Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

秘義とはこれ如何に

2015-09-09 | マスメディア批評
承前)楽劇「神々の黄昏」の第二幕をCDに焼いてみた。先ずは、CDに収まるようにアウダシティーと称するフリーソフトを使って切ってみる。その演奏時間から当然の帰結であるが、第二幕は拍手を入れても一枚に収まることになった。通常のCDから比較するとコードを入れる必要が無いので80分近くまで収録可能となる。第一幕も入るが、これはプロローグを切り離して別途に収めないといけない。そして第三幕も一枚に収められた。そして、CDプレーヤーで初めてWAVファイルを鳴らしてみる。今までのMP3とは違って、音場感と音の質感が全く異なる。サムプリングレートもCD規格となるが、ラディオ放送としての標準音質にまでなった。若干、ソロの声の張りが強く響き過ぎるので、今度は綺麗に切れた第三幕を1:1の時間を掛けてCDに焼いた。これで声の感じが柔らかく響くようになったようだ。八倍速の焼き時間に比較すると読み込みミスなどが少なくなるからだろう。

FAZのおばさんが一番の具体的な批判としているのは次のことである。第二幕冒頭の印象的な景である死んだアルベリヒが息子ハーゲンの夢枕に現れて、復讐を誓わせようとする場である。そこでは、まさしく奈落の下から、手に届かないような紗の奥の風景のような実体感の無い響きであることが殆どなのだが、またしてもここではペトレンコ指揮では明白に声部が各々にその存在価値を主張する。それはなにも木管楽器の刻みだけではなくて、同じように弦楽の連譜が正確に明瞭に刻まれることになって、そこには松葉が確りと書き込まれている、つまりクレッシャエンドとデュヌニエンドが声部毎に細かく書き込まれている事に気が付く。その通り演奏しているだけなのだが、おばさんはそれをして皮肉のように吐き捨てる、「ペトレンコの秘儀だ」と。

そこで指摘されているのは、暗い弦とトロンボーンにのるそのフルートから始まってクラリネット、オーボエが絡む「知ったかぶりの嘲笑」のサウンドであり、そのとても珍しいミキシングだと言うのだ。なるほど、そこを他の演奏録音と比較してみると、これほど明晰に弾かせている指揮者などはいない。とても驚いたのは、一点一画を揺るがさない芸風で高名なカール・ベーム博士の有名なバイロイトでの実況録音で、そこでは全く上のような書き込みに無頓着で、寧ろ雑な印象を受けることだ。同じく楽譜を徹頭徹尾音化すると思われているゲオルク・ショルティーがスタジオで、劇場付き管弦楽団を全く平素の毎晩の演奏の慣れのままに弾かせていて、これまた驚愕する。同時代のフォン・カラヤンは手兵の交響楽団使ってスタジオ録音しているのであるが、あのピラミッド型のいつもの音響では試聴するまでもなくその結果が知れている。

なるほど、このペトレンコの演奏では、そこのシンコペーションの弾かせ方が、敢えて表現すればロシア風のリズムが基本にあって、余計にそれが強調されることになるが、だからと言って四晩続けて聞いていてもおかしなアクセントに気がつくことは無く、その点を批判する者は皆無なのは至極当然である。それを言えば、来年からこのプロジェクトを引き継ぐヤノフスキー指揮のドレスデンの録音でも若干スラヴ的なリズム感は感じられる。しかしなによりも、ヴィーンのそれも特にチャルメロのオーボエは流石に非音楽的な響きでさえあり、ここでは同じく劇場付管弦楽団のマンネリ化した演奏法のような流儀を強く感じて、そのメリハリの無さはこの楽譜には本来はありえないものなのだ。しばしば演奏実践の伝統と呼ばれるような全く楽譜が無視されて来た日常のお仕事の弊害はこうした超一流の劇場でも同じなのである。

この箇所に関しては、初演に隣席した数学者プリングスハイムの感想を読んでも、音響がモコモコとして曇っていて、明白さが足りないと感じていたようで、楽匠の手の込んだ仕事もその会場の音響もなんらの効果をあげずに百年間も演奏され続けていたことになる。

個人的には、この場面から次のホルンの八重奏へと繋がる日の出のチェロによる上昇音形に耳を奪われた。ここも他の録音などでは無視されていて、精々唐突にクラリネットの間奏からホルンへと繋がっていくのだが、その単純なドソドソドのシンコペーションはとても音楽的に効果的であり、錚々たる高名な指揮者陣たちもこれだけの大曲になると、こうしたところは可也劇場の楽士に任せて弾かせっぱなしにしていることが知れるのである。こうした細部への拘りが、決して劇場の経験などから生じるのではなく、完全に楽譜を読むことからのその必然性に導き出されているよい証拠であろう。(続く



参照:
全曲を無事エアーチェック 2015-08-18 | 生活
不特定要素である凡庸さ 2015-08-10 | 文化一般
コメント
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