店頭などで、変わったペンの持ち方をする若者をよく見かけます。昔ながらのオーソドックスな持ち方はむしろ少数派ではないかと思えるほどです。ペンを手前に傾けるのではなく反対側に傾けて書く人、鉄棒を握るようにペンを握る人、「個性的」な人の多いことにしばしば驚きます。それは彼らが育った時代の教育思潮の象徴のように私には思えます。
子供の自主性を尊重し、個性を伸ばす自由な教育と言えば、確かに素晴らしいものに見えます。知識を詰め込むという従来の教育方法に対して、子供が自らの課題によって自由に学習するという方法はゆとり教育でも支持されました。
敗戦を契機として、それまでの教育が否定され、大きな変化をすることになるのですが、そのあたりの事情を教育の著書がある、小児科医の田下昌明氏は次のように説明しています(北方ジャーナルより、一部要約)。
「アメリカ教育使節団(46年と50年)の構成メンバーは、ほとんど全員がジョン・デューイという哲学者の弟子、あるいはその亜流だったのです。彼らの思想は自然主義といって、子供には無限の可能性があって自分で勝手に可能性を開花させるんだから、才能を引きだそうとしたり、何かを教えるような余計な手出しは必要ないという考えなんです。その考えが正しいと言われたものですから、なんだそれじゃあ放っておけばいいんだと、こういうことになってしまった」
「終戦直後はまだ当時の祖父母世代は健在で、伝統的な育児法が守られていました。しかし、戦後20年の間に家庭内の祖父母の力が少しずつ落ちていったんです。核家族も出現しました。60年代の後半あたりで当時の日本の祖父母たちは育児に出る幕がなくなったのです。そしてちょうどこの時期に、デューイの思想を具現化したベンジャミン・スポックの本『スポック博士の育児書』が日本で出版されて大変なベストセラーになりました」
これは戦後の教育界を支配した思潮の背景を説明したものですが、これに加え、戦争につながったものとして戦前の教育をことごとく否定するような風潮が強く後押ししたと思われます。ごく簡単に言うと「型に嵌める教育」から「自由に学ばせる教育」への移行したわけです。家庭教育ではペンの持ち方が「個性豊か」になるという成果を生み、学校教育では「ゆとり教育」を産み出すことになりました。
私は終戦直後に幼年期を過ごしたものですが、戦前育ちの両親から、してはならないこと、善悪の基準、生活の方法などを教えられました。嘘をつくことには、たとえそれが合理的であったとしても、未だに強い抵抗があります。フロイトは幼年期に教え込まれた道徳・倫理を超自我と呼び、それは道徳的規範として内面から規制する仕組みであるとしました。もし幼年期に道徳・倫理を教えなければ、内面からの規制がない、つまり罪悪感のない人間ができあがるということになります。
ペンの持ち方だけならたいした問題ではないのですが、他の基本的なことについても「自由にのびのびと育てた」のであればちょっと心配になります。少なくとも初等教育までは社会生活に必要なこと、共通する知識を教え込む「型に嵌める教育」を大切にすることが必要だと思います。
「個性を伸ばす教育」と異なり、「型に嵌める教育」は決してよいイメージではなく、戦後、軽視され続けました。しかし、共通部分をあまりもたない個性的な人間とはいわば変わり者です。変わり者ばっかりの社会は困るわけで、猫の集団に共同作業を頼むようなことになります。共通部分を作り上げることは大切であり、文化を次世代へ伝達することでもあります。
子供の自主性を尊重し、個性を伸ばす自由な教育と言えば、確かに素晴らしいものに見えます。知識を詰め込むという従来の教育方法に対して、子供が自らの課題によって自由に学習するという方法はゆとり教育でも支持されました。
敗戦を契機として、それまでの教育が否定され、大きな変化をすることになるのですが、そのあたりの事情を教育の著書がある、小児科医の田下昌明氏は次のように説明しています(北方ジャーナルより、一部要約)。
「アメリカ教育使節団(46年と50年)の構成メンバーは、ほとんど全員がジョン・デューイという哲学者の弟子、あるいはその亜流だったのです。彼らの思想は自然主義といって、子供には無限の可能性があって自分で勝手に可能性を開花させるんだから、才能を引きだそうとしたり、何かを教えるような余計な手出しは必要ないという考えなんです。その考えが正しいと言われたものですから、なんだそれじゃあ放っておけばいいんだと、こういうことになってしまった」
「終戦直後はまだ当時の祖父母世代は健在で、伝統的な育児法が守られていました。しかし、戦後20年の間に家庭内の祖父母の力が少しずつ落ちていったんです。核家族も出現しました。60年代の後半あたりで当時の日本の祖父母たちは育児に出る幕がなくなったのです。そしてちょうどこの時期に、デューイの思想を具現化したベンジャミン・スポックの本『スポック博士の育児書』が日本で出版されて大変なベストセラーになりました」
これは戦後の教育界を支配した思潮の背景を説明したものですが、これに加え、戦争につながったものとして戦前の教育をことごとく否定するような風潮が強く後押ししたと思われます。ごく簡単に言うと「型に嵌める教育」から「自由に学ばせる教育」への移行したわけです。家庭教育ではペンの持ち方が「個性豊か」になるという成果を生み、学校教育では「ゆとり教育」を産み出すことになりました。
私は終戦直後に幼年期を過ごしたものですが、戦前育ちの両親から、してはならないこと、善悪の基準、生活の方法などを教えられました。嘘をつくことには、たとえそれが合理的であったとしても、未だに強い抵抗があります。フロイトは幼年期に教え込まれた道徳・倫理を超自我と呼び、それは道徳的規範として内面から規制する仕組みであるとしました。もし幼年期に道徳・倫理を教えなければ、内面からの規制がない、つまり罪悪感のない人間ができあがるということになります。
ペンの持ち方だけならたいした問題ではないのですが、他の基本的なことについても「自由にのびのびと育てた」のであればちょっと心配になります。少なくとも初等教育までは社会生活に必要なこと、共通する知識を教え込む「型に嵌める教育」を大切にすることが必要だと思います。
「個性を伸ばす教育」と異なり、「型に嵌める教育」は決してよいイメージではなく、戦後、軽視され続けました。しかし、共通部分をあまりもたない個性的な人間とはいわば変わり者です。変わり者ばっかりの社会は困るわけで、猫の集団に共同作業を頼むようなことになります。共通部分を作り上げることは大切であり、文化を次世代へ伝達することでもあります。