白旗を掲げ、差押をしたサービサーと交渉です。

その結果、差押えの30%をとられ、かつ今後毎月30万を払うといおうことで和解をしました。
ここへ来て漸くサービサーとの交渉は難しいとはっきり解かりました。
第2会社でやれといった人が、中央区に越すのを猛反対しましたが理由が実感となって判りました。
ただ意外に大手企業の担当者が同情的で、取引上余り不利にならず、その点では
ほっとしました。
と云って又違うサービサーに差押えられたのでは今度こそ取引中止です。

何のかんのでサービサーに払っているお金は結構多額です。
何回もの差押で弱くなった居たのです。
しかし1軒もはっきり片のついたところは有りません。
逆にひどくなっていく状態のところも有ります。

極最近サービサーから再譲渡されたサービサーは2400万の残債務に対して1200万を要求して一歩も譲りません。
この例のように、他のサービサーも長引くに連れ、簡単になって行くどころか反ってきつくなって行きそうです。

業種は違いますが、同じ頃不良債権となったところが第2会社で出発し直し、当初は口座を抹消されましたが、今では新会社で口座を貰い、昔以上にやって居るところも有ります、

会社を続かせても、残債の処理、そのための差し押さえなどを繰り返して居れば
再建など出来っこありません。
ましてや其の会社が今まで以上に良いところに引っ越したのではサービサーも払えるところと判断するのも尤もです。

それにしても、今までの会社を続行するところは、差押えは絶えずあるものと意識して居ないとなりません。






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ずっこけた民事再生

2007-06-11 | 事例
彼は「今のままならば破産となる。」と思っていました。
民事再生が認可されてまだ1年を過ぎておりません。
300万以上の債権者には96%もカットして頂いたのですが、早くも2回目の配当が払えないのです。
民事再生の場合、途中で計画通りに行かない企業は破産を命じられると聞いておりました。

民事再生申請の時に債権者間で揉めました。
リース会社とその他の会社です。
半年に1度の返済にしてくれとの債務者の要望に対し、一般債権者は同意しましたがリース業者だけは反対です。どうしても3ヶ月に1度の返済にして欲しいと譲りません。結局リース業者は3ヶ月に1度。他の債権者は6ヶ月に1度の返済で再生法は決定しました。

もう10ケ月を経ました。
何とかリース業者には3回、他の債権者には1回払っては来ましたが、次回はどうしても払えません。

彼には一つの計算がありました。
今の和食のファミリーレストランが駄目になったのは、一つは地の理が悪い事、
もう一つは飲酒運転の禁止強化です。特に彼の地方で、この場所ならば車で無いと帰宅できません。
彼はそこで自然食中心のレストランの変えようと思っていたのです。
健康を売り物にすれば酒との縁は切れる。そこで少し変わった料理を出せば、人はわざわざ食べに来てくれる筈だ。どうせ皆さん、車で来るだろうから交通の便など関係ない筈だ。

そちらに鞍替えしよう。借金を引きずってやると難しいから、友達の名前で新会社でやろう。保健所は今の内からてを打てば間に合うが、場所は暫くはこの場所を利用するより他無い。競売を伸ばさないと駄目だ。
要は今の会社を利用して出来るだけ其処で商売を続け、其の間にお金を貯めたり
新店のアンテナショップとして利用しようと云う算段です。

民事再生法が駄目になっても破産が決定するまでは時間が掛かるだろう。それから競売ならば売れるまでに時間が掛かる。どう考えても後1年半は此処で家賃は唯で商売が出来るな。

そんな彼に入れ知恵した人が居ります。
「予定通り払えなければ思い切って半分にしてもらったら。大丈夫。幾ら民事再生法と言っても債務者が再建しないことにはどうしようも無いから皆賛成するよ。
先ずお宅の依頼した弁護士に相談して弁護士に動いて貰おうよ。今から急に払わないより、
それでトントン以上ならば伸ばした方が得でしょう。」
そんなこと出来るかと思って恐る恐る弁護士に相談したところが簡単に出来たのです。

