アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

あきらめが肝心

2020年05月18日 | Weblog
 夏の甲子園。新聞では、すでに「中止」の報道をしていますがね。開催可否等を最終決定する高野連の第2回運営委員会は、5月20日(水)。あと、2日後かぁ。
 個人的な心情としては、開催してほしい。しかし、「インターハイが中止なのに、甲子園だけ特別扱いはおかしい」と、いわれると…「そうだよなあ、野球だけが忖度されるのはおかしいよなあ」と、思ってしまいます。あきらめた方が、精神的にいいですね。
 「絶対あきらめない」このセリフ、耳障りはいいです。アスリートがよく使います。しかし、もう賞味期限切れていませんかね?異口同音、心がこもっていないというか、口先だけになってしまってます。
 「絶対あきらめない」と、頑張って結果を出した人って1%にも満たないんじゃないかなあ。
 結果を出した人だけが、「絶対あきらめないと思って頑張ったのが良かった」と、マスコミに声高に言います。ですから、マスコミを通すと、「多くの人が絶対あきらめないと思って頑張り結果を出した」ように見えます。
 しかし、but, ほとんどの人が、「絶対あきらめない。そう思って頑張ったけど…結局、あきらめなければなりませんでしたー!」でしょうね。
  そもそも、地球上には、「絶対」は、ないです。「絶対あきらめない」う~ん、口で言うのは勝手ですが…あきらめなければならない状況になってもあきらめないんでしょうか?
 「絶対あきらめない」というフレーズを聞くたびに思い出す人がおります。
 甲子園に春夏通算14回出場し、37勝。優勝3回、準優勝2回。この大変な実績を残した監督さんがおりました。古稀を迎えられておられる方は、全員が、「ああ!」と思いだされるでしょう。還暦を迎えられた方はぁ…5割ぐらいの方がご存じかと。還暦前の方々は、ご存じないかも。
 傘寿はどうなんだって?も、もちろん、「ああ!覚えているよ」でしょう。卆寿の皆様は、「同世代です」でしょう。そこまで引っ張るなって?ハイハイ…
  池田高校(徳島県三好市)野球部の元監督、「蔦 文也(つた ふみや)監督」です。(19年前に78歳でお亡くなりになりました)
  「あきらめが肝心」がモットーのような方。高校野球界では、「攻めだるま」の異名をもっていました。3点もリードされたら、その試合を、スパッとあきらめる監督でした。
 リードされたら、もうベンチ内で帰り支度。今の高校球界でこんな監督いませんよ。みなさん、「最後まであきらめない」そういう監督さんばかり。
 「早くゲームが終わってほしいよ」と、ベンチの後ろで荷物をまとめてふてくされているうちに、選手だけで逆転したことも。「逆転かあ…しゃあないなあ」と、采配に出てくる。「絶対あきらめない」のではなく、「すぐにあきらめる」…スカーッとしませんか!
 「コツコツ当てるのは嫌だから」と、選手にバントをさせない。今は、プロ野球でもバントしますよね。スクイズもする。プロならセコセコしないで、常にホームランを狙えよと、私も思っています。
 なぬ?プロは、勝てばいいのだから、送りバントもスクイズもありだって?ハイハイ、「勝敗にこだわる」なら、「バント」もありですが、「勝負にこだわる」なら、全力で振り回すべきだと思いますがね。「夢を与えるプロ野球」ですから、「犠打」で夢は与えられない。豪快な三振の方が夢を与えられますよ。
 1974年のセンバツで、部員11人で準優勝しました。控えの選手は2人だけ。当時は、「さわやかイレブン」と、もてはやされました。
 僅か11人の部員で、準優勝させた名将なのですが、ご本人は名将のつもりは全くなかった。「さわやかでも何でもない。ワシのシゴキがきついけん、ついていけんようになっただけじゃ」(シゴキに耐えかねて、次々と辞めるから、11人になっただけ)」と、あっさり言ってのけた。
 自分を良く見せようなどという気持ちがない。「そのまんま」の人
 私立の野球名門高校からの再三の誘いにも、「私立だと、思いどおりにできんから」と、断った。
 お金は…「いらん」。有名に…「なりたくもない」(すでに有名だったけど)。
 晩酌のウイスキーの水割りは…「食事中の割り箸でかき混ぜるよ」。
 気取りってものがない。斬新!清涼剤。気分がいいです。こういう人に出現していただきたいですねえ。
 この夏の甲子園大会の開催可否。蔦監督ならどんなコメントをするでしょうか?
 もちろん、「あきらめた」でしょうね。
  蔦監督の座右の銘は、「鍛錬千日の行、勝負一瞬の行」でした。
 この言葉は使えます。用途多岐。一瞬でケリがつくことであっても、これでもか、これでもかという準備、二重三重のバックアップ体制を構築して臨めということです。交通標語の「注意一生ケガ一秒」も同源。