梅は飛び 桜は枯るる 世の中に なにとて松は 情なかるらむ
「ヴォイツェック」の作家ビュヒナーの故郷の国立劇場で観たものは、この神楽の物語である。文楽もしくは歌舞伎で有名な菅原伝授手習鑑の 「寺子屋」の段を1913年に作曲家カール・オルフが十八歳で作曲した音楽劇「犠牲」であった。この未出版遺作作品をオルフシリーズ上演を敢行する支配人兼演出家のジョン・デューが作曲家の未亡人の許可を得て、ショット社が編集出版、先月末に百年近くの歳月を経て初演された作品である。
上の一節が語るように京都芹生の隠れ里の寺子屋に匿われ、政敵より求められる菅原道真の遺児の首の代わりに、造反したこれまた家来である松王が自らの子の首を差し出す話である。原作の詳しい内容や背景はご教授願うとして、細部に触れていくと限がないので先ずは一般的な感想をその全体像として紹介しておく。
定期会員も少なくない筈の大劇場であるが、天候もあまり思わしくなく、初日に続いて第二夜目の金曜日は三割程度の入りであったろうか。その殆どの聴衆はロビーで開かれた作品案内に熱心に耳を傾けていたのはその珍しい作品内容や初演ゆえに当然だろう。
作品解説においては原作のみならず平安の史実も詳しく紹介されていたが、平安時代の「舞台背景」と本自体が江戸時代それもフランスではルイ十五世の時代であることの二重構造は明白に認知されていなかったのか十分な説明がなかった。要するに舞台となっている寺子屋などは典型的な江戸の近世社会である事が全く説明されていなかった。しかしこれは日本学の専門家にも江戸と中世を混同する傾向があって、ある意味絶対主義の欧州にも見られる近代への認識の特徴でもある。更に言うと保守主義・伝統主義とか呼ばれる近代思想がそうした誤まった歴史観に立脚しているのだから仕方がない。
監督ジョン・デューの名前は知っていたが、その演出を始めて体験して、大変バランスが取れていて予想以上であった。本人自ら、偶々二年ほど前に日本の友人を訪ねる際に、歌舞伎のみならず文楽の原作を鑑賞して、能も体験して、原作の独訳を研究したらしい。それは、舞台化に活きていて、背景を作曲家の劇場空間としての具象化の予定から一歩進めて野外劇としての能舞台を舞台背景とした効果は大きかった ― 前述した二重構造がこうして幾らか暈かされている。端的に言えば、象徴劇としてドュビッシー作曲「ぺリアスとメリザンド」の徹底研究から生まれたこの舞台劇をややもするとヴァーグナーの劇場劇から救い尚且つそれを示した功績は、その細部を語らずとも明白であった。
それによってはじめて、歌舞伎の名場面である子を寺子屋に預ける母親に縋り付く小太郎に、観衆が涙がちょちょ切れになる田舎芝居の情景が本当の芸術効果を生むのであった ― 当夜のプログラムによると、この芝居が大成功した時ちり紙が売れて供給不足から価格高騰したと言う。(続く)
参照:
VIDEO「菅原伝授手習鑑」寺子屋の場、
文化・芸術 (愛知県)
08土佐絵金歌舞伎寺子屋 小太郎 (YOUTUBE)
舞台写真 (州立劇場、ダルムシュタット)
「ヴォイツェック」の作家ビュヒナーの故郷の国立劇場で観たものは、この神楽の物語である。文楽もしくは歌舞伎で有名な菅原伝授手習鑑の 「寺子屋」の段を1913年に作曲家カール・オルフが十八歳で作曲した音楽劇「犠牲」であった。この未出版遺作作品をオルフシリーズ上演を敢行する支配人兼演出家のジョン・デューが作曲家の未亡人の許可を得て、ショット社が編集出版、先月末に百年近くの歳月を経て初演された作品である。
上の一節が語るように京都芹生の隠れ里の寺子屋に匿われ、政敵より求められる菅原道真の遺児の首の代わりに、造反したこれまた家来である松王が自らの子の首を差し出す話である。原作の詳しい内容や背景はご教授願うとして、細部に触れていくと限がないので先ずは一般的な感想をその全体像として紹介しておく。
定期会員も少なくない筈の大劇場であるが、天候もあまり思わしくなく、初日に続いて第二夜目の金曜日は三割程度の入りであったろうか。その殆どの聴衆はロビーで開かれた作品案内に熱心に耳を傾けていたのはその珍しい作品内容や初演ゆえに当然だろう。
作品解説においては原作のみならず平安の史実も詳しく紹介されていたが、平安時代の「舞台背景」と本自体が江戸時代それもフランスではルイ十五世の時代であることの二重構造は明白に認知されていなかったのか十分な説明がなかった。要するに舞台となっている寺子屋などは典型的な江戸の近世社会である事が全く説明されていなかった。しかしこれは日本学の専門家にも江戸と中世を混同する傾向があって、ある意味絶対主義の欧州にも見られる近代への認識の特徴でもある。更に言うと保守主義・伝統主義とか呼ばれる近代思想がそうした誤まった歴史観に立脚しているのだから仕方がない。
監督ジョン・デューの名前は知っていたが、その演出を始めて体験して、大変バランスが取れていて予想以上であった。本人自ら、偶々二年ほど前に日本の友人を訪ねる際に、歌舞伎のみならず文楽の原作を鑑賞して、能も体験して、原作の独訳を研究したらしい。それは、舞台化に活きていて、背景を作曲家の劇場空間としての具象化の予定から一歩進めて野外劇としての能舞台を舞台背景とした効果は大きかった ― 前述した二重構造がこうして幾らか暈かされている。端的に言えば、象徴劇としてドュビッシー作曲「ぺリアスとメリザンド」の徹底研究から生まれたこの舞台劇をややもするとヴァーグナーの劇場劇から救い尚且つそれを示した功績は、その細部を語らずとも明白であった。
それによってはじめて、歌舞伎の名場面である子を寺子屋に預ける母親に縋り付く小太郎に、観衆が涙がちょちょ切れになる田舎芝居の情景が本当の芸術効果を生むのであった ― 当夜のプログラムによると、この芝居が大成功した時ちり紙が売れて供給不足から価格高騰したと言う。(続く)
参照:
VIDEO「菅原伝授手習鑑」寺子屋の場、
文化・芸術 (愛知県)
08土佐絵金歌舞伎寺子屋 小太郎 (YOUTUBE)
舞台写真 (州立劇場、ダルムシュタット)