Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

遠くになりにけり

2019-06-01 | マスメディア批評
先日生放送された祝祭新制作「影の無い女」の新聞評が載っている。何か意見の違いがあるかと思ったが殆どなかった。ラディオ放送では分からなかった演出に関しては、シェローのアシスタントのそれに「理念が無く」とあったのも終演後にブーも出ないぐらいのそれで予想していた通りだ ― そもそも演出が気に入られるということは音楽もなにも分からぬ程度の聴衆の想像の域を超えていないということでしかない。どうも演出云々という層は、僅かばかりの脳を働かして、あれやこれやとものの条理を芝居の中に考えてと、TV連続ドラマを追う程度の知性でしかない。せめて歌芝居でなく、台詞芝居で云々とものを考えて欲しい。

新聞は、だから今回の演出が二十年前のロバート・カーセン演出の心理劇に及ばす、最初の情景からして野鳥館のようだとしている。要するに放送を聴いていたのと初日にプレス席にいたのと殆ど感想は変わらない。

オールスターキャストは、染や夫婦に留めをさして、次に皇帝夫妻、技術的にも問題のあった乳母となり、ミュンヘンでのキャストに及ばない祝祭制作初日では情けない。そしてティーレマンのザルツブルクでのそれを期待していたら外れであり、一幕を抑えたのは歌手を考えたのか、二幕では金管の咆哮でなんとか迫力があり、三幕の弱音の芸術でやっと日常の水準を超えたとしている ― 私の言葉を繰り返せば「指揮者は還暦超えて退化、御用指揮者フィッシャーと変わらない」と殆ど同じことが新聞に書いてある。

更に私が身分相応の喝采としたところを新聞は「嘗ての栄光時に知っている熱狂のようにはならないのがこの記念公演に影を落としていた」としている。これは放送で聞く限り一部の喝采を浴びせていた聴衆をも暗に揶揄していて、つまり150周年を迎えた現在のヴィーンの国立劇場の芸術程度を示唆している。

端的に言い直せば、あの程度で喝采している連中に支えられているような、ここでも最もいい劇場指揮者の一人とされる指揮者ティ-レマンには、それ以上は求められないことということだ。皆が分かっているとしても、当晩劇場に座っていた次期音楽監督ヨルダンが振ってもそれ以上には期待されないということでしかない。栄光は遠くになりにけりということを上手に表現している。

来年のミュンヘンの宿を予約した。前回泊まって気に入ったところが空いていただけでなく格安になていた。一泊55ユーもしないで調理器や食器までついている。前回はダルマイヤーで購入したワインと惣菜で楽しくやった。あれは記念公演の「マイスタージンガー」と見学を組み合わせた時に一泊76ユーロだった。部屋数が少ないのでほとんど同じ部屋だと思う。一泊では短すぎたと感じた快適さがあった。二泊となると二回市内と往復することになる。翌日にフランケン地方に旅立つにしても都合がいい。



参照:
Ein Kaiserpaar, das wirklich singen kann, REINHARD KAGER, FAZ vom 28.5.2019
予行演習をする 2019-05-26 | 生活
一級のオペラ指揮者の仕事 2019-01-14 | 音
竹取物語の近代的な読解 2014-12-31 | 文化一般
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