わが地域に1本の見上げるほどの<大エノキ>がある。だが、往年の面影は薄い。1998年 (平成10年) 8月、岡山市祇園の旭川堤防上にあった大エノキの大枝が折れたことから、この木の伐採が喫緊の課題となった。
遠くからも一目で分かり、かつては通行人の道しるべにもなっていたエノキは地域の誇りであり、昔から住民に親しまれていたもので、保存の声が高まった。
この動きに呼応して、高島・旭竜エコミュージアム(高島公民館内)のメンバーは迅速に行動し、地域の関係者と協力しながらエノキの伐採を最小限度にして何とか生かしていくことを実現させた。
1892年(明治25年)頃には、既に竹薮の中に目立って生育していたと言い伝えられている大エノキ。目通周囲4mの巨木で、岡山県内の有名巨樹としても第13位の太さだった。文化財などには指定されていないが、4本の枝を大きく広げた「地域のシンボル」として長い間地域を見守ってきた。
伐採後は「よみがえれ大エノキの会」を地域住民と共に結成し、エノキの回復へ向けた処置、エノキの思い出を集めて冊子化、エノキをテーマとしたイベント開催などを中心的に行った。
それから8年を経て、まだまだ時間はかかるが徐々に元のエノキに戻りつつある。この一連の取り組みによって、大きく伐採されて姿は変わったものの、エノキが生き残り、またエノキの思い出が地域の人々の間で蘇るという、土地の記憶を呼び覚ますことに結びついたようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/84/febfc2eb50adf7c3ad1d8426c3f6acf0.jpg)
↑伐採前(8年前) ↓現在
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太い根元にはサルノコシカケ 傍を祇園用水が流れる
遠くからも一目で分かり、かつては通行人の道しるべにもなっていたエノキは地域の誇りであり、昔から住民に親しまれていたもので、保存の声が高まった。
この動きに呼応して、高島・旭竜エコミュージアム(高島公民館内)のメンバーは迅速に行動し、地域の関係者と協力しながらエノキの伐採を最小限度にして何とか生かしていくことを実現させた。
1892年(明治25年)頃には、既に竹薮の中に目立って生育していたと言い伝えられている大エノキ。目通周囲4mの巨木で、岡山県内の有名巨樹としても第13位の太さだった。文化財などには指定されていないが、4本の枝を大きく広げた「地域のシンボル」として長い間地域を見守ってきた。
伐採後は「よみがえれ大エノキの会」を地域住民と共に結成し、エノキの回復へ向けた処置、エノキの思い出を集めて冊子化、エノキをテーマとしたイベント開催などを中心的に行った。
それから8年を経て、まだまだ時間はかかるが徐々に元のエノキに戻りつつある。この一連の取り組みによって、大きく伐採されて姿は変わったものの、エノキが生き残り、またエノキの思い出が地域の人々の間で蘇るという、土地の記憶を呼び覚ますことに結びついたようだ。
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↑伐採前(8年前) ↓現在
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太い根元にはサルノコシカケ 傍を祇園用水が流れる