てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

マンネリ脱却

2008-04-11 08:10:17 | 暮らしと生活
「おとうさんのコーヒーが飲みたい!」と言われ続け苦節十年、やっと昨年あたりから、朝のコーヒーだけは小生の分担で日課となった。コーヒーメーカーだからどうってことはないのだが、ちょっとしたさじ加減で微妙に味が変化する。

 先日来、2度ばかしへまをやらかした。最初はバスケットふたをはずしたままの状態でドリップをした。少しばかり濃い味だった。
 2回目は待てど暮らせど香りがしてこない。堪りかねてかみさんがコーヒーメーカーをのぞくと、ガラス容器には水のまま残っている。ついうっかりガラス容器で計った水を本体に注がず、保温板に載せてしまったようだ。いわば空焚きでこれではいつまで待ってもコーヒーは入らない。

 2回目の失敗は、かみさんに見破られ二人で大笑いとなったが、小生の心中は穏やかでない。とうとうボケが始まったかと背筋に冷たいものが走った。

 よくよく考えてみると、日常生活において同じことの繰り返しの中にはありがちなこと。機関車運転手のやる指差し確認まではいかなくても、惰性でことを運ぶのは心しなければならない。マンネリズムは脱しなければと自戒した。勿論今朝はいつものように自他ともに認める“至上の一杯”にありつけた。
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父の命日に団参

2008-04-10 16:27:33 | ファミリー
 今日は親父の祥月命日であり、折りしも16日~17日にかけて比叡山にお参りしてくる。いわゆる団参(檀信徒団体参拝)で、菩提寺安養寺のご住職並びに檀信徒の総勢26名である。

 比叡山延暦寺では、根本中堂において朝のおつとめがある。親父をはじめ先祖への供養、また家族や友人の福徳を御護摩御修行し、各々の思いを祈願する大きな功徳のある旅としたい。

 今回初めて団参に参加するのだが、ご住職と親しくなり、同じ菩提寺の仲間と知り合う団参を、単なる参詣ではなく、「道を同じくする仲間」を知る喜びに満ちた修行の旅になればと思う。

 行程には亀岡、京都嵐山、大原三千院などが入っているが、観光や物見遊山ではなく、ご住職と共に仏さまやお大師さまとのご縁を体感する巡礼・遍路・団参へと、その一歩を踏み出してきたい。

 余談ながら自分は、血肉分けた割には親父に全然似ていないと、これまで固く信じていた。ところが最近頓に家族や、親父を知る周囲の人から「お爺さんによく似てきた」と言われることがある。
 この言を待つまでもなく鏡に映る姿形に、我ながらぎょっとすることもある。親父が好んでしていたハンチング姿だが、近頃自分でもよく被る。その写真をみたひには、まるで親父そのものだ。
 「親に似ぬ子は鬼子」「親に似ぬ子は茗荷(みょうが)の子」とか言う。英語例では That which comes of a hen will scrape.(雌鳥から生まれたものは土を掘る)と言う諺がある。親に似ぬ子はいないはず。親父に似てきたことを、喜んでいいのかどうか複雑な心境である。
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古の都奈良大和路

2008-04-09 05:02:15 | レジャー

一日限りの運命共同体の面々

室井滋、ともさかりえ似の奈良交通の名ガイドさん

 緑多き古の都の姿を留める地奈良大和は、鹿の群れ遊ぶ奈良公園、大仏さん、猿沢池、五重塔…と修学旅行の懐かしき思い出の地でもある。

 頭を悩ましていた青春18きっぷを使い切るべく、金券ショップで1枚残りを追加購入して、かみさんと二人で春爛漫の奈良大和路を旅してきた。一昨日の花散らし雨の影響もなく桜は満開で、日中は23度まで上がり汗ばむ陽気だった。

