一昨年から今年にかけて新聞社から戦争責任に関する本が出版されました。読売の連載記事をまとめた「検証 戦争責任」ⅠとⅡ(中央公論新社)、「戦争責任と追悼」(朝日選書)、「新聞と戦争」(朝日新聞)です。
しかし、戦後60年以上も経ってからようやく新聞社が過去を総括をしたことは、新聞が戦争遂行に重大な役割を果たしたことを考えると、その消極姿勢は極めて不自然です。もっと早い時期に検証をやれば、多くの証言が得られ、より正確な結果が出せた筈なのに、なぜ60年余も放置したのでしょうか。
終戦10年後とかの早い時期に徹底的な検証をすれば、新聞社の先輩など当時の関係者の責任を追及することにならざるを得ません。消極姿勢は現役のお仲間を庇(かば)うためであったのでしょう(同じ敗戦国のドイツでは戦後、マスコミ関係者は徹底して追放されたそうです)。責任のある関係者の数が膨大であったことも理由のひとつとして考えられます。とにかく、身を切ってまで自らの責任を追求する態度は見られませんでした。以後、新聞に定着する反戦姿勢はこのときの贖罪意識がその理由のひとつであると思います。
60年余も経つと終戦時30歳でも90歳であり、多くは既にあの世ですから遠慮なく総括できます。しかし、庇い続けたことは、彼らの戦争責任がいかに重大であったかを示唆しています。満州事変以後、戦争に対して国民を鼓舞し続けた新聞の戦争協力は極めて積極的でした。軍の圧力のためにやむなく戦争に加担したという被害者であるかのような弁解が一般に信じられましたが、これは事実を隠蔽するためとしか思えません。
やむなく軍の圧力に屈したのと、積極的に協力したのでは雲泥の差があります。軍に同調し国民を鼓舞することは積極的な協力なしには不可能です。新聞社が自らの考えで戦争拡大の方向に賛成したのであり、これは戦後どうしても明るみに出したくなかったことでしょう。
多数の新聞、とりわけ朝日、毎日の転換点は満州事変直後であることはほぼ一致した見方のようです。以後、新聞は国民を煽って軍国主義を定着させ、それに反論できないような風潮を作り出し、自らも抵抗できなくなったとされています。その後の戦争に対する「貢献」は加担というより共犯というのがふさわしく、軍と共に頭がおかしくなった感があります。インテリによって構成された組織の行動として理解するのは困難です。
しかし、そのような中で福岡日日新聞、河北新報、信濃毎日などは軍を批判する立場をとり続けました。大新聞が簡単に転向したのは経済的な利益が大きい理由であると言われています。軍を批判すれば在郷軍人会などの不買運動を招くのに対し、勇ましい記事を書けば部数を伸ばすことができます。事実、朝日・毎日はこのあと大きく部数を伸ばしました。もっとも、朝日・毎日は計算高かったからこそ、大新聞の地位を得ていたとも言えます。軍を批判した上記の地方紙はそろばん勘定より言論機関の使命を優先しました。
さまざまな圧力によって軍に対する批判を控えることまでは理解できます。しかしそのあと、なぜ積極的に国民を煽るようになったのか、という疑問が残ります。それを解明することは新聞の性格、行動様式を知る上でとても重要だと思います。
新聞が短期間のうちに持論を転換するのは妙ですが、それは彼らの持論が広範な知識に裏付けられたものではなく、勢いに簡単に流される程度のものであったのでしょう。恐らく新聞自らが軍国主義にまず熱くなり、それが紙面を通じて国民に興奮が伝わりました。国が岐路に立たされ、最も冷静に行動すべきときに、新聞がまっ先に感情的になったわけです。
新聞が興奮し、冷静な判断力を失った例は日本のバブルにも見られます。80年代後半にかけて新聞は、毎週、株の売買シミュレーションなどを掲載し、財テクができなければ能がないと言わんばかりの風潮を作り出しました。値上がりを狙う財テクは決して富を産み出すものではなく、誰かのポケットから別人のポケットへお金が移動するだけなのに、愚かにもそれを煽りました。
経済はマインド(心理、意識)によって影響を受けます。新聞はバブルを煽り、より加速し、真面目に働くという価値観を傷つけました。バブル崩壊後の就職氷河期は多くの若者を不幸にしています。過剰流動性のために発生したバブルですが、新聞が経済を知り、冷静であれば、もう少し小さい規模で終わっていたと思います。日本の金融機関の損失は約100兆円ですが、日米の経済規模の差を考慮した上で、サブプライムによる損失額約43兆円(OECD)~約97兆円(IMF)と比べると、バブルの異常さがわかります。
二つの例で見たように新聞、というよりメディアの性質として「興奮しやすさ」は注目に値すると思います。興奮しては、冷静な判断が損なわれます。またそれに加えて、はじめの例では国際関係、経済、軍事などの認識の不足が、後の例では経済の基礎的知識の欠如が判断を誤った理由のひとつです。興奮しやすさと知識・認識能力の不足、これら二つの「特質」は今も続いており、適当な条件さえあれば暴走の可能性は否定できないと思います。
以上は最初に掲げた3つの本と「太平洋戦争と新聞」(前坂俊之著 講談社学術文庫)を参考にしました。読売の「検証 戦争責任」ⅠとⅡは全体を概観するのに好適であり、「太平洋戦争と新聞」は資料が豊富で鋭く切り込んでおり高く評価できます。「戦争責任と追悼」には少し失望しました(アマゾンのレビューでは全員が最低評価)。しかしこれらの本はベストセラーには程遠いものです。新書程度の分量の読みやすいものが作られて、新聞が戦争で果たした役割についての一般の理解が進むことを切望します。
