毎日新聞に「記者の目」というコラムがあります。むろん納得のいくものも多いのですが、今回取り上げる記事は記者の見識を示すものとして興味深いので紹介します。食品の安全に関する中村記者のコラムに対して2名の記者が反論を書いています。3番目の行友弥記者の記事(2月18日)の初めの部分を引用します。
『中国製冷凍ギョーザによる中毒事件など食の安全をめぐる問題について、本欄で中村秀明記者は「消費者の自覚を促すべきだ」(2月14日付)と主張し、井上英介記者は「消費者に『もっと学べ』は酷だ」(4月4日付)と反論した。「節操がない」と言われそうだが、いずれの主張にも一理あると思った。この問題は「白か黒か」の二者択一ではない。自分なりの視点を付け加えてみたい』
と続くのですが、以下を簡単に要約します。中村記者は、消費者は王様とされて増長し、買うだけの無知な存在になったとし、消費者の自覚を求めました。それに対して井上記者は、夫婦共働き、片親の家庭、将来の保証もないワーキングプアを持ち出して冷凍食品の必要性を述べ、余裕のない彼らに「もっと学べ」と求めるのは無理であり、行政に安全性を求めるべきだとしました。
行友弥記者は、「海外を含む長い生産・流通・加工過程のすべてを監視し、偽装表示や異物混入を防ぐことができるのか。完ぺきを求めれば膨大な費用がかかり・・・」として、消費者行政の限界を指摘します。彼はいずれの主張にも一理あると思ったといいながら中村記者に近い立場です(この後、行友記者は安全性への言及を止め、食糧に関する教育へと話を持っていくのですが、これは納得できます)。
以上の議論は食品の安全性をめぐってのことですから、安全が重要な問題であれば十分意味を持ちます。偽装表示や中国製ギョーザ事件のために食品の安全性は大きな話題になりましたが、それは本当に重要なものでしょうか。次のデータをご覧下さい。
2007年の食中毒による死者は、フグなどの動物性自然毒が2人、キノコなど植物性自然毒が3人の計5人であり、97年~06年の10年間で死者が10人を超えたのは02年の1回だけです。これがどれくらい危険なのか、他のリスクと比較します。
06年の家庭内事故は転倒・転落死2260人、浴槽での溺死3316人、食物の誤えん死2492人、火災による死者1319人、など合計12152人となっています。また交通事故死は約6000人です。年間1万人を超す死者を出す家庭内事故をろくに報道せず、年間数人の死者の、それも自然毒によるものが多い食品の安全に大騒ぎする報道、おかしくないですか。
食中毒死の大部分は自然毒によるもので、販売されている食品によるものは僅かですから、過大に考えるのは不合理です。人間の注意力は無限ではないので、どこかに注意を多く向ければ他に向ける注意は減ります。心配するならもっと高いリスクのものを心配するのが合理的です。
食品によるリスクは全体から見てどの程度のものかきちんと認識した上で、報道の大きさを適切に決めることが、メディアと記者に求められる役割です。他のリスクの程度を知らず、つまり、木を見て森を見ず、では社会をミスリードしてしまいす。
この3名の記者、とりわけ初めの2人の記者は食品の安全性問題をひどく過大評価しているのではないでしょうか。普通の人がどう考えようが勝手ですが、オピニオンリーダたる記者がそれでは困ります。記者の誤った見識はそのまま読者に伝わり、場合によってはパニックを起こすこともあります。また世論を煽り、それが政府を動かして、要らぬ規制を招いたりすることもあります。
食品の安全を騒ぎ立てた他のメディアにも言えることですが、まともなリスク評価のできない記者が目立ちます。オピニオンリーダーの見識が低ければ、国民の見識はそれに引きずられ、政治もまた選挙を通じて影響を受けけます。言うなれば社会が被害を受けるわけで、どうにも始末の悪いことであります。(参考 これでも新聞記者? 記者の資質を疑う朝日記事)
『中国製冷凍ギョーザによる中毒事件など食の安全をめぐる問題について、本欄で中村秀明記者は「消費者の自覚を促すべきだ」(2月14日付)と主張し、井上英介記者は「消費者に『もっと学べ』は酷だ」(4月4日付)と反論した。「節操がない」と言われそうだが、いずれの主張にも一理あると思った。この問題は「白か黒か」の二者択一ではない。自分なりの視点を付け加えてみたい』
と続くのですが、以下を簡単に要約します。中村記者は、消費者は王様とされて増長し、買うだけの無知な存在になったとし、消費者の自覚を求めました。それに対して井上記者は、夫婦共働き、片親の家庭、将来の保証もないワーキングプアを持ち出して冷凍食品の必要性を述べ、余裕のない彼らに「もっと学べ」と求めるのは無理であり、行政に安全性を求めるべきだとしました。
行友弥記者は、「海外を含む長い生産・流通・加工過程のすべてを監視し、偽装表示や異物混入を防ぐことができるのか。完ぺきを求めれば膨大な費用がかかり・・・」として、消費者行政の限界を指摘します。彼はいずれの主張にも一理あると思ったといいながら中村記者に近い立場です(この後、行友記者は安全性への言及を止め、食糧に関する教育へと話を持っていくのですが、これは納得できます)。
以上の議論は食品の安全性をめぐってのことですから、安全が重要な問題であれば十分意味を持ちます。偽装表示や中国製ギョーザ事件のために食品の安全性は大きな話題になりましたが、それは本当に重要なものでしょうか。次のデータをご覧下さい。
2007年の食中毒による死者は、フグなどの動物性自然毒が2人、キノコなど植物性自然毒が3人の計5人であり、97年~06年の10年間で死者が10人を超えたのは02年の1回だけです。これがどれくらい危険なのか、他のリスクと比較します。
06年の家庭内事故は転倒・転落死2260人、浴槽での溺死3316人、食物の誤えん死2492人、火災による死者1319人、など合計12152人となっています。また交通事故死は約6000人です。年間1万人を超す死者を出す家庭内事故をろくに報道せず、年間数人の死者の、それも自然毒によるものが多い食品の安全に大騒ぎする報道、おかしくないですか。
食中毒死の大部分は自然毒によるもので、販売されている食品によるものは僅かですから、過大に考えるのは不合理です。人間の注意力は無限ではないので、どこかに注意を多く向ければ他に向ける注意は減ります。心配するならもっと高いリスクのものを心配するのが合理的です。
食品によるリスクは全体から見てどの程度のものかきちんと認識した上で、報道の大きさを適切に決めることが、メディアと記者に求められる役割です。他のリスクの程度を知らず、つまり、木を見て森を見ず、では社会をミスリードしてしまいす。
この3名の記者、とりわけ初めの2人の記者は食品の安全性問題をひどく過大評価しているのではないでしょうか。普通の人がどう考えようが勝手ですが、オピニオンリーダたる記者がそれでは困ります。記者の誤った見識はそのまま読者に伝わり、場合によってはパニックを起こすこともあります。また世論を煽り、それが政府を動かして、要らぬ規制を招いたりすることもあります。
食品の安全を騒ぎ立てた他のメディアにも言えることですが、まともなリスク評価のできない記者が目立ちます。オピニオンリーダーの見識が低ければ、国民の見識はそれに引きずられ、政治もまた選挙を通じて影響を受けけます。言うなれば社会が被害を受けるわけで、どうにも始末の悪いことであります。(参考 これでも新聞記者? 記者の資質を疑う朝日記事)