 奈良、京都、東京などの観光に際して、土地不案内の御上りさんには「定期バス観光」は大変便利で安心なので、これまでにもよく利用し重宝している。
 定期バス観光のメリットは、観光地を効率的に巡り、ガイドの説明を聞くことができることにある。さらに一見さんでは行けないような場所に行けるし、拝観料や駐車料のことをことを考慮すれば、結局割安につく。
 但し、同行メンバーとバスガイド次第の話だが、幸いに期待を裏切ることはなく、どちらにも恵まれた。ガイドさんは、ともさかりえと室井滋を足して2で割ったような感じ良い人で、ガイドぶりも名調子であった。中宮寺では現地ガイドに代わって、顔負けの説明があったほど。

 今回は奈良交通定期観光「世界遺産コース-法隆寺・西の京周辺」を予約していた。1993年、日本で初めて法隆寺と姫路城が世界文化遺産に登録され、1998年には東大寺をはじめとする古都奈良の文化財も加わった。西洋の石の文化に対し、東洋の木の文化が世界に認められた遺産をめぐる旅である。
 巡ったコースは、
 * 法隆寺(金堂、大宝蔵院、百済観音堂、夢殿)
 * 中宮寺(大和三門跡寺院のひとつ、弥勒菩薩像ほか)
 * 慈光院(大和三名庭園のひとつ、書院、抹茶の賞味)
 * 薬師寺(金堂、薬師三尊像ほか)
 * 唐招提寺(天平の甍で有名)
 * 平城宮跡・朱雀門(平城京の正門)

 あちこちの寺院が修理・工事ラッシュのため、入堂できない施設や拝観できない仏像等があり残念だった。法隆寺金堂は須弥壇修理等のため入堂できず。(平成20年12月末までの予定)
 薬師寺では金堂他内陣修理および東京国立博物館での「国宝・薬師寺展」出展のため、日光・月光菩薩像を拝観することができなかった。また同展への出展のため大講堂および東院堂において一部レプリカの拝観となった。(平成20年6月下旬までの予定)
 唐招提寺でも同じく金堂が平成大修理のため入堂できず。

 この旅(度)の主眼は、各寺院の仏像のご尊顔を拝顔することにあった。小欄「2007/3/21 世界三大微笑像」でも書いたように、中宮寺の「弥勒観音菩薩半跏思惟像」の慈愛に満ちたかすかな笑みは、何度拝顔しても惚れ惚れとし、どこまでも飽きることがない。頬に軽くあてられている右手のたおやかな仕草が何ともいえない。強行軍を敢行、こちらに足を向けた甲斐があったと痛感した。

 3日前に続き、今回も旅先で知人に出会った。復路姫路で乗り換えた電車で、奇遇にも高校の同級生I原夫婦にバッタリ。先年市役所を定年退職した後、夫婦で方々を旅行の身で、今日は学生時代を過ごした思い出の地京都を訪ねての帰り。目下勉強中の英会話を活用して海外旅行もせっせと実践している。近々、ベトナム旅行を予定しているそうだ。「お互いに健康が一番。夫婦揃って何時までも元気でいようぜ」と誓い合って別れた。


法隆寺

法隆寺

修学旅行の一団(法隆寺)

法隆寺

慈光院

中宮寺より法隆寺夢殿を望む

薬師寺金堂

薬師寺金堂と西塔(中央)

ここにも咲分けの花桃?(平城宮跡)

平城宮跡
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花祭り

2008-04-08 18:47:32 | 暮らしと生活

2008年(平成20年)4月9日付
山陽新聞岡山市民版より

 激しい花散らしの雨後、打って変って快晴の今日、後楽園鶴鳴館において岡山市仏教会主催の「花祭り」があり参拝してきた。

 花祭りに先立って、園内で弁当を広げた後、しばしの散策を楽しんだ。今日は大安とあって2組の結婚式に出くわした。またやたら外国人観光客の姿を目にした。満開の桜の木の下は、何処も車座になって酒を酌み交わし弁当を広げ、話にも花が咲いていた。

 花祭りは、仏教では灌仏会または釈尊降誕会と言い釈迦誕生仏像に参拝客が甘茶を掛けて参拝する。甘茶を掛けるのは、生まれたばかりのお釈迦様に天から九竜が香湯を注いだという伝説にちなんだものと言われる。

