アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

喧々諤々…市民権ゲット

2020年05月29日 | Weblog
   <喧々…、侃々…を使った文を作ってみました>
 昼休みの玄関前は、リホーム関係業者、リホーム中の家の人たちなど7~8人が、「自粛警察問題」をテーマに、喧々囂々。
 そこへ、アンティークマンが乱入し、解ったような解らないような理論を、侃々諤々。
 そうなると、収拾などつくはずもなく、その場は、喧々諤々となった。
 この例文、喧々囂々(けんけんごうごう)、侃々諤々(かんかんがくがく)、喧々諤々(けんけんがくがく)の、使い方、正しいですよね。私が、一生懸命考えたのですから、間違っているはずがない。
 自分自身、「喧々…、侃々…」が、曖昧だったので、「意味を理解するための文」を作ってみたというわけ。

 喧々囂々(けんけんごうごう)は、「たくさんの人が口々にやかましく騒ぎ立てるさま」・・・早い話が多人数
 侃々諤々(かんかんがくがく)」は、「遠慮なく直言すること」。・・・早い話が極少人数。
 この二つの区別は付いておりました。
 問題は、よく耳にするようになった、喧々諤々(けんけんがくがく)。「喧々囂々」と「侃々諤々」という別々の言葉が混ざった。「誤った表現」と、思い込んでおりました。
 念のため広辞苑を引いて驚きました!誤用だと思っていた、「喧々諤々」が、載っているではないかぁ!(現在、広辞苑は第七版)「喧々諤々」は、間違いじゃなかったのかぁ!?意味は、「各々が意見を言い合って、まとまりがつかず騒がしくなるさま」…。喧々囂々と、同じようなものですね。
 広辞苑では「けんけんがくがく」が混交表現であることは認めつつも、一つの日本語として認める立場を取っています。
 日本語、これでいいのかなあ?尊敬申し上げている広辞苑を相手に、意見を言うつもりはありませんが釈然としません。まっ、言語は「生き物」ってことで。

 この頃は気にならなくなってしまった「全然」。市民権を得てしまっておりますねえ。元々は、「全然~ない」と否定を伴う決まりでしたよね。これには、喧々囂々は、ないね。
 注意しなければならないのは、漱石や鴎外は、「否定を伴わない『全然』を使っています」なぬ?「入試対策で、明治文学はほとんど読んだ」って?ハイハイ、懐かしいですねえ。私も御多分に洩れず… 川端康成、谷崎潤一郎、泉鏡花、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、井伏鱒二、三島由紀夫、宮沢賢治、林芙美子、坂口安吾、島崎藤村…全てと言ってもいいほど読みました。入試に出たのは、小林秀雄だったような。
 なぬ?小林秀雄は明治文学とはいえないだろうって?侃々諤々言わせていただくと、小林秀雄は、明治の生まれですから、堅いことを言わなくてもいいんじゃないでしょうか?

 閑話休題。明治の文豪が使った「否定を伴わない『全然』」は、「すべて」という意味。よく引き合いに出されるものに、石坂洋次郎さんの「青い山脈」の一文があります。「『全然同意ですな』と、変な軍隊用語で答えた」との表現。「全然=すべて」であることがよくわかります。
 それが今では、マスメディアに出てくる人たちが、「全然美しい」「全然豪華」「全然安い」。食レポさんも「全然おいしい」。関取も、「全然ごっつあんです」。
 もっとも、言語は生きているもの、「最近の全然=非常に」という意味という説があります。これには、喧々諤々がほしいところですね。

 詩人の吉野弘さんに、こんな詩が…
 「正」は「一」と「止」から出来ています。
 信念の独走を「一度、思い止(とど)まる」のが
 「正」ということでしょうか。
※ この詩、世の中の大人たちにかみしめていただきたいものです。なぬ?「おまえがかみしめろ」ってか?

 川柳作家の、橘高薫風さんの作品…
 人の世や嗚呼(ああ)にはじまる広辞苑
 辞書はア行から始まる。「嗚呼」の感嘆詞は、誕生の第一声「おぎゃあ」の産声にかけている。この世に生を受けて泣く。その時既に、人は苦労の連続であることを実感するのだという…このご意見に対して、喧々囂々はぁ不要ですね。