今回の総選挙ではバラマキ方法の優劣に注目が集まっているようです。その一方で財源が明確でないという批判があります。そして、過去に積み上がった巨額の政府債務の返済問題は争点にもなっていません。
IMFの見通しによると日本の政府債務残高のGDP比は07年の188%から14年には239%に増加するとされています(8月31日の日経)。驚いたことに、これは終戦直後の混乱期に匹敵するレベルだそうです。この後、超インフレとなり国民の金融資産のほとんどが踏み倒されてしまったことは周知の通りです。インフレは借金の棒引きです。
むろん同様なことが起きるとは限りませんが、今の借金状況は先進国の中では最悪とされ、この先、楽観できそうにありません。8月1日の朝日の政権公約に関する解説は「何よりも800兆円にまで膨らんだ国や地方の借金をどう返していくのか。その道筋は自民、民主両党の政権公約にはうかがえない」と、大変まともなことを述べています。
今回の不況を受けて、2011年とされてきた基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化の目標年次が簡単に撤回され、2020年代初めと大きく後退する見込みとなりました。メディアがこれを大きく報道することはなく、この問題に対する無関心、危機感のなさを示しています。
政府債務は2020年代初めまで、つまり今後9年から14年間程度は増加していくという予定ですが、これに危機感をもつ人は少数のようです。債務問題は数年前から何度も指摘され、改めて言う必要はないのですが、問題はその重要性が国民に認識されず、政党の政権公約にも載らないことです。
破局はたいてい一気に訪れます。不連続な破壊的変化(カタストロフィ)は直前までわからないことが多いものです。リーマンショックがよい例です。政府債務がこのまま増加すれば国債の消化難、金利の上昇、円の下落、インフレなどが起こり、どのような危機や混乱が生じるのか、わかりませんが、負担を将来世代に押しつけることは多分確かでしょう。少子化が進めば1人当たりの負担はさらに大きなものになります。
嫌なことから目を背け、目先のことばかりにとらわれる政権選択は問題を先送りするだけでなく、さらに深刻な借金地獄を招くことになります。借金と利子を借金で払うことになり、債務は雪だるま式に増えて、いずれ限界点に達する思われます。09年度一般会計では国債が税収を上回るとされており、限界が遠くないことを示しています。少なくとも選挙の争点のひとつにすべき重大な問題ではないでしょうか。
では、バラマキの方法を重視した有権者の投票行動によって、長期的視点を欠いた政党が政権を獲得し、数年後に財政危機を招いた場合、責任を負うべきは政権政党と、彼らを選択した有権者なのでしょうか。
図式的になりますが、投票する有権者は全体としてひとつの巨大な入出力装置(関数)と見ることができます。入力(独立変数)は情報であり、出力(従属変数)は投票結果です(*1)。そしてその入力情報のほとんどを管理しているのがマスコミです。有権者個々の性質は様々ですが、集合体としては平均的なものになり、賢明でもなく、また愚かでもない性質だと考えてよいでしょう。
マスコミは入力情報をほぼ独占しているわけですが、もし国の借金の現状や将来の借金地獄の恐ろしさを徹底的に知らせば、国民は危機感をもち、政党は借金処理の道筋を示さざるを得なくなります。そして投票行動は変わることでしょう。それには吉兆事件でやったように、一面トップの報道を数日間にわたり続ければよいだけのことです。もっともマスコミ自身が政府債務の問題を正しく認識できる能力を持つことが前提となりますが。
国民の政治的成熟度とか民度とか言われますが、それはマスコミの成熟度や見識に支配されると考えてもよいと思います。逆に読者・視聴者に迎合する場合は相手に合わせる必要がありますから、マスコミは読者・視聴者の影響を受けます。視聴率などを優先するために、迎合が度を超すとマスコミ自らがホピュリズムに染まります。両者は影響しあっているので、一方的な関係ではありません。しかしどちらかというと有権者は受動的な立場だと思われます。
マスコミは第4権力と呼ばれています。不祥事を起こした政治家や企業を集中報道によって引きずりおろすという直接の権力行使もありますが、選挙を支配することによって間接的に権力を行使していると考えられます。この場合は、第4権力というよりもマスコミ主権と言うのがふさわしいかもしれません。ただ、この権力の困ったところは責任の所在がはっきりしないことです。
