Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

セクシャルな「福島」文化の本質

2011-07-24 | 文化一般
土曜日は若干天気が回復した。束の間をアウトドーアで活かそうと思ったがパートナーが仕事で旅行中で、結局家で居座ることになった。今週は昨日三十分も歩いたぐらいだろうか。運動不足である。

さて、予定通りレヴィ・ストロースの「福島本」が到着する。フランス語本にしては新聞での紹介があったゆえか、私がウイッシュリストに入れたためか、独アマゾンでも12冊以上が在庫となっている。日本研究家や福島研究家には必読の書物であろう。

早速目を通すが、大変読み易く、フランス語の評価は出来なくとも名文なのは想像できる。なによりも、著者の絵画の陰毛解析を待たなくとも、セクシーなのである。本質的なことに迫ろうとするとどうしてもセクシーになるのは、三島由紀夫の文章然り、恐らくシェーンベルクの音楽なども同様であるかもしれない。

フランス語は、語彙的には非常に分りやすいので流し読みが簡単に出来てしまうのだが、これはドイツ語と異なるところだろうか?こうして比べてみるとドイツ語の語彙はやはり難しく、しばしばその意味合いを吟味する必要が頻繁にある。そこには構文との相関関係があるようだ。

金曜日に届いたCDをいろいろと流し掛けしたが、「オルフェオ」のプロダクションには驚いた。これほど出来が良いとは思わなかった。ハーノンクール指揮のそれと比較して、世代が異なるといえばそれでお仕舞いだが、「ポッペア」のように舞台で何度も成功しているのに比較するとその評価を知らない。南仏などで公演をしていたのだろうか、これも充分過ぎるほど出来上がったプロダクションである。

他の二種類のものと違ってイタリアプレスの商品であるが、出来上がりも中の解説なども丁寧で、なるほど二枚組みで三枚組みと殆ど変わらないブジェットプライスは納得である。とにかく、三種の歌謡やレチタティーヴの歌い分けがこれほど端的に示されているのを知らない。当然のことながら管弦楽や伴奏がそれに明確に準じている。これほどまでにメリハリがつけられると、耳で聞いていてもそのコムパクトな全体構造が「一目瞭然」なのである。

元カウンターテノール歌手の指揮者のそうしたアプローチで浮かび上がってきるのは、所謂「音楽が先が詩が先か」の大文化論争の時代背景だけでなく、まさに正確なディクテーションとして記譜された詩が歌つまり音楽によって取って代わられるところが興味あるところなのだ。ちょうどそれは、ストロース氏が日本の音楽について語り始めているところであり、興味の中心となるところであるに違いない。

福島の事故が起きて、本来ならば日本の出生率は増える筈だ。しかし、先ほど連邦共和国では妊婦の羊水検査法案が否決された。宗教的な文化背景よりもナチス政権下での「優生法の選別」を繰り返さないためには、そうした中絶は認められない。それはそれでイデオロギーがそこに存在するのだが、科学的に本質に切り込む方が遥かにセクシーなのである。ここでは、「オルフェオ」のネオカントイズムの面には触れないでおこう。



参照:
レヴィ・ストロースの福島感 2011-07-02 | 文学・思想
用心深い行為に隠されたもの 2009-11-08 | 文化一般
旨味へと関心が移る展開 2009-11-07 | 文学・思想
早くも秋の気配の夏休み 2011-07-22 | 暦
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