 お釈迦様は、生まれてすぐに七歩歩かれて「天上天下唯我独尊」と言われたそうである。その言葉には「天の上にも、天の下にもただ我一人が尊い」と深い意味がある。

 この言葉を初めて耳にしたのは、忘れもしない46年前の4月6日(お釈迦様の誕生日の前々日)のこと。中学校2年の始業式で、転任されるM定先生が別れのあいさつで「ひとつだけ覚えていただきたいことがあります」と前置きして、右手で天を指し左手で地を指すポーズをとりながら「天上天下唯我独尊」を披瀝され、未だに脳裏に焼きついている。
 46年前と言えば、悟りを開いた後のお釈迦様が伝道の旅に明け暮れた年数が45年間と言われる。これも何かの縁か。

 『お釈迦様は、80歳の2月15日にインドのクシナガラという所で歩く力がなくなり、枕を北に右脇を下にして横になられました。お釈迦様との別れのために大勢の人々と動物など、全部で52種類の生き物が集まり、そして最後にこうおっしゃいました。「すべて世は無常である。怠ることなく、努力をつづけよ」そう言い残して、お釈迦様は静かに息をひきとられ、涅槃つまり真理の世界に入られたのです』=(株)ファミリーホールのホームページより=


後楽園外苑の桜並木

正面向って右が鶴鳴館

桜に映える烏城

桜の宴

桜の下の結婚式

枝垂れ桜の下の結婚式

外国人観光客の姿が目立つ

花祭り

花祭り

 大勢のお参りだったが、前列にいたため全体写真は撮れず、ここから下の3枚は「住職のページ」より借用。


昨年の花祭り

昨年の花祭り

昨年の花祭り

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 明日は奈良・大和路を日帰り旅行で、一日パソコンの前を離れます。せっかく記事へコメントを頂いても、レスが遅れますことをご容赦ください。
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全キャン連2008

2008-04-06 14:37:24 | 舞台、ライブ
 一世を風靡したアイドル歌手グループ・キャンディーズが人気絶頂時の1977年に突如「普通の女の子に戻りたい」と宣言、解散してから30年にもなる。時を超えて再び、彼女たちへの熱い憶いが集結した。去る4月4日、全国キャンディーズ連盟2008大同窓会(「全キャン連2008」)が開かれた。

 キャンディーズの熱狂的ファンを自認する石破防衛相が、閣議後の会見でアンパンマンさながらに頬を赤らめ、ニヤニヤしながら熱弁を振るう姿をテレビで観た。防衛省は多事多難の折、石破氏の政治姿勢は好きではなく、これで大丈夫なのかという印象を受けていたが、次の産経ニュースでの記者とのやりとりを読んで、石破氏の人間性(本音)がうかがえ少しだけ見直した。

 「心をみんなが一つにして熱狂できた。あの時代をすごく懐かしく思う」と語り、さらに、3人のハーモニーと防衛省のハーモニーについての考えを求められると、「政治家、内局背広官僚、制服自衛官」を3人になぞらえ、「外だけうまくいっているように見えても内実違うというのはあまりいいことではない、本当にみんなが政治家であり、背広官僚であり制服自衛官であっても、国の独立と平和、国際の平和と安全とかに心一つにしてやるんだよ、本当に政治と内局と制服が一緒にいて楽しいね、いつも一緒にいたいねというもの」などと制服と背広の融合など防衛省の組織改革になぞらえて独自のキャンディーズ論を展開した。=2008.4.4 産経ニュース

 岡山では1976年(昭和51年)7月29日、岡山市高野尻の金山休暇村野外ステージで公演があり、同僚数名と最前列に陣取り熱きエールを送った。小生弱冠29歳であった。その時のファンの熱狂ぶりは、8ミリフィルムに音入りで収めているが、奇しくも解散宣言の前年のことだから今となっては貴重な1本である。
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