Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ポストモダーンの歴史化

2015-01-19 | 歴史・時事
20世紀後半の大転換期を代表する作曲家ピエール・ブレーズの九十歳の誕生日コンサートがバーデン・バーデンの二つの会場で開かれた。有名大曲がいくつも演奏され、フランスから移住して永いご当地の作曲家でもあり、関係の深いバーデン・バーデンの放送交響楽団が演奏するので聞き逃せないのだ。録音の幾つかも手元にあり、準備をしようと思っていたが十分な時間がなかった。

こうした機会にその自作自演の録音などを流すと、今まで印象していた以上にそのサウンドが殆どストラヴィンスキーから新ヴィーン学派を通して、メシアンやノーノなどと同じ範疇にあることに気が付くのである。理由は特殊楽器の特殊奏法などが嘗ては新鮮に響いたかもしれないが、今日の耳からするとその多くは馴染みのある響きであり ― 彼の武満でさえ初期の映画音楽は鮮烈な響きを放っていた ―、歴史の延長線上に綺麗に位置させることが出来るのである。

歴史的な回顧となるとどうしても68年に頂点を迎える社会的な変動や意識の変化を考える。そうするとどうしてもその後の創作などが先祖戻りのようにしか響かなくなるのである。要するに半世紀を超えようとしている時代に関しては可成り歴史化が進んでいるのだが、まだまだ20世紀後半は歴史化していないのではないか。本日三つのコンサートの二つを訪れる。

創作家本人の九十歳記念であるというのは歴史化どころではなく、時事なのであるが、この催し自体が歴史化されていくことは確かであり、それを起点として近過去が歴史化されていく切っ掛けとなるのではないだろうか?それがとても楽しみなのである。

イスラムの過激派の襲撃に関して話題は絶えない。ラディオでは連邦共和国内での具体的な動きはないとしている。日本のネットでも取り上げられているシュピーゲル誌の情報を否定した形となっている。シュピーゲル誌は長く左派系の雑誌としてオピニオンを形成してきていたが、その編集者の交代などをみるようにもはや嘗ての社会的な意味合いは失ってきているかのようである。

なるほど日本では今回の件でも様々な意見が出されていて、興味深い。一つには、嘗てのようなマルキズムによる思想的な基盤が失われていることと、その反動のポストモダーン的思考が、この問題で洗い直されているかのようにも思える。特に中東のパレスティナ問題に対する日本のメディアの扱いは惨憺たるものであるかが、ネット上では窺い知れる。イスラエルのガザ攻撃最中にイスラエルの交響楽団が東京公演を行っても事件にならないのがおかしいのだ。それ故に、昔からの左翼過激派のごとくモスレムの視点、つまりどうもそこに非西欧の日本を同一視するような論調も見られる。それならば日本の帝国主義侵略戦争は許されるとでもいうのだろうか?ポストモダーン思想そのものだ。



参照:
普通の日本人たちの責任 2013-05-20 | 歴史・時事
核後進国の苦悩と悲哀 2012-06-06 | 歴史・時事
コメント
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