ここでもリースと一般債権者で一致しませんでした。リースは反対したのです。しかし今回は弁護士に押し切られた形です。

この事は更に彼を大胆にしました。彼は「なあーんだ。民事再生と云ってもリスケも出来るのではないか。次回は30%の支払いで皆に通告をしても大丈夫だな。」と一人で決めてしまったのです。

3ヶ月過ぎました。リース業者にはこの前と同じく50%の支払いです。
その間自然食の方のメニュウは大して進んで居りません。
山菜と魚を組み合わせる予定でしたが特に魚はどうしても輸入物に頼らないと
非常に割高になります。大都市近郊の町では少し無理です。

結局何もしないうちに一般債権者の3回目の支払いがやってきました。

しかし弁護士は彼の要望を聞いて首を縦に振りません。「難しい、そして物事には限度があるが。」とつぶやく弁護士に、失敗しても良いですからと無理に頼んだのです。

さすが今度は大揉めに揉めました。一番の反対者は銀行でした。
「責任者の態度を見ていると再生をやろうという気構えが欠けて居ります。ただ返済を少なくすれば良いと考えて居ると見受けられる。再生は無理と考えます。当行は担保処分に踏み切らせて頂きます。」
協議は裁判所で開かれました。

裁判官は簡単でした。一通り訊いた後でもう一度彼に質問しました。
「債権者の言っている通り50%の減額では駄目ですか。」
「出来ません。」と彼が答えると
「では債務者を破産に命じます。」
と宣告です。こんなことは想定だにしておりません。
破産を命じるからにはもう少し討議や質問があると思っていたのです。
会社に持ち帰り検討する時間が与えられると思って居たのです。
全体の流れの状況では、今回は50%払ってもと思っていたのが、この簡単な一言で終わってしまったのです。

でもいいや。競売で立ち退くまで、少しは時間が有るからこの店も使えるよ。
破産は今日言われたのだから明日からの収入は全て俺のもの。何処にも返済などしなくて良いから少しは残るだろう。

こんな彼のもくろみは次の日に簡単に崩れました。

社長と進退を共にしますと誓っていた従業員が全員辞めてしまったのです。
唯でさえ頭数は少なく一人欠けても響きます。
3-4名の退社を機に3日後には全員が居なくなってしまったのです。

民事再生が失敗して破産を命じられても必ず生き残れる筈でしたが世間はそんなに
甘くありませんでした。






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出来ない仕組みの会社再生

2007-06-10 | 事例
Dさんは何とかして今の会社を挽回したいのです。
何とかなりそうだと感じています。

銀行借入荷関しては、保証協会は既に代位弁済になり、プロパーはサービサーに譲渡されました。
其れまでに担保の処分がありましたが、これは全て任意売却で済みました。

此れでこの2社が上手く解決すれば会社は完全に立ち直ります。
Dさんの心つもりは、保証協会は極小額を毎月払っていく。サービサーは和解にすることです。
この二つが上手く出来れば、もう借金の返済の心配はなくなります。勿論差押えに怯える事も有りません。
会社は間違いなく回っていきます。

莫大名借金が消える。普通だったら考えられません。サービサーと云うものが出来たからこそ、企業も立ち直れるのだ。
誰が考えてくれたか、良い事を考えてくれたものだ。

サービサーから連絡がありました。
早いところ話をつけて清々したいです。
そんなDさんにサービサーの言葉は厳しかったのです。

最初の一声は「全額払ってくれ」と云う言葉です。しかし「こんなことを云っても無理でしょうね。」と自らの言葉を取り消し、相手が切り出したのは、半分は払ってくれと云うのです。
世間ではサービサーに譲渡されると2-3%の返済で勘弁してもらえると云っています。余りに言い分が違っています。
ただ唖然とするDさんに対して、「次回までに検討してきてください。」と云うサービサーの言葉がのしかかりました。

Dさんは親戚から200万くらいを借りてそれで和解をしようと考えて居たのです。
それ以上はとても無理な話です。
次回の話し合いは、1億8000万の残債務に対してサービサーは6000万を譲らず、
Dさんは親戚から借りれる限度額200万の答えです。
サービサーは桁が違うのではありませんかと云って、少しお冠の様子です。