しかし、戦後60年以上も経ってからようやく新聞社が過去を総括をしたことは、新聞が戦争遂行に重大な役割を果たしたことを考えると、その消極姿勢は極めて不自然です。もっと早い時期に検証をやれば、多くの証言が得られ、より正確な結果が出せた筈なのに、なぜ60年余も放置したのでしょうか。
終戦10年後とかの早い時期に徹底的な検証をすれば、新聞社の先輩など当時の関係者の責任を追及することにならざるを得ません。消極姿勢は現役のお仲間を庇(かば)うためであったのでしょう(同じ敗戦国のドイツでは戦後、マスコミ関係者は徹底して追放されたそうです)。責任のある関係者の数が膨大であったことも理由のひとつとして考えられます。とにかく、身を切ってまで自らの責任を追求する態度は見られませんでした。以後、新聞に定着する反戦姿勢はこのときの贖罪意識がその理由のひとつであると思います。
60年余も経つと終戦時30歳でも90歳であり、多くは既にあの世ですから遠慮なく総括できます。しかし、庇い続けたことは、彼らの戦争責任がいかに重大であったかを示唆しています。満州事変以後、戦争に対して国民を鼓舞し続けた新聞の戦争協力は極めて積極的でした。軍の圧力のためにやむなく戦争に加担したという被害者であるかのような弁解が一般に信じられましたが、これは事実を隠蔽するためとしか思えません。
やむなく軍の圧力に屈したのと、積極的に協力したのでは雲泥の差があります。軍に同調し国民を鼓舞することは積極的な協力なしには不可能です。新聞社が自らの考えで戦争拡大の方向に賛成したのであり、これは戦後どうしても明るみに出したくなかったことでしょう。
多数の新聞、とりわけ朝日、毎日の転換点は満州事変直後であることはほぼ一致した見方のようです。以後、新聞は国民を煽って軍国主義を定着させ、それに反論できないような風潮を作り出し、自らも抵抗できなくなったとされています。その後の戦争に対する「貢献」は加担というより共犯というのがふさわしく、軍と共に頭がおかしくなった感があります。インテリによって構成された組織の行動として理解するのは困難です。
しかし、そのような中で福岡日日新聞、河北新報、信濃毎日などは軍を批判する立場をとり続けました。大新聞が簡単に転向したのは経済的な利益が大きい理由であると言われています。軍を批判すれば在郷軍人会などの不買運動を招くのに対し、勇ましい記事を書けば部数を伸ばすことができます。事実、朝日・毎日はこのあと大きく部数を伸ばしました。もっとも、朝日・毎日は計算高かったからこそ、大新聞の地位を得ていたとも言えます。軍を批判した上記の地方紙はそろばん勘定より言論機関の使命を優先しました。
さまざまな圧力によって軍に対する批判を控えることまでは理解できます。しかしそのあと、なぜ積極的に国民を煽るようになったのか、という疑問が残ります。それを解明することは新聞の性格、行動様式を知る上でとても重要だと思います。
新聞が短期間のうちに持論を転換するのは妙ですが、それは彼らの持論が広範な知識に裏付けられたものではなく、勢いに簡単に流される程度のものであったのでしょう。恐らく新聞自らが軍国主義にまず熱くなり、それが紙面を通じて国民に興奮が伝わりました。国が岐路に立たされ、最も冷静に行動すべきときに、新聞がまっ先に感情的になったわけです。
新聞が興奮し、冷静な判断力を失った例は日本のバブルにも見られます。80年代後半にかけて新聞は、毎週、株の売買シミュレーションなどを掲載し、財テクができなければ能がないと言わんばかりの風潮を作り出しました。値上がりを狙う財テクは決して富を産み出すものではなく、誰かのポケットから別人のポケットへお金が移動するだけなのに、愚かにもそれを煽りました。
経済はマインド(心理、意識)によって影響を受けます。新聞はバブルを煽り、より加速し、真面目に働くという価値観を傷つけました。バブル崩壊後の就職氷河期は多くの若者を不幸にしています。過剰流動性のために発生したバブルですが、新聞が経済を知り、冷静であれば、もう少し小さい規模で終わっていたと思います。日本の金融機関の損失は約100兆円ですが、日米の経済規模の差を考慮した上で、サブプライムによる損失額約43兆円(OECD)~約97兆円(IMF)と比べると、バブルの異常さがわかります。
二つの例で見たように新聞、というよりメディアの性質として「興奮しやすさ」は注目に値すると思います。興奮しては、冷静な判断が損なわれます。またそれに加えて、はじめの例では国際関係、経済、軍事などの認識の不足が、後の例では経済の基礎的知識の欠如が判断を誤った理由のひとつです。興奮しやすさと知識・認識能力の不足、これら二つの「特質」は今も続いており、適当な条件さえあれば暴走の可能性は否定できないと思います。
以上は最初に掲げた3つの本と「太平洋戦争と新聞」(前坂俊之著 講談社学術文庫)を参考にしました。読売の「検証 戦争責任」ⅠとⅡは全体を概観するのに好適であり、「太平洋戦争と新聞」は資料が豊富で鋭く切り込んでおり高く評価できます。「戦争責任と追悼」には少し失望しました(アマゾンのレビューでは全員が最低評価)。しかしこれらの本はベストセラーには程遠いものです。新書程度の分量の読みやすいものが作られて、新聞が戦争で果たした役割についての一般の理解が進むことを切望します。