Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

たとえ昨年の茶葉であろうとも

2011-07-05 | 生活
日本茶を注文した。昨年の茶を確保しておくためである。静岡でも狭山でもよいのだが、前者は放射線汚染度に関しての隠匿が方針となり、狭山はそもそも汚染量がセシウムの濃度は468~258ベクレルと桁が違う。

当然のことながら新茶に関しては、宇治でも薩摩でも汚染されていない茶などはない。中国産や朝鮮半島のものがそれ以上に安心である保証もない。そもそも敷居値などが無いとすれば、いい加減にご都合で制定してある基準値などは安全神話の風評以外の何ものでもないのだろう。そのような規制当局も生産地も信用など出来るわけが無いのである。

さらに言えば食料の安全などはそもそもあってないようなもので、近所で犠牲者が出たり、風評を聞いて摂取を控えるぐらいの方法しかないのである。絶対安全な食料品など安全な原発と同じでそもそも存在しない。

放射能汚染の場合は一般的に直ちに影響が現る代物ではないからこそ悩ましく、余計に徒ならば納得がいっても金を出すものに対してそのような汚染のあるものを避けるのは当然なのである。

だから、一部で囁かれているように今年の日本産の新米の放射線汚染の濃度次第では改めて日本の国民はその汚染の熾烈さを納得させられてパニックに至ることもあるのだろう。そうなれば、これまでに正確な情報を流すこともなく、規制値の線引きで全てを闇に葬ってしまうとしている共産党のような政府や生産地にその責任があるに違いない。

小出助教が繰り返すように、六十禁とかで安全な食料品は子供に与え年寄りには食べさせないようには現実にはいかないが、少なくとも基準値以下でも正しく公表することを義務づければ、市場が上手に捌いていくことは出来るに違いない。しかし、それを隠して流通させることは、トレースが出来ない限り最終的にはそのまま経済弱者への内部汚染を強要するようなことになることも認知しておくべきだろう。

昨年の茶といっても袋詰めまでの経過で十分に汚染されていることもあるので、日本に注文したお茶が幾ら個人の消費品といっても水際でガイガーカウンターで値が出ないとも限らない。不誠実な静岡産のものなどはEUには入らないとしても、その他のものも今後続々と水際でとめられる可能性があるのは明らかなのだ。

2010年産以降の日本茶をどのように確保できるかは分からないだろうが、少なくともないお金を投資して入手しようというのだから、わざわざ汚染されたものを喜んで購入しようとする者はいないだろう。それが自由市場なのである。



参照:
☆ 【インタビュー】日本の放射能問題は深刻=元内閣官房参与・小佐古氏 by wsj記者: YUKA HAYASHI  (風信子(ひやしんす)の☆本の紹介&エッセー☆俳句)
地元茨城でとれた大豆を100%使用した納豆です。、 
「やさと温泉 ゆりの郷」で親子丼を頂きます。(茨城県石岡市) (saarweineのワインなどに関してあれこれ)
何がために不愉快な存在 2011-06-22 | 歴史・時事
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