OECDが昨年実施した国際学習到達度調査(PISA)の結果が公表された。日本は科学的応用力は前回の2位から6位に、数学的応用力が6位から10位に下がった。読解力も14位から15位になった。
12月5日の各紙の社説はそろってこの問題を取り上げた。同時に出たので他社を参考にして書かれたのではない。比べて読むと、各紙の見識の差が見えて面白い。
読売は、学力低下はゆとり教育の結果とした上で、「理数系の落ち込みに対し、危機感が足りないと言わざるを得ない」と技術立国・日本の将来を憂慮している。大学の工学部系の学生の割合が減っていることにも言及している。
毎日は、「もっと深刻な現実がのぞいた。学習意欲のあまりの低さ、つまり「やる気」の薄さだ」と、学力低下よりも意欲の低下に注目した。理系の職業に対する日本の子供たちの関心・意欲が「ずば抜けて低い」ことを問題視する。『「生きる力の育成」を強調した「ゆとり教育」も、本来この状況の打開や改善を目指したものだった』とゆとり教育の成果を否定している。
日経は、学力低下の原因のひとつはゆとり教育だとして上で、『「ゆとり」路線そのものはPISAの学力観とも相通じる。ところが実際には学習の軽量化だけが進み』とし、毎日と同様、ゆとり教育の結果を否定している。科学に対する興味や関心が低いことを指摘し、社会全体でもっと危機感を共有すべきだと述べている。
朝日以外の3紙は学力低下と意欲の低下に強い危機感を抱き、それらにゆとり教育が関係したと指摘している点で共通する。これらは概ね妥当な見解だと思う。中でも毎日は「学習意欲のあまりの低さ」を挙げているが、これは注目されていいだろう。
しかし朝日の社説は異質である。まず「文部科学省は導入して間もないゆとり教育を見直し、国語や理科などの授業時間を増やし」たこと対し「問題は、このカジの切り方でよかったかどうかである」と根拠も示さずに懐疑的な姿勢を示す。
また「上位の国と比べると、学力の低い層の割合がかなり大きいことだ」、「低い層が全体を引き下げている」とし、「底上げの大切さが改めて示された」という。
応用力については「理科の授業で、身近な疑問に応えるような教え方をしてもらっているかどうか。そう尋ねると、日本は最低レベルだったのだ」ということから、応用力が弱い原因は授業のあり方に問題があるためだと主張する。
そして、そのために「十分な教員の数とともに、その質を上げることが必要だろう」と提案する。極めて大雑把な議論であり、具体性を欠く。それが有効な解決策になるのだろうか。
朝日社説には、学力低下を危機と捉える認識が全く感じられないが、これは他の3社と大きく異なる点だ。むしろ朝日は問題を矮小化している印象があるが、理数系学力の重要さは次の事実を見ればわかる。
輸送機械・電機・機械・精密・化学・金属の6業種は輸出額の約85%を占め(経済産業省:貿易動向データ集)、上位三十社の輸出額は約50%にも達する。もし労働集約型の産業で中国やベトナムなどと対等に競争するには賃金を同程度に下げなければならない。現在の豊かな暮らしはこれらの強い競争力をもつ輸出企業に支えられており、理数系学力はその競争力の基礎となるものだ。技術立国と言われる所以である。立ち止まれば、周辺諸国に追いつかれてしまう。
「低い層が全体を引き下げている」というが、ゆとり教育で授業時間を削れば塾などに行けない層の学力が低下するのは自明である(塾にいける層は学力を維持できる)。それに触れず、教員の増員を求めるのは理解に苦しむ。授業時間の削減は塾にいける者といけない者との格差を広げ、教育の機会均等を損なう。
また、応用力は授業のあり方の問題であり、それを向上させるために教員の質を上げることが必要だ、というが、教員の質を上げる具体的な方法を言わなければ、あまり意味がない。質を上げる方法としてまず思い浮かぶのは待遇をよくして優れた人材を集めることだが、簡単にできることではない。
朝日社説の提案の狙いは結局二つ、教員の増員と、そして質を上げるためとしての待遇改善ではないかと疑ってしまう。いったい誰のための提案なのだろうかと(「誰のためのゆとり教育であったのか」参照)。
社説は新聞社の顔である。しっかり吟味された新聞社の最上級の意見なのだ。この社説が信用あるものして広く読まれ、社会をリードすると考えると恐ろしい。
この社説は恐らく認識不足によるものだと思うが、何らかの目的のために周到に意図されたものという疑いも残る(それならもっと巧妙になさる方がよいと思いますが)。
