
西郷隆盛が生まれた鹿児島市鍛冶屋町は元下級武士の町で、
西郷の他、大久保利通、大山巌、東郷平八郎らを輩出した所である。
各氏の誕生地の碑が建っている。
西郷隆盛は、大久保・木戸とともに維新の三傑といわれた。
文政10年(1827)、小姓与の吉兵衛の長男として生まれ、
郷中教育の中で文武に励み、禅学も修めた。
17才で郡方書役助となり、やがて島津家28代当主斉彬に登用され、
将軍継嗣及び条約勅許問題に奔走した。
しかし、安政の大獄に斉彬の急死も重なって帰藩した。
その後、僧 月照との投身事件を起こしたものの、一命はとりとめた。
その後、2度の島流しを体験し、元治元年(1864)召還後、
藩政の中核として活躍し、維新の原動力となった。
維新後、新政府の参与、参議、陸軍大将などとなり、
廃藩置県、兵制、地租改正等を断行したが、
いわゆる征韓論に破れて帰郷し、私学校を設立した。
明治10年(1877)私学校生徒の決起により、西南戦争が起こり、
圧倒的な政府軍の前に、城山の露と消えた。