明日から6月。梅雨入りも近いだろ。
我が家の玄関の鉢植えのアジサイが青い花を大きく開げている。これが花びらじゃないと言うのは知っているが、詳しい構造はよく知らない。
奈良の矢田寺はアジサイ寺として有名で何度か行った記憶がある。この時期はアジサイが似合う。
コゲラのドラミングで始まった今朝も、それなりに楽しませてくれた。
市民の森ではいきなりホトトギスの鳴き声。姿は見られなかったが。 オオムシクイもよく鳴いていた。
オオムシクイは、市民の森、みどりのリズム、太陽の広場東の森、飛騨の森、人工川で計6羽が 「ジジロ・ジジロ」
ホトトギスは、市民の森の後梅林でも鳴き声。同じ個体が移動したかも。
南外堀、教育塔前藤棚で休んでいたら、堀の柵にイソヒヨドリ♀現れ、藤棚に飛び移ってどんどん近づいてくる。カメラを向けていたが、近付きすぎてピントが合わない。
急いでカメラの設定を∞(全域)に切り替える。このレンズの最短撮影距離はわずか98センチのすぐれもの。最大撮影倍率は0.31。
ちなみに最短撮影距離とは、ピントが合う一番近い距離の事。
どこから測るかというと、昔ならフィルムの位置。今なら撮像素子(画像センサー)から。でもそれがどの辺りにあるか、外から見ても分からない。
心配無用。カメラの上(軍艦部という)を見ると○を横線―で切った印がある。この横線の位置がセンサーの位置。
ここから測ることになっている。
でもそんなに正確に測る必要があるのか? 思われるだろ。今のように露出もピントもカメラ任せでOKというのは最近の事。
これまでは、すべて自分で設定して撮影していた。例えば、花のめしべのアップなど接写撮影する時は、測った露出を撮影距離によって調整する必要があった。(露出倍数)
もう一つ最大撮影倍率とは、実際の大きさがセンサーの上で実際にどの大きさで写るかとの意味。0.31倍なら1センチのものが、センサー上に0.31センチに写る意味。
接写用のレンズなら1:1と言うのもある。1センチのものがセンサー上に1センチに写る。
自慢するつもりではないが、50年を超える写真歴でたくさんの失敗をし苦労し勉強もした。
何も考えなくて撮影できる今の技術進歩に驚くとともに、
「最近のカメラを使っている奴は・・・俺は苦労した」 なんて思うと嫌われそう。
30年ほど前、奈良のある地域での新聞折り込みのミニコミ紙に連載していた時があった。その中でこんな原稿を書いた覚えがある。
「最近のカメラはフィルムを自動で巻き上げ、露出も自動で調整してくれる。カメラを操作する楽しみが減ったという人もいるが、私は必ずしもそうは思わない。
カメラの操作に気をとらわれる必要がなくなった分、想いをストレートに被写体にぶつけられる。どこにレンズを向けて、いつシャッターボタンを押すかだけに集中できる。いい写真とは撮影者の意図がどれだけ表現できているかで決まる。カメラに詳しいかどうかは関係ない」
つまり自動化をすべて否定していたのではない。 余計な事を考えなくて被写体に集中できると当時から書いている。
写真とは、自分の生きてきた過去や考え方や夢や人生が写るもの。写真は己の 「生きざま」
野鳥写真で被写体は鳥。しかし写っているのは鳥ではない。撮影者の生きざまが写る。写真精神。 50年以上、こうして写真に関わってきた。
「写真は生きざま」
梅林南側上でサンコウチョウの 「ホイホイホイ」 今朝もサンコウチョウに会えるとは思っていなかった。
前回ブログで書いたサンコウチョウもまさしくこの辺り。あの時は目前のいい位置に出てきてきて感激したが、カメラを持っていなくて悔しい思い。
今朝は右肩にカメラ。よし! と思うがこんな時は前に出てこない。と言うより姿も見えず 「ホイホイホイ」 声ばかり。そんなもんだよねー。
意地になって待っていたら後ろの梅林からホトトギスの声。
お前なんか撮ってやらないからねー。ホトトギス君の方がいいもんねー。などと心の中で悪態をつきながら梅林へ。
梅林に着いたらホトトギスが鳴かない。聞こえた辺りをしばらく探したが諦める。
声が聞かれただけでもいい。
いつものコンビニでビールを買って第二寝屋川を前にひと時を楽しむ。
ちなみに今日のビールは 「クリアアサヒ 夏限定」 145円。
川面を見ながらぼーっとする。145円でこんなに心深くなれる。結構安上がりな男ではある。
※追加情報=アカショウビン市民の森。 コサメビタキ市民の森。 サンコウチョウ豊国神社東2・飛騨の森1。
●今日の素晴らしい鳥たち。
コゲラ、カルガモ、シジュウカラ、ホトトギス、オオムシクイ、カワウ、イソヒヨドリ、ツバメ、サンコウチョウ、メジロ、アオバト、キンクロハジロ、アオサギ、キジバト、ハシボソガラス、ハシブトガラス、ヒヨドリ、ムクドリ、スズメ、コサメビタキ、アカショウビン。
