「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

大分県中津市 ・ 福岡県吉富町 近代土木遺産 「山国橋 ( やまくにばし ) 」

2012-04-04 22:18:46 | 近代化産業遺産・土木遺産
歩道(左)と車道(右)のコントラストがいい。









リズミカルに並ぶ橋脚







橋台に二穴のアーチが施された福岡県側







下流側の橋脚は平面仕上げになっている。







上流側は水圧を少なくするために水切りがついている。







橋脚肩部には半球体の帽子で保護している。







橋脚の間から中津城が見える。







どっしりとした八角形の親柱。







下流側から見た山国橋の全景







「 小犬丸渡し 」











■ 竣工  /  昭和9年2月28日
■ 近代文化遺産



まだ山国川に橋が無かった藩制時代、
中津に出かけるには広津渡しと小犬丸渡し( 現在の吉富町広津・小犬丸 )から舟で渡っていたが、
明治2年 ( 1869年 ) 1月に、広津~中津間に舟を横に並べてその上に板を敷いた
「 舟橋 」 が架かった。

 明治36年 ( 1903年 ) には、福岡・大分両県が架橋工事費8万円を投じた
幅4.5mの木造の山国橋が完成する。
木造橋の完成で交通も大きく変化したが、
木製であるために路面に穴が開くなど痛みが出て事故も起こるようになった。
そのため福岡・大分の両県が総工事費11万7125円をかけ、
昭和7年 ( 1932年 ) 8月8日から架橋工事に着手し、
それにより昭和9年 ( 1934年 ) 2月28日に
長さ215m、幅8mの鉄筋コンクリート製の山国橋が完成した。
県境であるため12基の橋脚の中央を境に福岡県側に二穴デザインを施したという。
ちなみに橋種はゲルバー式鉄筋混擬土橋に、橋面はソリデチット混擬土橋舗装となっている。


山国橋へのアクセス
山国橋へはJR日豊本線の吉富駅で下車し、徒歩で中津方面に約5分。
国道10号線を利用の場合は豊前市より中津方面に進み、
吉冨中学校の先の二股交差点を左に行き、
陸橋を下りて300mほど直進すれば橋に行き着く。
駐車は、堤防が狭く橋付近は交通量が多いので、
吉富フォーユー会館などの駐車場の利用をお薦めしたい。

( 福岡県吉富町 ・ 大分県中津市 )


沖縄県八重瀬町 「 八重瀬 ( やえせ ) グスク 」

2012-04-04 22:06:52 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



















































八重瀬グスクは、石灰岩を巧みに利用して防禦機能を施した、
二つの郭からなる典型的なグスクである。
他城の本殿が最も高い所に位置することに反して、
この八重瀬グスクは城域の中でも最も低い場所に位置している。
城壁は野面積みの石垣がL字状にめぐらされ、
岩場のない高い所では高さが3mにもおよんでいる。

現在は、八重瀬公園として整備され、町民の憩いの場所となっている。
八重瀬グスクは、別名「冨盛グスク」とも呼ばれ、
城主、八重瀬按司は、唐名・汪英紫(おうえいし)のことだといわれている。

玉村の按司夫人に横恋慕した八重瀬按司は、大里グスクに攻め入り、
按司とともに夫人までも殺してしまう。
その場を運よく逃れた若按司は、勝連の平安名(へんな)大主のもとに身を寄せる。
しかし八重瀬按司の追っ手は平安名まで及ぼうとした。
そこで、玉村按司の頭の長子・亀千代が若按司に成り代わってその身を投げ出す。
やがて、玉村按司のもう一人の頭であった波平大主が、
平安名大主と力を合わせて八重瀬グスクに攻め入り、
八重瀬按司を討ち、身代わりとなっていた亀千代を救い出す。


八重瀬グスクへのアクセス
八重瀬グスクへは、県道507号線を東風平町中学校から具志頭方面に進み、
南部工業高校の先の冨盛交差点を右折して県道52号線に入り、
勢理グスク入り口の第二富盛バス停から約500mの左側に八重瀬公園がある。
その公園一帯が八重瀬グスクである。
駐車は、公園の駐車場が利用できる。

( 沖縄県八重瀬町東風平富盛 )


赤耳もオランジーな気分?

2012-04-04 21:44:30 | 日記 ・ イベント







沖縄泊港の 「 とまりん 」 の隣にあるホテル 「 オランジュール 」




オランジュールは泊港から渡名喜、座間味、渡嘉敷など、
日帰りで離島に行く時に4、5日滞在するホテルである。

そうそう、オランジーナ寅さん扮するリーチャードギアが、
自分にウインクしたり投げキッスをしたりするのと勘違いするCMはタイムリーである。
勘違いしているのを少年が笑うシーンを見て、思わずこっちも笑ってしまう。

リチャードギアならず、ボクも一度や二度そんな経験があるが、
いま思っても、 “ 赤耳 ” ものである。
そんな 「 赤耳経験 」 も、微炭酸のオランジーナが懐かしい思い出に変えてくれるかな?








「 清明 」 な朝

2012-04-04 21:28:24 | 朝の風景とその他の風景





今朝は6時前に散歩に出ると、とても清々しかった。

今日は二十四節気のひとつ 「 清明 」 である。
その 「 清明 」 とは、五番目の節気にあたり旧暦三月辰月の生節で、
新暦では四月四日ごろになる。
春の気が明るく美しく輝き、草木の花が咲き、清新の時となる。

清明といえば、一番に沖縄のシーミーを思い浮かべる。
シーミーは沖縄の三代行事のひとつで、門中単位で行なう先祖祭であるが、
渡名喜島でお墓の前で持参した親類間でお重をお供えしていたのに出くわした。
あとで聞いたのだが、 「 一緒に食べて行けば良かったのに 」 と言っていたらしい。

中国における清明節は祖先の墓を参り、草むしりをして墓を掃除する日であり、
「掃墓節」とも呼ばれた。
日本におけるお盆に当たる年中行事である。
また、春を迎えて郊外を散策する日であり、「踏青節」とも呼ばれた。
『白蛇伝』で許仙と白娘子が出会ったのも清明節でにぎわう杭州の郊外であった。
また清明節前に摘んだ茶葉を「明前茶」、清明から穀雨までの茶葉を「雨前茶」、
穀雨以後の茶葉を「雨後茶」という。
中国で緑茶は清明節に近い時期に摘むほど、香りと甘みがあり、高級とされている。

沖縄県では「シーミー」(首里地方では「ウシーミー(御清明)」)と発音し清明祭ともいう。
中国の風習と同様にお墓の掃除をするとともに墓参を行い、
まるでピクニックのような雰囲気で親類が揃って
墓前で祖先と共に食事(餅や豚肉料理、お菓子、果物など)を楽しむ風習がある