「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だもせざりしところ、これに基礎を置きて戦争指導に当りたる不明は開戦当時の責任者として深くその責を感ずる」
このほど見つかった東条英機元首相の8月13日の手記の一部です。つまり敗戦の原因は国政指導者と国民のやる気のなさであって、自分の責任はそういう国民らを信じてしまったことにある、という見苦しい責任転嫁の言葉です。
政府のポツダム宣言受諾の方針に対し「応諾せりとの印象は軍将兵の志気を挫折せしめ、(中略)戦闘力において精神的著しく逓下(低下)を見るに至るなきやを恐る」と、戦争継続の立場から反対します。
無条件降伏しようとするときに戦力低下を心配する理屈を私は理解することができません。またなおも戦争を継続しようとしたことは現状認識能力の不足を強く示唆します。もし勝算のないままに継続を望んだのであれば、それは戦争を進めてきた自己を正当化するためとしか思えません。
既に300万人以上の犠牲者を出しながら、さらに大きい犠牲が予想される戦争継続の目的はなんだったでしょうか。機関銃に対し竹槍で戦うなどという本土決戦をやれば莫大な犠牲が出ることくらいは分かる筈です。戦争を始めた目的が国民(国家)の利益なら、国民のより以上の犠牲は当初の目的と矛盾します。いくら認識能力が足らなくてもこの時点で勝利を信じていたとは想像できません。
さらに「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」などの戦陣訓を訓令し、兵士から降伏の機会を奪って多数の生命を無駄に失わせながら、自らは拳銃による自決に失敗し、「虜囚の辱」を完璧に受けた後、処刑されました。
私が興味を惹かれたのは、なぜこんな人物が陸軍大臣、首相に選ばれたのかということです。悪口ばかりを述べましたが、むろん優れた点もあるのでしょう。また60年以上経った現在から当時の事情もよく知らず、簡単に批判することに問題があることも承知しています。しかしここに並べた認識能力、論理性、国民に対する責任感、責任逃れの態度、どれひとつをとっても国の指導者としての適性が強く疑われます。彼は対米開戦当時の首相であり、44年7月まで続けました。日本のトップリーダーであったわけです。
発見された手記は、国の進路を大きく誤った過去の解明に大きな意味があると思いますが、メディアは意外にも無関心です。各紙の関心はもっぱらオリンピックにあるらしく、手記に対する言及はほとんどありません。
8月半ばになると年中行事のように、戦争の悲惨さを感情に訴える記事や番組が相次ぎ、メディアは戦争に重大な関心を持っているという姿勢を見せます。それもよいのですが、感情に訴えるものは別の感情によってひっくり返るという脆さがあります。戦争に至った事情のひとつ、なぜこんなリーダーが選ばれたかということにも注意を向けるならば、この手記に対してもっと強い関心を持たれてよいと思います。
愚かなリーダーを選ぶことは最も避けなければならないことであり、過去の事情の解明は将来の戦争回避だけでなく国の進路の誤りを避けるためにも役立ちます。そしてリーダーの選出にメディアはとても大きい影響力を持ちます。
前坂俊之氏は著書「太平洋戦争と新聞」の序文で「日本はなぜあのような悲劇の大戦争に突入して、無残な敗戦を体験することになったのか、その経緯については必ずしも十分に解明、総括されているとはいいがたい」と述べています。
その解明、総括が進むことが期待されますが、それが少数の研究者だけでなく、広く一般に共有されてこそ意味があります。少なくとも、戦争に大きな役割を果たしたマスコミの方々にはその経緯についてできる限りの理解を望みたいところです。
このほど見つかった東条英機元首相の8月13日の手記の一部です。つまり敗戦の原因は国政指導者と国民のやる気のなさであって、自分の責任はそういう国民らを信じてしまったことにある、という見苦しい責任転嫁の言葉です。
政府のポツダム宣言受諾の方針に対し「応諾せりとの印象は軍将兵の志気を挫折せしめ、(中略)戦闘力において精神的著しく逓下(低下)を見るに至るなきやを恐る」と、戦争継続の立場から反対します。
無条件降伏しようとするときに戦力低下を心配する理屈を私は理解することができません。またなおも戦争を継続しようとしたことは現状認識能力の不足を強く示唆します。もし勝算のないままに継続を望んだのであれば、それは戦争を進めてきた自己を正当化するためとしか思えません。
既に300万人以上の犠牲者を出しながら、さらに大きい犠牲が予想される戦争継続の目的はなんだったでしょうか。機関銃に対し竹槍で戦うなどという本土決戦をやれば莫大な犠牲が出ることくらいは分かる筈です。戦争を始めた目的が国民(国家)の利益なら、国民のより以上の犠牲は当初の目的と矛盾します。いくら認識能力が足らなくてもこの時点で勝利を信じていたとは想像できません。
さらに「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」などの戦陣訓を訓令し、兵士から降伏の機会を奪って多数の生命を無駄に失わせながら、自らは拳銃による自決に失敗し、「虜囚の辱」を完璧に受けた後、処刑されました。
私が興味を惹かれたのは、なぜこんな人物が陸軍大臣、首相に選ばれたのかということです。悪口ばかりを述べましたが、むろん優れた点もあるのでしょう。また60年以上経った現在から当時の事情もよく知らず、簡単に批判することに問題があることも承知しています。しかしここに並べた認識能力、論理性、国民に対する責任感、責任逃れの態度、どれひとつをとっても国の指導者としての適性が強く疑われます。彼は対米開戦当時の首相であり、44年7月まで続けました。日本のトップリーダーであったわけです。
発見された手記は、国の進路を大きく誤った過去の解明に大きな意味があると思いますが、メディアは意外にも無関心です。各紙の関心はもっぱらオリンピックにあるらしく、手記に対する言及はほとんどありません。
8月半ばになると年中行事のように、戦争の悲惨さを感情に訴える記事や番組が相次ぎ、メディアは戦争に重大な関心を持っているという姿勢を見せます。それもよいのですが、感情に訴えるものは別の感情によってひっくり返るという脆さがあります。戦争に至った事情のひとつ、なぜこんなリーダーが選ばれたかということにも注意を向けるならば、この手記に対してもっと強い関心を持たれてよいと思います。
愚かなリーダーを選ぶことは最も避けなければならないことであり、過去の事情の解明は将来の戦争回避だけでなく国の進路の誤りを避けるためにも役立ちます。そしてリーダーの選出にメディアはとても大きい影響力を持ちます。
前坂俊之氏は著書「太平洋戦争と新聞」の序文で「日本はなぜあのような悲劇の大戦争に突入して、無残な敗戦を体験することになったのか、その経緯については必ずしも十分に解明、総括されているとはいいがたい」と述べています。
その解明、総括が進むことが期待されますが、それが少数の研究者だけでなく、広く一般に共有されてこそ意味があります。少なくとも、戦争に大きな役割を果たしたマスコミの方々にはその経緯についてできる限りの理解を望みたいところです。