「おとうさんのコーヒーが飲みたい!」と言われ続け苦節十年、やっと昨年あたりから、朝のコーヒーだけは小生の分担で日課となった。コーヒーメーカーだからどうってことはないのだが、ちょっとしたさじ加減で微妙に味が変化する。
先日来、2度ばかしへまをやらかした。最初はバスケットふたをはずしたままの状態でドリップをした。少しばかり濃い味だった。
2回目は待てど暮らせど香りがしてこない。堪りかねてかみさんがコーヒーメーカーをのぞくと、ガラス容器には水のまま残っている。ついうっかりガラス容器で計った水を本体に注がず、保温板に載せてしまったようだ。いわば空焚きでこれではいつまで待ってもコーヒーは入らない。
2回目の失敗は、かみさんに見破られ二人で大笑いとなったが、小生の心中は穏やかでない。とうとうボケが始まったかと背筋に冷たいものが走った。
よくよく考えてみると、日常生活において同じことの繰り返しの中にはありがちなこと。機関車運転手のやる指差し確認まではいかなくても、惰性でことを運ぶのは心しなければならない。マンネリズムは脱しなければと自戒した。勿論今朝はいつものように自他ともに認める“至上の一杯”にありつけた。
先日来、2度ばかしへまをやらかした。最初はバスケットふたをはずしたままの状態でドリップをした。少しばかり濃い味だった。
2回目は待てど暮らせど香りがしてこない。堪りかねてかみさんがコーヒーメーカーをのぞくと、ガラス容器には水のまま残っている。ついうっかりガラス容器で計った水を本体に注がず、保温板に載せてしまったようだ。いわば空焚きでこれではいつまで待ってもコーヒーは入らない。
2回目の失敗は、かみさんに見破られ二人で大笑いとなったが、小生の心中は穏やかでない。とうとうボケが始まったかと背筋に冷たいものが走った。
よくよく考えてみると、日常生活において同じことの繰り返しの中にはありがちなこと。機関車運転手のやる指差し確認まではいかなくても、惰性でことを運ぶのは心しなければならない。マンネリズムは脱しなければと自戒した。勿論今朝はいつものように自他ともに認める“至上の一杯”にありつけた。