会社の決算書や当人の所得証明など、現状では払える力が無いと云う書類を持って行きましたが、サービサーは見ようともしません。
挙句の果てに、サービサーの口から出ている文句は次のようなことです。
「お宅は何てたって、会社が生きて居るのではありませんか。此れがもう無くなっ て居るならば、我々も考えなければなりませんが、生きて居ると云う事は、長く さえ掛ければ、払えると云うことです。頭金はお宅が云う300万でよいですから 後を5年分割でお願いします。」
「冗談じゃないですよ。5年分割ならば、ほぼ1ヶ月100万です。今の世の中、健全 な会社でも、毎月100万を稼げる会社など有りはしないですよ。」
Dさんの反論も耳に入って居りません。

そして最後に脅しが入ります。
「どうしても出来ないという時は、不本意ながら我々も差押をやらなければなりま せん。其の差押えも、1回で全額回収出来ない場合は何回でも繰り返します。勿 論この時は、債権は当初の金額に戻ります。」

勿論差押えられても、今のDさんからは何も取れないでしょう。
しかしDさんにとって見れば実害は無いから大丈夫とは言って居られません。

若し銀行が差押えられると、其の銀行とは普通預金すら利用が出来無くなります。どこか遠い銀行で無いと銀行利用が出来なくなり、Dさんの会社は取引上の決済が出来なくなります。
サービサーは回収するのでなくて、Dさんの会社が生きていられないように、邪魔をするだけです。

売掛金の差押えも考えられます。古い決算書は銀行から回っているでしょうから、長く続いている得意先は見当がつきます。其処を差押えられた日には、Dさんの企業は成り立っていきません。
折角守り通した口座が死んでしまいます。

サービサーとすれば、Dさんが払えるお金を何処かに隠し持って居るだろうと云う疑いを晴らすだけですが、晴らされる方は例え、実害が無くても死んでしまうのです。

第2会社を作れば、こうした問題は解決できます。
しかし折角作っても営業的にはどうでしょうか。第一、口座が出来るかどうかが心配です。
其の上代表者を変えたりすれば何のための第2会社か解からなくなる場合も多いです。やはり今までの会社に勝るものはありません。

しかし、サービサー次第では会社の続行を諦めなければなりません。
潰してお互いに何の得にもならない事をしなければなりません。

どのサービサーも企業再生と云っていますが本当にそう思っているのでしょうか。
自分らの支払いに答えられる企業に対しては、「幾ら債務カットをした。疎かも返済方法の便宜を
こう計らった。」とPR材料にして居るだけでしょう。

こんなサービサーを応援する政府。
やはり零細企業は無くなったほうが良いと云うのが本音ではないでしょうか。







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女の一生の一場面

2007-06-09 | 事例
夫亡き後、700坪の敷地の真ん中に邸宅を建て替えたのです。
700坪と広い敷地も、この邸宅と、隅に趣味で経営している喫茶店があるだけです。それで、後は使い物にならない、つまり、きり売りも出来ないもったいない土地の使い方です。

「もう直ぐ年金がもらえる。生活は出来る。今もって居るお金を使っても大丈  
 夫。」
此れが彼女の計算です。彼女は年金の額を知りません。

夫は事業家。自宅のほかにも不動産を1000坪づつ2箇所にもっていました。
何れも更地です。
しかし保証も多く、不動産は全て担保になっております。

娘が二人、一人は40台に近く小学校の教師をしておりましたが鬱で学校を辞めて今喫茶店を手伝っています。娘が手伝い出してから喫茶店も漸く黒字になってきました。独身です。
もう一人は東京の短大を出たばかりで、偶然に同郷の青年と知り合って交際中です。
親戚付き合いは夫の関係ばかりでなく、自分の関係も殆どありません。
それだけに家族の結びつきは強いです。

