フランクフルトの市街地は暑い。空気が暑い、排出ガスが多いのかもしれない。高層ビルに囲まれていても煙突効果を防いで、空気が上手く回っていないかのようだ。折からの好天だったが、地下鉄で二三駅移動するだけで違う街区の風が気持ちいい。ヘクストの工業地帯で水温の上がったマイン河の辺にあって、ロートシールト家の本家の隣であっても、その空気はそれ程ウェットにはならない。もしこれがセーヌやテームズの流れだったらと考える。要するにおかしな情感とは無縁の土地柄である。決して道頓堀にはならない、また独最大の労働組合IGMの本拠地の並びでもある。
二日続けて同じ劇場に通ったのはバイロイトの祝祭劇場以来かもしれない。出し物はバロック後期と1920年代の作品と全く創作時代が異なるばかりか、オリジナル楽器演奏と大管弦楽団を続けて座付楽団がやり遂げてしまうこと自体が、そこら辺りの地方の劇場ではありえない。
前者の「ロデリンダ」の方の牢獄シーンは「フィデリオ」と、後者の「ロジェ王」の方は「サロメ」と比較しても構わない。そして、二つとも子供が重要な役として登場していて、そして光が影を射している、つまりハ長調の影が強く射す。双方のプログラム冊子の、また舞台の白黒が際立った。しかし、双方ともが美しいコントラストを放って、聖霊降臨祭を彩るようなことは無く、まさしく劇場外の両日の残像のように尾を引いた。
後者のシマノフスキー作曲の作品自体のフィナーレのあり方など、その解決も話題となるようなのだが、今回のヨハネス・エラートの演出にドラマテュルゲとして関与した公演前のガイダンスでのホルパーチ氏の話しに尽きた。作曲家の恵まれた環境やその作曲への動機付けなどが示唆されていたが、この作品における同性愛へのディオニソスの存在と、祖国ポーランド若しくは生まれ故郷の現在のウクライナ地域への視座が全音階のオリエンタルな音楽への傾倒へと結びついた。そのものサロメの「七つのヴェールの踊り」と対象化される。しかしそのもの音楽監督リヒャルト・シュトラウスの追従ぶりとは異なり、自らの音楽言語の独創性を追求したシマノフスキーはその死の四年後にはピエール・ブーレーズによってその和声が注目されていた。
今回の演奏は、元音楽監督のカムブレランの帰還公演としてその指揮で為された。前夜のバロックオペラ指揮とは正反対に本格的なオペラ指揮者の腕を披露して、歌手への指示などで音楽の劇場的効果を最大限に生かしていたが、それゆえに余計に座付楽団のまたその指揮の限界をも如実に表した。故ジェラル・モルティエがこの指揮者について頻繁に書いていたように、演出段階から指揮者として関与する姿勢が見て取れた。予想通り、参考資料としたパパーノ指揮のコヴェントガーデンでの演奏とはランクが異なり、音楽劇場にそれほどの高度な音楽は必ずしも必要が無いこともよく示した。音楽劇場にそれほど高度な音楽を期待する方がお門違いかもしれない。
この「ロジェ王」は敢えて音楽劇場作品と呼ぶべきで、実際作曲家シマノフスキーの当初付けた副題「三幕のミストリウム」となり、「オペラ」とはウニファ―サル版でのように後に付け加えられた。つまり近代では舞台神聖劇「パルシファル」一幕と三幕の中心部分に相当する。その通りエクスタシーからエクスタシーへと運ばれる音楽がそこにある。その言葉や独自性からスクリャービンなどを想起する向きもあるかもしれず、所謂ロシアの象徴主義の流れにも置かれる。
創作過程は、作曲家のまた従兄弟に台本を書くようにそそのかしての協調とその関係において垣間見ることが出来るようである。一幕から二幕に掛けてはデュオニソス的に王の妻ロクサーナのみならず市民を魅了する牧童が主役になっているが、三幕になって王の影に隠れてしまう。そしてロジェ王は、日が昇るハ長調の世界に取り残され強い影が射して暗転となる終末を作曲家は求めた。自らをそこに投影させていたからである。
