噛みつき評論 ブログ版

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謙虚と傲慢

2009-08-13 10:28:33 | Weblog
 先日クライバーンコンクールで日本人ピアニスト、辻井伸行さんが優勝し、賑やかな報道がなされました。優勝決定後のインタビューを見ていて、彼の清々しい、謙虚な態度が印象に残り、とても好感を持ちました。

 例外はあるものの、たいていの若者には謙虚さが備わっています。ところが年月を重ねると少しづつそれは失われていくのが普通で、とりわけ成功者ほど早く謙虚さをなくすという傾向があるようです。

 むろん成功してもしなくても謙虚さを失わない人があります。それは見ていて気持ちのよいものです。しかし謙虚さは好感をもたれるとわかっていても、それを続けるのはなかなか難しいようです。謙虚な態度は威厳を損なうとでも思うのでしょうか。あるいは周りからちやほやされて謙虚さなど必要のない偉い人間だと思ってしまうのでしょうか。

 反対に謙虚さが障害になることもあります。私は主にメディアのアラ探しをしていますが、こちらは謙虚な気持ちではできません。下から見上げるような気持ちでは欠点がわかりにくいのです。謙虚な気持ちを捨て、きっと間違っているだろうと疑う気持ちがあればこそ見えるものがあるわけです。

 謙虚さを失わずに批判するというような器用な人もあるでしょうが、凡人には難しいことです。ある人の意見を聞いてなるほどと納得し、対立する別の意見を聞いてまたなるほどと納得してしまう、若い頃にこのようなことを経験された方は少なくないと思います。批判するだけの知識量がないことが主な理由だと思いますが、謙虚さは相手に同調させる効果を持つように思います。それは批判能力の低下をもたらします。このような若者の特質につけこんでくる代表が拡張志向の宗教です。

 謙虚もよいことばかりとは言えず、傲慢も悪いことばかりではないと言えるかも知れません。

 外面(そとづら)は謙虚、内面は傲慢、はひとつの方法ですが、「謙遜は、最大のうぬぼれである」という諺の如く、見破られる恐れがあります。