こんな彼女がお金に追われだしたのは、夫が亡くなって5年を過ぎた頃からです。
夫の死後は会社のことなど一切関係が有りません。暫くの間、社長が交代しながらやって居る云うことを小耳に挟んだことがあるくらいです。
最初、大手の銀行から保証人である事と、相続のために彼女と子供が弁済の義務があると聞かされたのです
子供は資産を何も相続していないために、相続放棄が出来ますが、資産を相続してしまった彼女は負債まで引き受けざるを得ませんでした。

銀行の云うままに、担保の土地を売却し、それだけでは不足と云うので、預金の中から返済しました。
すると、今度は別の土地の抵当権者の地元銀行が、申し入れてきたのです。
幸い此れは、売却代金全部を弁済に回さなくても、自分の取り分が有りました。
此れが邸宅の建て直しのきっかけになったのです。

こんなことをして居る彼女が平穏で入れる筈がありません。
家を建て終わった時は彼女の手元にはお金は全然残っていませんでした。
其の頃から自宅を担保としていた、K公庫や地元信金の請求が本格化してきました。そう、公租公課類も2年くらい何も払っておりません。

喫茶店は今までは若干の黒字とは云え、この儲けに中から返済など出来る余裕はありません。
喫茶店は今後生活のために必要です。
担保を取られると、自分の生活もおぼつかなくなります。それに売っても残債の問題が残るだけです。

こんな時に次女がある男を紹介しました。本で知ったコンサルタントです。
男は冷酷にこのまま進めばどうなるかを説明したのです。
「不動産は全部とられる。時間の問題でしょう。それでも借金は残るから其れは払えなくても請求に来られます。当然、店もやってはいけません。」
後は今後どうして行くかと云う事と、細かい注意点です。

ころが其の説明を聞いた長女が自殺をしてしまったのです。
「此れでは私たちの将来には希望は無い。」と云うのです。
女は泣きました。
泣いたところで、よくはなりません。逆に人は寄り付かなくなります。
この時に力になったのが次女です。
落胆する母を励まし、力になったのです。

この頃から銀行の請求も本格化して、毎日、何処から電話があります。
「この頃が一番辛かった。」と云いますが本当だったでしょう。
知り合った男の云う通り動きました。全部電話での指示です。
逆に、この方が死んだ娘の事を思い出さなくて、良かったかも知れません。

「此れは破産しか無いかも知れないが、今自己破産だとお金も掛かるし、其処にも長く住んで居られないよ。
 先ず、今後の生活する方法を決めることが先決だな。其れまでは出すものは最低にして、お金を少しでも貯めよう。」 
「長く今のところで商売が出来るように、銀行には「直ちに任意売却をします。」といえば3ヶ月は待ってくれる。2回成功すれば6ヶ月は伸びる。
 それから競売でも、立ち退きまでには1年以上時間が有るよ。
 自己破産をするかはその時に決めれば良い。
 その間にどこかで同じような商売が出来る処を探そう。
 兎に角その間は残すことを考えよう。」
なんてすごいことを云うと思って居ましたが、やってみれば結構残ります。
「そう、今まで返済もして居たから、残らないのであって、商売だけならならば実際にはもっと儲かっていたんだわ。」

やがて、不動産は競売になり、落札されました。
しかしその間、何も知らなかった、もう65歳の女は、強くなっていました。
銀行に対しても、きっぱりと物が言えるようになりました。

次女が結婚の決まった男の手助けで住居つきの店舗を世話をしてくれました。
前の店より若干狭いですが、地理的には良いです。
有限会社を作って次女が表向きの社長です。当人の名義より債権者も責め難いでしょう。
ただ、こちらに越してからは、信金や公庫やH協会は何処も何も云ってきません。
上手くすれば自己破産もやらずに済みます。

此れも「女の一生」の1部でしょうか。






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遅延損害金って払わなければいけないの

2007-06-05 | 事例
14%台の遅延損害金。
何処も取ります。

しかし、保証債務を弁済して居る人にとっては、元金の弁済だけでも困難と云うのに、金利の何倍かの遅延損害金を払うなんて、とても出来ない相談です。

元金を先に払いなさいよ。金利には金利は付きません。ですから元金を減らすことを第一に考えましょう。
それに相手だって、入金が有れば、すべて元金に入金して居ますよ。
請求書には金利と元金とを分けて書いてありますが、あれは債務者に対してのみの帳簿で有って、本来の相手の帳簿には元金しか載って居ませんよ。
だから、「先に元金から返済します。」と言えば必ず通ります。