(*1) y=f(x)とすれば yは投票結果、xは情報、fは両者の関係を決める関数となります。
IMFの見通しによると日本の政府債務残高のGDP比は07年の188%から14年には239%に増加するとされています(8月31日の日経)。驚いたことに、これは終戦直後の混乱期に匹敵するレベルだそうです。この後、超インフレとなり国民の金融資産のほとんどが踏み倒されてしまったことは周知の通りです。インフレは借金の棒引きです。
むろん同様なことが起きるとは限りませんが、今の借金状況は先進国の中では最悪とされ、この先、楽観できそうにありません。8月1日の朝日の政権公約に関する解説は「何よりも800兆円にまで膨らんだ国や地方の借金をどう返していくのか。その道筋は自民、民主両党の政権公約にはうかがえない」と、大変まともなことを述べています。
今回の不況を受けて、2011年とされてきた基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化の目標年次が簡単に撤回され、2020年代初めと大きく後退する見込みとなりました。メディアがこれを大きく報道することはなく、この問題に対する無関心、危機感のなさを示しています。
政府債務は2020年代初めまで、つまり今後9年から14年間程度は増加していくという予定ですが、これに危機感をもつ人は少数のようです。債務問題は数年前から何度も指摘され、改めて言う必要はないのですが、問題はその重要性が国民に認識されず、政党の政権公約にも載らないことです。
破局はたいてい一気に訪れます。不連続な破壊的変化(カタストロフィ)は直前までわからないことが多いものです。リーマンショックがよい例です。政府債務がこのまま増加すれば国債の消化難、金利の上昇、円の下落、インフレなどが起こり、どのような危機や混乱が生じるのか、わかりませんが、負担を将来世代に押しつけることは多分確かでしょう。少子化が進めば1人当たりの負担はさらに大きなものになります。
嫌なことから目を背け、目先のことばかりにとらわれる政権選択は問題を先送りするだけでなく、さらに深刻な借金地獄を招くことになります。借金と利子を借金で払うことになり、債務は雪だるま式に増えて、いずれ限界点に達する思われます。09年度一般会計では国債が税収を上回るとされており、限界が遠くないことを示しています。少なくとも選挙の争点のひとつにすべき重大な問題ではないでしょうか。
では、バラマキの方法を重視した有権者の投票行動によって、長期的視点を欠いた政党が政権を獲得し、数年後に財政危機を招いた場合、責任を負うべきは政権政党と、彼らを選択した有権者なのでしょうか。
図式的になりますが、投票する有権者は全体としてひとつの巨大な入出力装置(関数)と見ることができます。入力(独立変数)は情報であり、出力(従属変数)は投票結果です(*1)。そしてその入力情報のほとんどを管理しているのがマスコミです。有権者個々の性質は様々ですが、集合体としては平均的なものになり、賢明でもなく、また愚かでもない性質だと考えてよいでしょう。
マスコミは入力情報をほぼ独占しているわけですが、もし国の借金の現状や将来の借金地獄の恐ろしさを徹底的に知らせば、国民は危機感をもち、政党は借金処理の道筋を示さざるを得なくなります。そして投票行動は変わることでしょう。それには吉兆事件でやったように、一面トップの報道を数日間にわたり続ければよいだけのことです。もっともマスコミ自身が政府債務の問題を正しく認識できる能力を持つことが前提となりますが。
国民の政治的成熟度とか民度とか言われますが、それはマスコミの成熟度や見識に支配されると考えてもよいと思います。逆に読者・視聴者に迎合する場合は相手に合わせる必要がありますから、マスコミは読者・視聴者の影響を受けます。視聴率などを優先するために、迎合が度を超すとマスコミ自らがホピュリズムに染まります。両者は影響しあっているので、一方的な関係ではありません。しかしどちらかというと有権者は受動的な立場だと思われます。
マスコミは第4権力と呼ばれています。不祥事を起こした政治家や企業を集中報道によって引きずりおろすという直接の権力行使もありますが、選挙を支配することによって間接的に権力を行使していると考えられます。この場合は、第4権力というよりもマスコミ主権と言うのがふさわしいかもしれません。ただ、この権力の困ったところは責任の所在がはっきりしないことです。
(*1) y=f(x)とすれば yは投票結果、xは情報、fは両者の関係を決める関数となります。