鳥が木を突いて、小さな虫をくわえた。食べるのかなと思ったら…食べない?その虫を加えて小川の淀みへ。そして、「ポトリ」と、水面に虫を落とした。
まさか!?そのまさかでした。魚が虫に向かって突進。待ってましたと、鳥がダイブして、魚を捕まえました。鳥が「魚釣り」をするのです。テレビのドキュメンタリー番組で観たのですがね。
まさか!?そのまさかでした。魚が虫に向かって突進。待ってましたと、鳥がダイブして、魚を捕まえました。鳥が「魚釣り」をするのです。テレビのドキュメンタリー番組で観たのですがね。
固い殻の木の実や、貝を高いところから地面に落として割って食べる鳥にも感心しましたが、このたびの、「魚釣り」をする鳥には、「びっくり!」しました。「鳥は、鳥頭だから、『三歩』歩けば忘れる」という、あたかも「鳥は、バカの代名詞」のような表現がありますが、あれは一体何なのでしょうか?鳥は、賢いなんてもんじゃない。チンパンジーより上じゃないのかぁ?
鳥の「魚釣り」。竿も糸も釣り針も使わない。つまり、道具を使わない。しかし、そのプログラミングは、「道具をつくるための道具を作ったのと同じ」。まさに知性だと思います。
「知性」…そこで、フランスの哲学者、ベルクソンを思い出しました。鳥の「魚釣り」が、ベルクソンにつながってしまうんですねえ。
「知性とは、人為的なものをつくる能力、とくに『道具をつくるための道具をつくる能力』であり、またこの製作を無限に変化させる能力である」と。
なぬ?「ベルクソン」ではなく「ベルグソン」ではないかって?私も、習った当時は、「ベルグソン」でした。で、フランス語で「Henri-Louis Bergson (アンリ・ルイ・ベルクソン)」ですから、発音により近く「ベルクソン」とするのが今は主流です。
なぬ?「ベルクソン」ではなく「ベルグソン」ではないかって?私も、習った当時は、「ベルグソン」でした。で、フランス語で「Henri-Louis Bergson (アンリ・ルイ・ベルクソン)」ですから、発音により近く「ベルクソン」とするのが今は主流です。
人間にとって、「道具をつくるための道具をつくる能力」「この能力を無限に変化させる能力」・・・これは、「手」に依存することが多いです。「知性=手」。
「働けど働けどなお我が暮らし楽にならざりじっと手を見る」(啄木)
暮らしの中で、自分の手をじっと見ることなどほとんどないです。で、今、自分の手を見てみました。
膠原病(リュウマチの親類)のため、親指・人指し指・小指が曲がっています。「今までよく頑張ってくれたね。ありがとう」と、お礼を言いましたよ。
この手にどれだけ支えられてきたか。手を使わない日などありません。言い方を変えると、手は、私の人生の縮図です。
膠原病(リュウマチの親類)のため、親指・人指し指・小指が曲がっています。「今までよく頑張ってくれたね。ありがとう」と、お礼を言いましたよ。
この手にどれだけ支えられてきたか。手を使わない日などありません。言い方を変えると、手は、私の人生の縮図です。
大脳生理学の権威である京都大学名誉教授は、「動物が高等になるほど手と口に対応する脳の領域が広くなる」と指摘しています。
そうだったのかぁ、やはり「手」だったんだぁ!「知性=手=脳」。
そうだったのかぁ、やはり「手」だったんだぁ!「知性=手=脳」。
啄木は、それを知っていて「手」を見たんだぁ。(←ボケですから)
私の場合、「口」は、まあまあ健康ですが、「手」がねえ…。脳の領域、狭くなってきているんだろうなあ…。「手」に刻みこまれた人生。曲がった指が愛しく感じられます。
私の場合、「口」は、まあまあ健康ですが、「手」がねえ…。脳の領域、狭くなってきているんだろうなあ…。「手」に刻みこまれた人生。曲がった指が愛しく感じられます。
で、ベルクソン。晩年は、進行性の関節リウマチを病み苦しんでいたという。ベルクソンの指も曲がっていたんだろうなあ…。私と同じだったんだぁ!これから、本ブログのタイトルを、「アンテークマン・ベルクソン」にしようかなあ?
手遅れかもしれませんが、生きている限り「手」を大切にします。…ところがぁむしろ、「手に大切にされ、手厚く労られて」生きているんだよなあ…。