私も遅延損害金なんて脅しと云うか警告のための物で、まともな金融機関ならば
此れを全額真剣に回収することなど無いと信じておりました。
しかし1度だけ度肝を抜かれたことがあります。

鹿児島県のH協会でした。
此れは元金を全部返済した債務者が、自宅は担保であったにも関わらず、金利や遅延損害金を負けろといって不払いにしたのです。
元金ははっきり覚えておりませんが4000万足らずだったと思います。此れは主に担保の売却で返済しました。
後、払うべき遅延損害金や金利で、其の額は800万ほど有りました。
債務者は其れを払わず、其の上担保解除の訴訟すら起こしたのです。
結局自宅は競売となり、債務者は全てを取られたのです。
私は当時H協会はひどいと思っておりましたが、今考えて見ますと債務者の方にも
後ろ盾にある団体が付いて居り、いろいろ知恵を授けたらしいです。其れが災いとなったのではないかと思っています。
あとにも先にも代位弁済となったような零細企業の社長が、遅延損害金まで全部を取られたと云う例は此れしか知りません。

遅延損害金
まともな所ならば14%台です。
29%位の損害金を取るところが有りますが。それは今回は別の世界だと目を瞑りましょう。

一般には会社を整理するような場合は遅延損害金など幾らであっても関係ありません。
どうせ払えないからです。
やがて債権はサービサーに譲渡されますが、サービサーに払うのは元金の何分の一です、
計算上は確かに残っておりますがなんら実害となっては現れません。精神衛生上良く無いだけです。

しかしリスケの寸前、毎月の返済を払えない人が居ります。この人たちには、其の払えない期間の遅延損害金はどうなるのでしょうか。
又、保証債務で何とか元金くらいまで払えそうだと云う人が居ります。後の遅延損害金などは是非負けて貰いたいと思っておりますが、実際にはどうでしょうか。
その他、銀行や信販のカードなどで遅延を起したときはこの遅延損害金はひびきます。

リスケの時に話し合いが付くまで、一時、金利も払わない人が居ります。
この場合は、後で精算の時、殆どの銀行は未払いの金利だけを回収して居ります。しかし、1部の信金などで、遅延損害金を取る場合がありましたが、最近では殆ど見て居りません。が、最近大手銀行で保証協会付の入金が遅れた時に取ったのを見ております。

保証債務で払っている人、少なくとも最初からこの件は話合って置きましょう。
以前は最初から払わなくても良いと云ってくれましたが、最近はそんなことは少なくなってきて居ります。
「先ず元金を綺麗にしましょう。その後残った遅延損害金などはその時に話し合い ましょう。」
と言い方が変わって来て居ります。
その時に保証人が払えそうな資力があれば遠慮なく頂くと云う算法です。
最初に話し合い、はっきりした線は無理でしょうから、ある程度のことを引き出したら直ぐのメモをして残しておきましょう。後でよい証拠にもなります。

カード・ローンの時は様々です。
遅れると直ちに、其の返済額だけに遅延損害金を取る所がありますし、30日は余裕の見て、取るところ等多彩ですが、このグループについては又の機会に譲ります。

今はまだ、遅延損害金の扱いについてはまだ統一したものを感じません。
要は罰則の意味がどう取り扱われているかで各社の扱いも違ってくるでしょう。
しかし冒頭の例や大手銀行の返済金の遅延に関して遅延損害金を取った例など
会社によって違うというより、其処の責任者によって違うみたいです。

