JR西の歴代4社長が刑事責任を問われるという異例の展開となりました。この背景には、重大事故には事故の大きさに見合っただけの「大物」が責任をとらなければならないという、落とし前の考えがあるように感じられます。
事故は運転士の速度超過とJRの管理上の過失によって起きたとされます。両者は、一方の責任を多く認めれば他方の責任は小さくなるという関係です。しかしこれまで、JRの管理問題にのみ焦点が当てられ、速度超過はあまり言及されなかったように感じます。
検察側はJR幹部らは事故は予見可能であったからATSを設置すべきであったという考え方のようです。したがって事故を予見することができたかどうかが争点になります。ここでは運転士の速度超過は予見可能であったか、という点を考えたいと思います。
予見可能性の有無については明確な基準があるわけではありません。常識的には、将来起きる確率が高いと考えられるものは予見して防止策をとる必要がありますが、確率が極端に低いものは仮に予見できても対策をとることが必要とは限りません。予見できたか、あるいは予見して対策をとるべきであったかどうかは起きる確率に左右される問題だとも言えるでしょう。では事故の最大の原因である運転士の速度超過はどのくらいの確率で起きるのでしょうか。
電車は制限速度70km/hのところを116km/hで列車がカーブに進入し、脱線したと推定されています。速度は70km/hに対して116km/hですから1.66倍ですが、カーブ通過時に働く横方向の力(遠心力、転覆させようとする力)はその二乗の2.75倍にもなります(カントと呼ばれる線路の傾きは無視しています)。
制限速度100km/hの高速道路を車で走る場合、1.66倍は166km/hになります。しかし我々の感じる速度差は1.66倍以上になるのではないでしょうか。速度が2倍になれば運動エネルギーは二乗の4倍になり、事故の場合の破壊力も4倍になります。速度に対する我々の感覚は速度の二乗に近いように思われます(私の経験上ですが)。感じ方が運動エネルギーや破壊力に比例するのは合理的と言えるでしょう。
毎日おびただしい数のバスやトラックが高速道路を走っていますが、カーブで速度超過による転覆事故が起きない理由のひとつは速度差を運動エネルギー差のように増幅して感じる仕組みにあるのではないでしょうか(乗用車は重心が低いので横滑りする可能性が高い)。バスやトラックはハンドル操作があるので電車以上に前方を注視しなければならず、速度計を見る余裕は少ない筈ですが、横転事故がほとんど起きないのは前方のカーブを見るだけで速度の恐怖を強く感じる仕組みのおかげだと思われます。
したがって1.66倍もの速度超過は極めて稀なケースであり、予見することは非常に困難だろうと思います。もし1.66倍程度の速度超過もあり得ることを前提にすればATSのない高速バスや路線バスなどの運行は危なくて成り立たなくなります。
一方、飲酒運転車の追突によって3人の子供が死亡した06年の福岡の海中転落事故、つい最近の7人が死んだ同じ福岡の池への転落事故、どちらも車両用のガードレールがあれば助かっていたケースです。JR事故はATSがあれば防止できたというのであれば、事故の原因となった運転者の責任と共に、事故を致命的なものに拡大した道路構造の管理者にも責任もあるはずです。車が海や池に転落することを予見できなかったとは言えないでしょう。
マスコミはJR非難の報道を繰り返しましたが、これが処罰感情を煽ったことは否定できないと思われます。おそらく検察の姿勢にはこのような背景があるのでしょう。これは事故に対する世間(実はマスコミ)の反応によって責任の所在が変わるというご都合主義とも受け取れます。
事故は運転士の速度超過とJRの管理上の過失によって起きたとされます。両者は、一方の責任を多く認めれば他方の責任は小さくなるという関係です。しかしこれまで、JRの管理問題にのみ焦点が当てられ、速度超過はあまり言及されなかったように感じます。
検察側はJR幹部らは事故は予見可能であったからATSを設置すべきであったという考え方のようです。したがって事故を予見することができたかどうかが争点になります。ここでは運転士の速度超過は予見可能であったか、という点を考えたいと思います。
予見可能性の有無については明確な基準があるわけではありません。常識的には、将来起きる確率が高いと考えられるものは予見して防止策をとる必要がありますが、確率が極端に低いものは仮に予見できても対策をとることが必要とは限りません。予見できたか、あるいは予見して対策をとるべきであったかどうかは起きる確率に左右される問題だとも言えるでしょう。では事故の最大の原因である運転士の速度超過はどのくらいの確率で起きるのでしょうか。
電車は制限速度70km/hのところを116km/hで列車がカーブに進入し、脱線したと推定されています。速度は70km/hに対して116km/hですから1.66倍ですが、カーブ通過時に働く横方向の力(遠心力、転覆させようとする力)はその二乗の2.75倍にもなります(カントと呼ばれる線路の傾きは無視しています)。
制限速度100km/hの高速道路を車で走る場合、1.66倍は166km/hになります。しかし我々の感じる速度差は1.66倍以上になるのではないでしょうか。速度が2倍になれば運動エネルギーは二乗の4倍になり、事故の場合の破壊力も4倍になります。速度に対する我々の感覚は速度の二乗に近いように思われます(私の経験上ですが)。感じ方が運動エネルギーや破壊力に比例するのは合理的と言えるでしょう。
毎日おびただしい数のバスやトラックが高速道路を走っていますが、カーブで速度超過による転覆事故が起きない理由のひとつは速度差を運動エネルギー差のように増幅して感じる仕組みにあるのではないでしょうか(乗用車は重心が低いので横滑りする可能性が高い)。バスやトラックはハンドル操作があるので電車以上に前方を注視しなければならず、速度計を見る余裕は少ない筈ですが、横転事故がほとんど起きないのは前方のカーブを見るだけで速度の恐怖を強く感じる仕組みのおかげだと思われます。
したがって1.66倍もの速度超過は極めて稀なケースであり、予見することは非常に困難だろうと思います。もし1.66倍程度の速度超過もあり得ることを前提にすればATSのない高速バスや路線バスなどの運行は危なくて成り立たなくなります。
一方、飲酒運転車の追突によって3人の子供が死亡した06年の福岡の海中転落事故、つい最近の7人が死んだ同じ福岡の池への転落事故、どちらも車両用のガードレールがあれば助かっていたケースです。JR事故はATSがあれば防止できたというのであれば、事故の原因となった運転者の責任と共に、事故を致命的なものに拡大した道路構造の管理者にも責任もあるはずです。車が海や池に転落することを予見できなかったとは言えないでしょう。
マスコミはJR非難の報道を繰り返しましたが、これが処罰感情を煽ったことは否定できないと思われます。おそらく検察の姿勢にはこのような背景があるのでしょう。これは事故に対する世間(実はマスコミ)の反応によって責任の所在が変わるというご都合主義とも受け取れます。
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