天下統一後、織田信長が少数の手勢を伴って都に滞在中、家臣・明智光秀の謀反に遭い自刃するという出来事は1582年のことです。1415年に建立された本能寺は、その時はまだ四条のあたりにありました。今でも本能寺跡として碑が建っています。
信長亡き後天下を制した豊臣秀吉は、本能寺を現在の位置に移すように命じます。お寺は法華宗本門流本山のお寺として、その後も栄えます。現在は寺町御池下ルにあり、和の趣味を持つ人なら聞いたことがあるかも知れない「鳩居堂」の斜め向かいに門が見えます。
門をくぐって進むと、奥のほうがグンと広がったお寺になっています。観光客がたくさん往き交うアーケードの下からちょっと外れると、静かな境内が広がっているというわけです。
右奥には信長廟があります。そのすぐ脇に小道が開いていて、そこからは河原町通りへと出られます。
何でも新しいものに関心を示し、異国への憧憬旺盛であった信長公らしく、すぐ後ろにはビル群が。河原町に寺町、観光客が大勢訪れる、目新しいグッズがたくさんのお店が並ぶロケーションというのは、信長公としては大満足なのではないでしょうか。
しかも廟のすぐ右横から河原町通りに出ると、そのお向かいにはカトリック京都司教区のカテドラルが建っています。“キリシタン”宗門とはいつまでも縁の深い天下の覇者は、今頃どんな気持ちでこの地に眠っているのでしょうね。歴史のロマンを感じます。
謀反がなければ、日本の歴史はかなり変わっていたでしょうね。切支丹はどうなっていたでしょう。その後の日本の宗教地図が変わっていたかも知れません。歴史というのは神秘です。本能寺の境内に踏み入れると、いつもそんなことを考えてしまいます。
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Hon-no-ji temple, Kyoto