Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

燻し銀の音楽談義の一時

2010-02-05 | 
土曜日午前中に車の中で聞いたラジオの内容を掻い摘んでおこう。ゲストはベルリンのソリストとしてまたその楽器の名手として多くの後進を育てたヴィオラ奏者ヴォルフラム・クリストであった。

指揮者バーンスタインがベルリンのフィルハーモニーに初登場した時の生き証人としての話しに続き、最も影響を受けた指揮者としてアーノンクールを挙げていた。ご本人は、器楽奏者から室内管弦楽団の指揮者として活躍を始めているようで、その指揮者としてのノウハウに興味が特に強いのは理解出来た。残念ながらその楽器名手でありまたヴィオラダガンバなどを弾き始めた作曲家ヒンデミットの話は全部聞けなかった。

氏の演奏を最後に聞いたのは数年前だったと思うが、恵まれた体格からボーイングの妙はその時でも素晴らしかったが、左手の音程などは些か峠を越えて仕舞った印象を受けたのだった。一方アーノンクール氏はもともとヴィオロンチェロを奏する音楽家であり通じるところがあるのは当然であろう。

古典音楽にあるべき発音が、そのもの弦楽の極意であり、子音を正しく発音する演奏を徹底的にオーケストラに要求して、尚且つ声部間のバランスを取りながら紡ぎが見通せる正しい古典音楽語を話していたと言う説明にはなにも付け加える必要はないであろう。アインザッツの弾かせ方だけにでもそれが表れるのは当然であろう。

それに対してフォン・カラヤンのモーツァルトなどを母音で押し通すと定義すると、なるほど子音を無視してモーツァルトを歌っているようなものを具体的に想像させて、殆ど笑ってしまうのである。何一つ批判をする訳ではないが、こうした技術的な説明は試聴者を自ずから啓蒙するほどの大変意義がある内容だと感じた。

あくまでも弦楽奏者の音楽実践解釈でしかないのだが、それが示唆する事は、芸術の奥義に通じるようなものである。なるほど薫陶を受けた彼のお弟子さんや生徒などにもそれが生きているのを知っているが、ヴァイオリンのクスマウル氏などとはまた一味違うまさに燻し銀の音楽談義であった。
コメント (2)
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