遅延損害金
此れはまだ交渉の余地はあるみたいです。

しかし 税金はどうでしょうか。
税金の14.6%、脱税する気持ちが無くても、見解が違い、その時に納税をするようなことが起こると14.6%は免れません。

国の権力はずば抜けて強いです。






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自分では時効のつもりでも

2007-06-04 | 事例
事業が失敗して債務が残っている人。そんな人たちには本当に時効になる日が待ち遠しいです。

85歳になるAさん事業を整理した後、今はアパートに老妻と二人の年金暮らしです。
7年も前の話。もう全て和解の話が終わって居り、今ではこのサービサーともう1軒保証協会だけです。でも両方とも今は払っては居りません。保証協会から、たまに請求書が届くくらいです。
そんなAさんのところに1通の通知書が届きました。サービサーからです。

「前回、債務承認を頂いてから、もう直ぐ5年になります。
 恐れ入りますが、同封の残高証明書に承認を署名捺印の上、6月の5日までにご返 送下さい。
 若しご返送なき場合は、当社としても法的回収に、即、踏み切らざるを得ませ  ん。宜しくお願い申し上げます。」
回収するつもりはなく、時効の中断だけを狙っている様子です。

こんなサービサーが多くなって居ます。
5年ほど前、こちらは払えない。サービサーもそれ以上回収には来ない。もうこの債権の回収は終わりか。今後ないだろうと思っている債務者。
そんな例が多かったと思います。
其処にこの様な通知書が届きます。明らかに時効の中断です。

サインしたものを送ったところで、おそらく単に時効を5年間伸ばすだけに終わり、実際の回収は行われないでしょう。
何のための時効伸ばしか解かりませんが、送ったところで実害はないだろうと思います。しかし何か思い物がのしかかっている感じはぬぐえません。
Aさんの場合、お年から見て、次回又債務承認出来るか解からないだけに、尚冥土の土産になるかと思うと心も晴れません。

サービサーはこの負債が誰かに相続されるのを待っているのでしょうか。
相続人が全員相続放棄をしてから漸く債権放棄をするのでしょうか。
それにしても、単なる嫌がれせとしか思われない、債務承認の捺印要請です。

Aさんも払えないと解かっていても、時効を待っていました。払えないからこそ待っていたのでしょう。天下はれて白日の身になることを待ちわびて居たのです。
しかし債権者のサービサーも、Aさんみたいな取れない債務者でも時効を注意して居ると云うことは事実です。

つい最近こんな事もありました。
信金破綻で、自分の債務がサービサーに譲渡された人が居りました。Bさんです。
信金破綻から6年以上経った時に、サービサーからこの債務のことで合いたいと連絡がありました。
今頃なんだろうと私に問い合わせがありました。
この話を聞いた時、時効になって居るのではないだろうか。私の第一の疑問でした。
訊けば訊くほど時効です。
払ってないことは事実。サービサーから書類を受け取っているのは譲渡された時に1度有っただけ。後は書類を貰ったことも無いとのことです。
確実なエビデンスが何もない事が少し気になりました。
しかし私はBさんの言うことを信じて、援用の書類を書いて差し上げました。

ところが此れが失敗でした。
エビデンスを調べずに、債務者の言うことを信じたのが悪かったのです。
譲渡された日が違っていました。平成13年7月と平成14年7月の相違です。そして何より致命的であったことは、譲渡された日に信金を通じて債務確認の書類を渡してあったことです。
後、2月あれば時効になっていましたが、少なくとも早すぎました。

「時効になって居ると思うが。」と持ち込んで来た人が居ります。
母が、自分の弟の会社の保証をして居ります。会社は倒産して、弟は個人だけ自己破産をしました。
母は保証人として随分と長く払っております。
この時も調べましたが、確かに時効になって居ます。
「時効の終わる前に内容証明を送ると半年は時効が伸びることになって居ます。
 内容証明は貰ってないでしょうね。」
「内容証明なんて重要な物は来たら忘れるはずが有りません。
受け取っていません。」
そこで時効の援用の文章を教え、送り方まで教えました。 

此れも失敗しました。
内容証明が届いていたのです。
受取の受領印は確かに母のものです。高齢な母が受け取りそのまま内容も見ずにしまいこんだらしいです。

今まで母は僅かづつ払って居りましたが此れを期に払うのをやめようと思っています。相手がどんなに怒ってこようが今に母には払えないのです。

時効の援用を申し出て、失敗した例は結構あります。
こちらの証拠固めが充分でないのです。
実際には条件が整って居ないのに、身贔屓のせいか、時効になって居ないものを時効騒ぎたててるのです。