我が家の玄関の鉢植えのアジサイが青い花を大きく開げている。これが花びらじゃないと言うのは知っているが、詳しい構造はよく知らない。
奈良の矢田寺はアジサイ寺として有名で何度か行った記憶がある。この時期はアジサイが似合う。
コゲラのドラミングで始まった今朝も、それなりに楽しませてくれた。
市民の森ではいきなりホトトギスの鳴き声。姿は見られなかったが。 オオムシクイもよく鳴いていた。
オオムシクイは、市民の森、みどりのリズム、太陽の広場東の森、飛騨の森、人工川で計6羽が 「ジジロ・ジジロ」
ホトトギスは、市民の森の後梅林でも鳴き声。同じ個体が移動したかも。
南外堀、教育塔前藤棚で休んでいたら、堀の柵にイソヒヨドリ♀現れ、藤棚に飛び移ってどんどん近づいてくる。カメラを向けていたが、近付きすぎてピントが合わない。
急いでカメラの設定を∞(全域)に切り替える。このレンズの最短撮影距離はわずか98センチのすぐれもの。最大撮影倍率は0.31。
ちなみに最短撮影距離とは、ピントが合う一番近い距離の事。
どこから測るかというと、昔ならフィルムの位置。今なら撮像素子(画像センサー)から。でもそれがどの辺りにあるか、外から見ても分からない。
心配無用。カメラの上(軍艦部という)を見ると○を横線―で切った印がある。この横線の位置がセンサーの位置。
ここから測ることになっている。
でもそんなに正確に測る必要があるのか? 思われるだろ。今のように露出もピントもカメラ任せでOKというのは最近の事。
これまでは、すべて自分で設定して撮影していた。例えば、花のめしべのアップなど接写撮影する時は、測った露出を撮影距離によって調整する必要があった。(露出倍数)
もう一つ最大撮影倍率とは、実際の大きさがセンサーの上で実際にどの大きさで写るかとの意味。0.31倍なら1センチのものが、センサー上に0.31センチに写る意味。
接写用のレンズなら1:1と言うのもある。1センチのものがセンサー上に1センチに写る。
自慢するつもりではないが、50年を超える写真歴でたくさんの失敗をし苦労し勉強もした。
何も考えなくて撮影できる今の技術進歩に驚くとともに、
「最近のカメラを使っている奴は・・・俺は苦労した」 なんて思うと嫌われそう。
30年ほど前、奈良のある地域での新聞折り込みのミニコミ紙に連載していた時があった。その中でこんな原稿を書いた覚えがある。
「最近のカメラはフィルムを自動で巻き上げ、露出も自動で調整してくれる。カメラを操作する楽しみが減ったという人もいるが、私は必ずしもそうは思わない。
カメラの操作に気をとらわれる必要がなくなった分、想いをストレートに被写体にぶつけられる。どこにレンズを向けて、いつシャッターボタンを押すかだけに集中できる。いい写真とは撮影者の意図がどれだけ表現できているかで決まる。カメラに詳しいかどうかは関係ない」
つまり自動化をすべて否定していたのではない。 余計な事を考えなくて被写体に集中できると当時から書いている。
写真とは、自分の生きてきた過去や考え方や夢や人生が写るもの。写真は己の 「生きざま」
野鳥写真で被写体は鳥。しかし写っているのは鳥ではない。撮影者の生きざまが写る。写真精神。 50年以上、こうして写真に関わってきた。
「写真は生きざま」
梅林南側上でサンコウチョウの 「ホイホイホイ」 今朝もサンコウチョウに会えるとは思っていなかった。
前回ブログで書いたサンコウチョウもまさしくこの辺り。あの時は目前のいい位置に出てきてきて感激したが、カメラを持っていなくて悔しい思い。
今朝は右肩にカメラ。よし! と思うがこんな時は前に出てこない。と言うより姿も見えず 「ホイホイホイ」 声ばかり。そんなもんだよねー。
意地になって待っていたら後ろの梅林からホトトギスの声。
お前なんか撮ってやらないからねー。ホトトギス君の方がいいもんねー。などと心の中で悪態をつきながら梅林へ。
梅林に着いたらホトトギスが鳴かない。聞こえた辺りをしばらく探したが諦める。
声が聞かれただけでもいい。
いつものコンビニでビールを買って第二寝屋川を前にひと時を楽しむ。
ちなみに今日のビールは 「クリアアサヒ 夏限定」 145円。
川面を見ながらぼーっとする。145円でこんなに心深くなれる。結構安上がりな男ではある。
※追加情報=アカショウビン市民の森。 コサメビタキ市民の森。 サンコウチョウ豊国神社東2・飛騨の森1。
●今日の素晴らしい鳥たち。
コゲラ、カルガモ、シジュウカラ、ホトトギス、オオムシクイ、カワウ、イソヒヨドリ、ツバメ、サンコウチョウ、メジロ、アオバト、キンクロハジロ、アオサギ、キジバト、ハシボソガラス、ハシブトガラス、ヒヨドリ、ムクドリ、スズメ、コサメビタキ、アカショウビン。