社説の最後は「応用力が問われているのは、文科省もまたしかりである」と結ばれているが、学力が問われているのは朝日新聞もまたしかりである、と付け加えておこう。
12月5日の各紙の社説はそろってこの問題を取り上げた。同時に出たので他社を参考にして書かれたのではない。比べて読むと、各紙の見識の差が見えて面白い。
読売は、学力低下はゆとり教育の結果とした上で、「理数系の落ち込みに対し、危機感が足りないと言わざるを得ない」と技術立国・日本の将来を憂慮している。大学の工学部系の学生の割合が減っていることにも言及している。
毎日は、「もっと深刻な現実がのぞいた。学習意欲のあまりの低さ、つまり「やる気」の薄さだ」と、学力低下よりも意欲の低下に注目した。理系の職業に対する日本の子供たちの関心・意欲が「ずば抜けて低い」ことを問題視する。『「生きる力の育成」を強調した「ゆとり教育」も、本来この状況の打開や改善を目指したものだった』とゆとり教育の成果を否定している。
日経は、学力低下の原因のひとつはゆとり教育だとして上で、『「ゆとり」路線そのものはPISAの学力観とも相通じる。ところが実際には学習の軽量化だけが進み』とし、毎日と同様、ゆとり教育の結果を否定している。科学に対する興味や関心が低いことを指摘し、社会全体でもっと危機感を共有すべきだと述べている。
朝日以外の3紙は学力低下と意欲の低下に強い危機感を抱き、それらにゆとり教育が関係したと指摘している点で共通する。これらは概ね妥当な見解だと思う。中でも毎日は「学習意欲のあまりの低さ」を挙げているが、これは注目されていいだろう。
しかし朝日の社説は異質である。まず「文部科学省は導入して間もないゆとり教育を見直し、国語や理科などの授業時間を増やし」たこと対し「問題は、このカジの切り方でよかったかどうかである」と根拠も示さずに懐疑的な姿勢を示す。
また「上位の国と比べると、学力の低い層の割合がかなり大きいことだ」、「低い層が全体を引き下げている」とし、「底上げの大切さが改めて示された」という。
応用力については「理科の授業で、身近な疑問に応えるような教え方をしてもらっているかどうか。そう尋ねると、日本は最低レベルだったのだ」ということから、応用力が弱い原因は授業のあり方に問題があるためだと主張する。
そして、そのために「十分な教員の数とともに、その質を上げることが必要だろう」と提案する。極めて大雑把な議論であり、具体性を欠く。それが有効な解決策になるのだろうか。
朝日社説には、学力低下を危機と捉える認識が全く感じられないが、これは他の3社と大きく異なる点だ。むしろ朝日は問題を矮小化している印象があるが、理数系学力の重要さは次の事実を見ればわかる。
輸送機械・電機・機械・精密・化学・金属の6業種は輸出額の約85%を占め(経済産業省:貿易動向データ集)、上位三十社の輸出額は約50%にも達する。もし労働集約型の産業で中国やベトナムなどと対等に競争するには賃金を同程度に下げなければならない。現在の豊かな暮らしはこれらの強い競争力をもつ輸出企業に支えられており、理数系学力はその競争力の基礎となるものだ。技術立国と言われる所以である。立ち止まれば、周辺諸国に追いつかれてしまう。
「低い層が全体を引き下げている」というが、ゆとり教育で授業時間を削れば塾などに行けない層の学力が低下するのは自明である(塾にいける層は学力を維持できる)。それに触れず、教員の増員を求めるのは理解に苦しむ。授業時間の削減は塾にいける者といけない者との格差を広げ、教育の機会均等を損なう。
また、応用力は授業のあり方の問題であり、それを向上させるために教員の質を上げることが必要だ、というが、教員の質を上げる具体的な方法を言わなければ、あまり意味がない。質を上げる方法としてまず思い浮かぶのは待遇をよくして優れた人材を集めることだが、簡単にできることではない。
朝日社説の提案の狙いは結局二つ、教員の増員と、そして質を上げるためとしての待遇改善ではないかと疑ってしまう。いったい誰のための提案なのだろうかと(「誰のためのゆとり教育であったのか」参照)。
社説は新聞社の顔である。しっかり吟味された新聞社の最上級の意見なのだ。この社説が信用あるものして広く読まれ、社会をリードすると考えると恐ろしい。
この社説は恐らく認識不足によるものだと思うが、何らかの目的のために周到に意図されたものという疑いも残る(それならもっと巧妙になさる方がよいと思いますが)。
社説の最後は「応用力が問われているのは、文科省もまたしかりである」と結ばれているが、学力が問われているのは朝日新聞もまたしかりである、と付け加えておこう。