津波被害に遭った被災地に住む親戚の救援に先月末から出かけていた知人のAさんから、昨日「もどって来ました」と写真添付のメールが届いた。 すぐにでも電話して話を聞きたかったけれども一昨日話した様に我が家の電話は故障中。 ですが夕方には宅急便で注文してあった電話機が届いたので、早速セットアップして動作確認。 そしてAさん宅の夕食が済んでのんびりし始める頃合いの夜の8時に電話を入れました。
その電話での話、石巻市内の親戚は床上1m程の海水が押し寄せて、畳やフローリングの床上に3・4cmのヘドロが堆積していたそうだ。 そんな床上ヘドロの除去作業や海水に漬かって傷んだ畳の撤去作業、そして散乱した室内の片付けの様な力仕事を何日か手伝って来たそうだ。 作業は随分と大変だったようで、「水に漬かった畳なんか重くて4人掛かりでやっと持ち上げるようだよ!」、「床下に溜まった泥なんか(床板を剥がすなど)プロの手でやってもらわないと出来ないね!」等と様子を聞かせてくれた。
救援にはテントや炊事道具などキャンプ用具一式を車に積んで野宿覚悟で出かけたけれど、現地での宿泊は津波被害に会わなかった親戚の家に泊めてもらえたらしく、「快適な睡眠と食事の場が得られた」とのこと。
更にAさん、牡鹿半島で村落全体が根こそぎ流された谷川浜に住んでいたお兄さんの避難先をを訪れた。 その避難所で撮った集合写真の一部をTopに載せました。お兄さんの奥さんの微笑の眼差し、そして抱かれたワンちゃんの安心し切ったスタイル。 無事でなによりでした。 ちなみに、このワンちゃんは津波の後で発見されて避難所に連れてこられたそうですよ、良かったですね...
このお兄さん達が避難していらっしゃるのは谷川浜のから少し離れた地域センター的な場所で、津波直後は100人を越す方々が避難されていたそうです。 しかし今は大半の方々は親戚などを頼って出て行ったため、残っている人数は20名程になったそうです。 そして先々の話もしたそうですが、「今避難所に残っている人達の落ち着き先が決まるまで、俺はここに残っている」とお兄さんは話されたそうです。 地域のリーダー的存在のこんな人々が居ることを本当に頼もしく思います。
ところでTVで報じられる避難所生活は”主食がおにぎり”であったり、”お風呂に入れない”などの大変な状況であったりしますけれど、 ここの避難所では近くの住宅で被害の無かったお宅のお風呂を使わせて貰えたり、 食事も自分たちで煮炊きして普段の食事に近い形の生活を送れるように努力されているそうです。 避難生活を支援する自衛隊の活動も届いているとの話です。
Aさんからは、この避難所の食事だったか、親戚の家で提供された食事の話だったか曖昧でしたが、 「アワビの刺身も食べさせてもらったよ!」 なんて羨ましい話も聞きました。 海の幸の豊富な三陸の海辺ならではの話ですね。 そんな良さがあるから、津波は懲りごりだろうけれど、また人々は同じような場所に家を建てて生活を再開するのでしょうか?
その電話での話、石巻市内の親戚は床上1m程の海水が押し寄せて、畳やフローリングの床上に3・4cmのヘドロが堆積していたそうだ。 そんな床上ヘドロの除去作業や海水に漬かって傷んだ畳の撤去作業、そして散乱した室内の片付けの様な力仕事を何日か手伝って来たそうだ。 作業は随分と大変だったようで、「水に漬かった畳なんか重くて4人掛かりでやっと持ち上げるようだよ!」、「床下に溜まった泥なんか(床板を剥がすなど)プロの手でやってもらわないと出来ないね!」等と様子を聞かせてくれた。
救援にはテントや炊事道具などキャンプ用具一式を車に積んで野宿覚悟で出かけたけれど、現地での宿泊は津波被害に会わなかった親戚の家に泊めてもらえたらしく、「快適な睡眠と食事の場が得られた」とのこと。
更にAさん、牡鹿半島で村落全体が根こそぎ流された谷川浜に住んでいたお兄さんの避難先をを訪れた。 その避難所で撮った集合写真の一部をTopに載せました。お兄さんの奥さんの微笑の眼差し、そして抱かれたワンちゃんの安心し切ったスタイル。 無事でなによりでした。 ちなみに、このワンちゃんは津波の後で発見されて避難所に連れてこられたそうですよ、良かったですね...
このお兄さん達が避難していらっしゃるのは谷川浜のから少し離れた地域センター的な場所で、津波直後は100人を越す方々が避難されていたそうです。 しかし今は大半の方々は親戚などを頼って出て行ったため、残っている人数は20名程になったそうです。 そして先々の話もしたそうですが、「今避難所に残っている人達の落ち着き先が決まるまで、俺はここに残っている」とお兄さんは話されたそうです。 地域のリーダー的存在のこんな人々が居ることを本当に頼もしく思います。
ところでTVで報じられる避難所生活は”主食がおにぎり”であったり、”お風呂に入れない”などの大変な状況であったりしますけれど、 ここの避難所では近くの住宅で被害の無かったお宅のお風呂を使わせて貰えたり、 食事も自分たちで煮炊きして普段の食事に近い形の生活を送れるように努力されているそうです。 避難生活を支援する自衛隊の活動も届いているとの話です。
Aさんからは、この避難所の食事だったか、親戚の家で提供された食事の話だったか曖昧でしたが、 「アワビの刺身も食べさせてもらったよ!」 なんて羨ましい話も聞きました。 海の幸の豊富な三陸の海辺ならではの話ですね。 そんな良さがあるから、津波は懲りごりだろうけれど、また人々は同じような場所に家を建てて生活を再開するのでしょうか?