其れくらいこの人たちは時効を待ちわびております。






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時効

2007-06-01 | 事例
時効の援用。
そんな事が実際に出来るかしら。
「はい。今日から時効となりました。私は時効の援用を受けますから、お支払いは 出来ません。」
なんてそんなに調子よく行くのかしら。

77才になる彼は毎月3万円づつ振り込んで居ります。
息子が事業をやると云って隣町の信販会社から借りた時の保証です。
息子の事業は直ぐに失敗して、それ以来息子は家に戻ってきません。
隣町でタクシーの運転手をやって居るとか聞きました。

信販会社の請求はきつく、振り込んで居るにもかかわらず、決まった人が絶えず顔を出します。
彼に言うと怒るから、彼の奥さんに担保の自宅と隣接した畑を手放すように薦めて居ます。自分の知っている人に買わせるから悪いようにはしないというのが口癖です。

地元の人間で、どうやら公園に隣接した彼の不動産を狙っているらしいです。
彼は祖先からの不動産は絶対に守りたいのです。
しかし蓄えは1円もありません。
信販の言う通り3万を振り込んでいますが、信販の営業員は絶えず手放すことを薦めて、任売をしない場合は競売を示唆して居るのが面白くありません。

そんな彼が時効と云うことを耳にしたのです。
保証人が払っていても債務者が払って居ない場合は時効になるというのです。
農協の講演会ですが、其れを聞いた後調べて「どうやら俺のところは時効になって居るらしい。」と気付いたのです。

東北弁の彼が相談に見えたのは其のときです。
弁護士が居るではないかと云うと、会社の整理の時に其の報酬を払ってないから、行き難いとのことです。
先生お礼は此れでと地元名産のそばを持って来ました。

念のために経緯を聞き、裏付けも見せて頂ました。
時効です。間違いありません。もう6年以上払っています。
1年毎の見直し荷なって居りますが、最初からずうっと同じ条件で、その間、契約書も何もありません。

貴方の言って居る事が正しければ、間違いなく時効ですね。
ただ振込票が全部揃って居ないけれど、全部此処にあるのと同じ様に貴方の名前になって居ますね。其れと息子さんは本当に1円も払ってないし、債務承認をして居りませんね。
この二つは徹底的に調べてください。間違いが無ければ時効です。
文章は作ってあげましょう。内容証明の配達証明で出してください。

時効の援用は失敗しました。
振込票に1枚だけ、債務者の名前が入っておりました。
字は彼の字です。
何故、1枚だけに借りた子供の名前があったのか、彼は覚えが無いといいますが書いてあることには間違いありません。

弁護士に言って、この1枚の記載はおかしい。自分でも記憶が無い。自分の名前を書くべきところを間違った、と云って争えないかと聞きました。既に弁護士には相談したとの事。しかし駄目だといって相手にされない様子です。

信販の担当は烈火のごとく怒りました。
「売れと薦めても、お宅のことまで考えてやってきたのに、そんなずるい事を考えていたのか。」と。
そして直ぐに競売になりました。
入札者は一人。売却可能価格に近い価格でした。
入札者は信販の営業員の知人でした。

其の後の彼の行方は解かりません。

最近5ー6年前に済んだことと思っていると急にサービサーから連絡のある事がよく
あります。
調べてみると時効でな無いだろうかと思うことも又多いです。

そんなときに正しく履歴を言える人は殆ど居りません。
自分の物件を処理したのが何時ごろかも忘れています。
ましてや、会社は何時まで払ったか、自分は何時からどう言う払方をして来たか等、答えられません。
そして、私に答える時は、必ず自分に有利な方を言います。
うっかり信じると時効でないことは勿論、報復処置までとられます。
気持ちはわかりますが、もう少し冷静に判断をお願いしたくなります。

時効。
単純なことですが、失敗も多いです。
今後失敗例をいくつか書きたいと思います。






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