オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

【スプリットショットの鬼】たしか,1990年頃に購入した「ウオーターグレムリン」BOX。

2024年08月16日 00時00分00秒 | オズマのバスタックル

 いまでもスプリットショットをかなりの頻度で投げているが,シンカーは少し進化して「ゴム張り」系だ。

 サイズはほぼ固定の5Bないし4B。

 でも,きっかけは,ジグヘッド&グラブしか投げなかった自分に「まだそれだけかよ」と釣り研究会の先輩などが手厳しい指導をしてくれたからだ。

 いわく,「スプリットショット・マスバリが一番釣れる」とのことだった。河口湖だからだったろう。

 たしかに,ジグヘッドと異なったのは圧倒的バイトの数。

 そして,ガン玉でなく「これがいい」と薦められたのが,ウオーターグレムリン。たしか1袋300円ぐらいだったかもしれない。

 北浦に通い出した頃,いやその夏にはハードベイトで嫌なほど釣ることが出来ていたが,それでもワームはワームで必要だった。

 当時20代なりたての自分。父がまだ50代。二人で運転して,二人でバカみたいに釣っては持ち帰って食べていた。バスのフライは本当に美味かったネ。

 そのうち「もっとスプリットショットを極めよう」ということで,右のBOXを購入した。

 でも,極小サイズは結局使いにくく,連結で使っていた。名付けて「スプリット・シモリリグ」だ。

 だが,河口湖の釣りは頑張っても30UPだし(33cmぐらいで喜んでいた時代),基本夜釣り(当時も違反だったろうが緩かった;時効にしてください)だったから社会人になると釣行回数は激減した。いや,「もう止めよう」となった。

 そして北浦爆釣時代。さすがにフックはオフセットが必須だったが,スライダー,グラブ,G2,ベビーギドバグなど,なんでも釣れたもの。


当時はこのフックが必須だった。

 当時は「マスバリ」が市民権を得ていた時代だったが,そこに現れたこのフック。信頼のがまかつ製なので裏切ることもなかった。

 ただし,ワームは1匹釣ると切れるのでワーム代はかかった。でも,そのおかげで「あのワームも試そう」なんてことができた。

 まあ,霞水系爆釣時代を体験してしまったため,人生が狂ったとも言える。30年前なら横利根でラトリンラップで入れ食いだったし。

 以上,おっさん回顧録でした。

 


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