わが人生において、2度だけファンレターを送ったことがある。あまり能動的ではない私としては、稀有な出来事である。宛先はパティ・デュークと池辺史生のお二人。
■パティ・デューク
'62年(昭和37年)、私が中学2年生の時に観た映画「奇跡の人」は、今思い出すだけでも涙が出てしまう。
ご存知の、アニー・サリヴァンとヘレン・ケラーの感動的な物語は、これまで舞台、映画、テレビなどで再演を重ねてきた。この「奇跡の人」は、アン・バンクラフト(アニー・サリヴァン)とパティ・デューク(ヘレン・ケラー)が演じて'59年に初演された。舞台で好評を博し、3年後には、同じキャストで映画化され、大ヒットを記録。アカデミー賞主演女優賞、助演女優賞をそれぞれ受賞している。その後、世界各国で翻訳上演され、47年以上経った今でも名作として人々の心を感動でふるわせている。
サリバン先生役を熱演したアン・バンクロフトの演技はもとより、三重苦という難題を見事に演じきった子役のパティデュークの迫真の演技に一遍に魅了された。矢も盾もたまらず辞書を引きながら認めた英文のファンレターを送ったのだが、残念ながら返事は貰えず今日に至っている。
■池辺史生
'92年(平成4年)5月から、週刊朝日に同誌編集委員池辺史生氏の実録「アルパー老人看病記」が連載され、同12月には「ゆきあいの空」と改題して本になった。
『父親がアルツハイマー病の重いボケ。加えて、母親までパーキンソン病で寝たきりに。てんやわんやの泣き笑いの中で、五男一女とその配偶者たちは知力、体力を総動員する…』という話で、サトウサンペイの挿絵とあわせて、掲載になる金曜日の配本を鶴首の心境で待った。
折りしもわが家では、アルツハイマー症と診断されて2年半になる母(当時69歳)は緩やかな進行のお陰でモノ忘れのひどさ以外には日常生活は何とか支障なく送っていた。
一方、父(当時74歳)は、この年の3月から突然ボケがつきはじめ、日をおって激しくなっていた。
池辺氏とは、父と母が入れ替わっているだけで、全く同じ境遇にあり、ボケ看護の渦中にあって悩んでいる身にとって、この連載はいつまでなのか?紙面の許す限りずっと、そして、更に詳しく書き続けて欲しいとの要望を、週刊朝日の池辺編集委員宛に、不躾ながら長い手紙を差し上げた。
かなりの反響で、たくさんの投書があったと思われるが、折り返し、池辺氏から丁重な返事をいただいた。
勿論、20回連載の「アルパー老人看病記」はスクラップして応援歌として、わが家の看病記とともに保存してある。
■パティ・デューク
'62年(昭和37年)、私が中学2年生の時に観た映画「奇跡の人」は、今思い出すだけでも涙が出てしまう。
ご存知の、アニー・サリヴァンとヘレン・ケラーの感動的な物語は、これまで舞台、映画、テレビなどで再演を重ねてきた。この「奇跡の人」は、アン・バンクラフト(アニー・サリヴァン)とパティ・デューク(ヘレン・ケラー)が演じて'59年に初演された。舞台で好評を博し、3年後には、同じキャストで映画化され、大ヒットを記録。アカデミー賞主演女優賞、助演女優賞をそれぞれ受賞している。その後、世界各国で翻訳上演され、47年以上経った今でも名作として人々の心を感動でふるわせている。
サリバン先生役を熱演したアン・バンクロフトの演技はもとより、三重苦という難題を見事に演じきった子役のパティデュークの迫真の演技に一遍に魅了された。矢も盾もたまらず辞書を引きながら認めた英文のファンレターを送ったのだが、残念ながら返事は貰えず今日に至っている。
■池辺史生
'92年(平成4年)5月から、週刊朝日に同誌編集委員池辺史生氏の実録「アルパー老人看病記」が連載され、同12月には「ゆきあいの空」と改題して本になった。
『父親がアルツハイマー病の重いボケ。加えて、母親までパーキンソン病で寝たきりに。てんやわんやの泣き笑いの中で、五男一女とその配偶者たちは知力、体力を総動員する…』という話で、サトウサンペイの挿絵とあわせて、掲載になる金曜日の配本を鶴首の心境で待った。
折りしもわが家では、アルツハイマー症と診断されて2年半になる母(当時69歳)は緩やかな進行のお陰でモノ忘れのひどさ以外には日常生活は何とか支障なく送っていた。
一方、父(当時74歳)は、この年の3月から突然ボケがつきはじめ、日をおって激しくなっていた。
池辺氏とは、父と母が入れ替わっているだけで、全く同じ境遇にあり、ボケ看護の渦中にあって悩んでいる身にとって、この連載はいつまでなのか?紙面の許す限りずっと、そして、更に詳しく書き続けて欲しいとの要望を、週刊朝日の池辺編集委員宛に、不躾ながら長い手紙を差し上げた。
かなりの反響で、たくさんの投書があったと思われるが、折り返し、池辺氏から丁重な返事をいただいた。
勿論、20回連載の「アルパー老人看病記」はスクラップして応援歌として、わが家の看病記とともに保存してある。