1937年の作曲家の死後、評論家のシュトッケンシュミットが「この作品にはまだ時代が熟していない」と書いているようで、結局このドラマやロジックの代わりにミスティックが制する作品が音楽劇場作品として取り上げられるようになったのは二十世紀末のこととなる。(続く)
参照:
フランクフルトのお題二つ 2019-06-07 | 文化一般
フランクフルトのオペラ 2019-06-10 | 文化一般
二日続けて同じ劇場に通ったのはバイロイトの祝祭劇場以来かもしれない。出し物はバロック後期と1920年代の作品と全く創作時代が異なるばかりか、オリジナル楽器演奏と大管弦楽団を続けて座付楽団がやり遂げてしまうこと自体が、そこら辺りの地方の劇場ではありえない。
前者の「ロデリンダ」の方の牢獄シーンは「フィデリオ」と、後者の「ロジェ王」の方は「サロメ」と比較しても構わない。そして、二つとも子供が重要な役として登場していて、そして光が影を射している、つまりハ長調の影が強く射す。双方のプログラム冊子の、また舞台の白黒が際立った。しかし、双方ともが美しいコントラストを放って、聖霊降臨祭を彩るようなことは無く、まさしく劇場外の両日の残像のように尾を引いた。
後者のシマノフスキー作曲の作品自体のフィナーレのあり方など、その解決も話題となるようなのだが、今回のヨハネス・エラートの演出にドラマテュルゲとして関与した公演前のガイダンスでのホルパーチ氏の話しに尽きた。作曲家の恵まれた環境やその作曲への動機付けなどが示唆されていたが、この作品における同性愛へのディオニソスの存在と、祖国ポーランド若しくは生まれ故郷の現在のウクライナ地域への視座が全音階のオリエンタルな音楽への傾倒へと結びついた。そのものサロメの「七つのヴェールの踊り」と対象化される。しかしそのもの音楽監督リヒャルト・シュトラウスの追従ぶりとは異なり、自らの音楽言語の独創性を追求したシマノフスキーはその死の四年後にはピエール・ブーレーズによってその和声が注目されていた。
今回の演奏は、元音楽監督のカムブレランの帰還公演としてその指揮で為された。前夜のバロックオペラ指揮とは正反対に本格的なオペラ指揮者の腕を披露して、歌手への指示などで音楽の劇場的効果を最大限に生かしていたが、それゆえに余計に座付楽団のまたその指揮の限界をも如実に表した。故ジェラル・モルティエがこの指揮者について頻繁に書いていたように、演出段階から指揮者として関与する姿勢が見て取れた。予想通り、参考資料としたパパーノ指揮のコヴェントガーデンでの演奏とはランクが異なり、音楽劇場にそれほどの高度な音楽は必ずしも必要が無いこともよく示した。音楽劇場にそれほど高度な音楽を期待する方がお門違いかもしれない。
この「ロジェ王」は敢えて音楽劇場作品と呼ぶべきで、実際作曲家シマノフスキーの当初付けた副題「三幕のミストリウム」となり、「オペラ」とはウニファ―サル版でのように後に付け加えられた。つまり近代では舞台神聖劇「パルシファル」一幕と三幕の中心部分に相当する。その通りエクスタシーからエクスタシーへと運ばれる音楽がそこにある。その言葉や独自性からスクリャービンなどを想起する向きもあるかもしれず、所謂ロシアの象徴主義の流れにも置かれる。
創作過程は、作曲家のまた従兄弟に台本を書くようにそそのかしての協調とその関係において垣間見ることが出来るようである。一幕から二幕に掛けてはデュオニソス的に王の妻ロクサーナのみならず市民を魅了する牧童が主役になっているが、三幕になって王の影に隠れてしまう。そしてロジェ王は、日が昇るハ長調の世界に取り残され強い影が射して暗転となる終末を作曲家は求めた。自らをそこに投影させていたからである。
1937年の作曲家の死後、評論家のシュトッケンシュミットが「この作品にはまだ時代が熟していない」と書いているようで、結局このドラマやロジックの代わりにミスティックが制する作品が音楽劇場作品として取り上げられるようになったのは二十世紀末のこととなる。(続く)
参照:
フランクフルトのお題二つ 2019-06-07 | 文化一般
フランクフルトのオペラ 2019-06-10 | 文化一般