噛みつき評論 ブログ版

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訴訟リスクという妖怪が忍び寄る・・・被害は医療崩壊だけではない

2008-04-14 11:31:31 | Weblog
 患者が医療機関や医師を訴えるケースが相次いだ結果、訴訟リスクが医療崩壊の原因のひとつになっていることはかなり知られてきました(参考)。しかし訴訟リスクは他の分野にも広く影響を及ぼしています。

 NHK大阪では4/11日「3人乗りはダメですか~交通教則改正の波紋~」を特集しました。3人乗りが安全にできる自転車の製作が可能ならOKという警察の方針を受けて、番組では自転車メーカーの取材に向かいます。ところがある大手メーカーの担当者は3人乗り自転車の開発に消極的で、その理由は事故の際の訴訟リスクであるということでした。

 現行の自転車でも事故はいっぱいありますが、それが自転車メーカーに対する訴訟に結びつきにくいのは長い歴史を持つ自転車が所与のもの(元からあるもの)と認識されているからでしょう。自転車とはこういうものだから、事故は運転や整備の問題だというコンセンサスがあるわけです。

 しかし新しい形態の自転車ではそうはいきません。僅かでも危険に結びつく要素があると訴訟の理由になるとみなされます。訴訟リスクに敏感な大手メーカーは新しい試みに慎重にならざるを得ないのが実情です。

 松下電器が22~16年前に製造した石油暖房機の事故は損害賠償だけでなく大報道による企業イメージの低下を引き起こしました。10年後20年後に100%の安全性を保てる燃焼機器を作ることは大変困難です。大手家電メーカーのほとんどは石油暖房機の生産を中止しました。事故のリスクをより深刻に考えるようになったのが理由のひとつと思われます。

 北海道苫小牧市では廃棄された石油ファンヒーターを拾ってきて使い、CO中毒による死亡事故がありましたが、遺族は「事故が起きたのは危険性の周知や製品の回収を怠ったメーカーの責任だ」として、製造者に8000万円の損害賠償を求める訴訟を起こしました。

 もし原告が勝てばメーカーは廃棄された回収対象品をすべて回収しなければならなくなり、それは大きな負担がかかることを意味します。注目すべきは従来の常識では損害賠償の対象と考えられなかった事件まで訴訟にする風潮、またそれを推進する弁護士が出現してきたことです。

 拾った製品の責任まで生産者に負わせるという発想の背景には使用者は自らの責任において安全に配慮する義務がないという認識があります。これは食品の消費期限虚偽表示問題で明確になりました。食品の安全を確保するものは味や匂いによる消費者の判断ではなく生産者の表示であるという認識が一般化しました。

 極論すれば生産者あるいは医療側は完全であたりまえ、したがって無限の責任を負うべきであるかのような風潮が出来上がりました。その背景にはマスメディアのポピュリズムに基づく誇大な報道があります。訴訟の広まりは、この風潮抜きに語れません。

 訴訟リスクのため、現に外科、産科を志望する医師は減少し、このままだと日本の医師は皮膚科と眼科だけになってしまうさえと言われています。僅かなミスが重大事故を招く可能性のある製造業なども志望者の減少要因になるかも知れず、原子力学科の学生がこの十数年で10分の1になったことも少しは関係があるかもしれません。

 どんな分野でもリスクをゼロにすることはできません。リスクを1桁下げるには莫大なコストを必要とします。リスクの許容度はコストとの比較で決められるのが合理的です。例えば現在交通事故による死亡者は年間6000人ほどですが、これを600人にするには道路、車両、救急体制に莫大な投資が必要です。さらに60人にするには国家予算全部を使っても無理でしょう。

 訴訟の増加は泣き寝入りという不合理を減らす意味がある反面、過剰になるとリスクを負担する者が減少し、管理コストだけが増加して、社会が沈滞するという結果を招く恐れがあります。現に医療分野ではサービスの低下が現実のものになりつつあります。

 一方で、訴訟が多くなることを肯定し、法曹人口を6倍にすることを企てている人々がいます。以下は法化社会を目指しておられる但木敬一検事総長の言葉です。

 「では法化社会とは何なのか。端的に言うと、究極的に紛争のすべてが裁判所に持ち出され、あるいは持ち出されることを前提に準備しなければならない社会である」

 紛争当事者の話し合いによる円満解決を否定するものとも理解できるこの発言の目指すものは何なのでしょうか。法曹がすべての裁定者として君臨する社会なのでしょうか。
 「"法曹"功なりて、万骨枯る」とならなければよろしいが。