昨夜の帰り際、夜空を見上げれば、やや雲が広がる雲間から見え隠れする月がキレイだなと一瞬思いました。ただ、風流とは全く縁のない私は、そのまま何の感動もなく家路につきましたが、今朝ネットサーフィンをしていると、昨日が中秋の名月だったようですね。(とくに陰暦八月十五日の夕方に出る月を中秋の名月と呼ぶ様です。)陰暦の秋は、7月8月9月なので、陰暦の8月を中秋と呼ぶ訳ですね。まあ、風流な方は一句ひねり出すのでしょうか?
最近と言うか、年を取ってから、
どうでも良い枝葉末節が気になるお年頃となっています。
要するに、人の行動が気になってしまう。
例えば歩いていて、曲がり角を左に曲がろうとする時、
左方向から、右折してくる人や自転車が最短距離を狙うのか、
私から見れば、突然現れてぶつかりそうになる。
広い道路を原付や車で走っていると、
脇道から人や自転車が、止まらずにいきなり飛び出してくる。
滅多にぶつかったり事故になったりはしないけれど、
私は事故りたくないので、それを想像して速度を緩めたり、
自分が曲がる時に大回りしたり。
意識的に広い道路に出る前に一旦停まったり。
でも、多くの人がぶつかることを想像しないのか?出来ないのか?
一旦停止するのが面倒なのか?
停まる人は少ないですし、もしぶつかったら相手が悪いと思うのか?
そう、
一言で言うと、想像力の欠如を犇犇(ヒシヒシ)と感じます。
他にも、
1車線道路で右折車が右に寄らないので、
後ろの車が左側を抜けられないとか、
スーパーで買い物をした後、出口手前でレシートを見るためにボッタチ、
他の人の通行の妨げになっている事に気が付かないとか、
他にもあるはずですが、創造力さえあれば、
もう少し違う行動が出来るはずです。
それと似た感じで、
文章を読む力、読解力プラス、ここでも想像力の乏しさも感じます。
例えば比喩。
文章力がないので上手な例を挙げられませんが、
「そこは鏡の廊下でした。」
と言う表現があった場合、
ストレートに受け取るのか?
「廊下が鏡だったらスカートの中が見えちゃうじゃん!」
とか、
「ガラスの廊下なら割れたら危ないからそんな廊下ないでしょう!」
とか、
言葉通りに受けとる人が増えている気がします。
言外のニュアンスを想像出来ない?
比喩が理解出来ない?
「鏡のようにつるつるだった」と言う感じで、
ハッキリ書かないと解ってもらえない。
そんな人少ないでしょう、判るでしょう。
そんな人いないよね。
って言われそうですが、私は増えている気がしています。
蛇足ですが、
エスパルスのホームページで、JR新宿駅南口に、
「~ようこそ、国立(ここ)は静岡~」
と言うビッグポスター掲出のお知らせと言うニュースがあります。
掲示板での反応の中に、
これを実際にどう理解しているかは不明ですが、
▪どう解釈しても国立は静岡ではないしホームでもない
▪Googleには、東京都新宿区霞ヶ丘町10-1って書いてあるけど、国立は静岡なのか?
多分、全てを解っていて、敢えて書いているとは思いますが、
(要するに敢えて喧嘩を売っている?)
「~ようこそ、国立(ここ)は静岡~」
の主旨は、
「静岡と思わせるくらい、みんなで応援しよう」と言う事でしょう。
まあ、私の読解力もあてになりませんが
まあ、私も文章一つに拘るつもりもなく、
ただその前に書いた想像力の欠如の一例として挙げただけです。
まあ、こういう事に拘るのもジジイになった証拠でしょう。
さて、今日のエスパルスはアウェイでヴォルティス戦が行われます。
勝てばかなり昇格が近づきますし、
負けても、即、昇格が難しくなる訳ではありませんが、
良い流れに乗れるのか?
悪い流れになってしまうのか?
実は大切な試合になってしまいました。
ガンバレエスパルスです!