ワイン祭りが終わった。次は来年である。統括すれば、三泊のみ外泊だけだったが、自宅に居てもノイズキャンセリングを使うほどのことは無かった。確かに日中は気温が上昇したが夜は窓を閉めれた。実際には最終日は開いていた。フィラデルフィアからの放送を大音量で流していたので外の音楽も気にならなかった。土曜日はベルリンからの中継を観ながら食事の用意をしていたので苦にならなかった。それ以上に金曜日に出かけて、日曜日早朝に走ったのでアルコールと疲れで直ぐに眠れた。
それでも日曜日早朝の放送でシカゴ交響楽団の放送を録音して、走っている間にニューヨークフィルも録音しておいた。何度も放送されているようなレリ・グリストを中心としたバーンスタイン指揮のアーカイヴなのだが、「千人の交響曲」第一部は拍手が入っていてライヴ録音だった。それを流してみると、いつものバーンスタイン節なのだが、動機毎の表情が明白に描けていない。改めてブレゲンツでの録音を聞くと超一流の管弦楽団に決して負けない表現を二流交響楽団が聞かせている。まさしく指揮者の差でしかないのだが、キリル・ペトレンコがマーラールネッサンスのレナード・バーンスタインなどに比較しても「世紀の指揮者」であるという事があまりにも明白になる証拠でしかない。本当に素晴らしい世紀の演奏であった。素晴らしく底鳴りしてくるような録音を聞く度に新たな感動が湧き起るが、来年は更にどんなに素晴らしい演奏が繰り広げられるのだろうか。
その他フィラデルフィアからの生中継も録音した。外が喧しくて生ではゆっくり聞けなかったが繰り返し聴きたい。一曲は先日のカーネギーホール公演でのラフマニノフ一番で、何よりも入力を最大で録音したので歪無しのもの凄い録音になった。やはり何回か演奏していて可成りの程度になっている。前半のモーツァルトのコンツェタントも昨年引退したオーボエのリチャード・ウッダムスが演奏していた。正直昨年の最後の海外ツアー同行の節はそれほど聞こえなかった。引退間近で旅行中だから仕方がないだろうか。そして今回モラーレス、マツカワ、モンターンを率いて何回も演奏していてと、なるほどと思う演奏だった。お互いに手の内をよく知っているので逆に聞いて出方を待つ感じがありありで、逆に細かな傷を作ってもいたようだが、やはり音程も美しく、オルガンのようにハモル唯一の木管群だと思う。同じようにソリスツに合わせるためにいつもの耐え切れずのスイングのような指揮になっていたのがネゼセガンである。この指揮者の最大の弱点である。しかし世界の頂点でも中々上手く行かない指揮とは大変なものだと思う。
今晩は21時からベルリンでのユロウスキー指揮のアンサムブルユナイテッドベルリンの録音が流される。リゲティ―のピアノ協奏曲などもあり楽しみである。
さてそろそろ楽劇「サロメ」の準備かと思うと、送料無料サーヴィスでCDを二枚ほど見つけた。一枚は、先ほどズビン・メータが「春の祭典」を振ったとあったが、ニューヨークでの二回目の録音を見つけた。今更とも思うが知らない録音であり、ミリオンセラーのロスでの録音は1969年で、ニューヨークで一回目が1978年、そしてこの二回目が1990年になっている。全く関心が無かった時期なので記憶も全くない、評判もあまり良くないが、デジタルで録り直したのだろう。ブーレーズに続いて首席指揮者になっているので悪くは無いと思うがどうだろう。来年久しぶりにこの管弦楽団を聞く予定なので様子を見てみたい。更にカップリングに来年聞く予定の「三楽章の交響曲」が入っている。
こうやってメータ指揮の録音を見てくると、なんでも振っていたようでありながら特別な楽曲への集中した取り組みがあって、まさしくマイフェーブリーツスを繰り返し取り上げている。「オテロ」の指揮でも感じたが、自家薬篭中のものと言った感じで、その音楽運びが本当に上手い。あれをして嘗ては面白おかしくなどとか非難されたのだが、彼の十八番に文句をつける人は最早居ないのではなかろうか。その意味からも聞いてみたくなった録音である。あの指揮振りと共に至芸だと思わせる芸術だ。幾ら齢を重ねても殆どの指揮者はあそこまでに至らない。
その6ユーロ。また前々から気になっていたウィリアム・クリスティーの自主レーベルからの詰め合わせアルバム「ラモーさんの庭」が八割引き4ユーロなので発注しておいた。場所を取ると言っても10ユーロならば配給業者応援のために役立てれば嬉しい。
週末に帰宅してPCを上げると、画像が乱れた。幸い再起動すると元に戻ったが、そろそろモニターカードが逝かれてきたのかもしれない。完全に壊れるまでに次に乗り換えたい。現在のものを音楽LINUXのPCとして改造可能のうちにという事になる。新たなPCもそれほど強いものは要らない。WIN10が搭載されていても御座なりで使うだけで、どちらでもよい。最早オペレションシステムなどには関心が無くなった。最終的にLINUXとして転用するだけだからである。
参照:
宇宙の力の葛藤 2019-05-20 | 音
METを超えたオペラ 2019-04-17 | 音
それでも日曜日早朝の放送でシカゴ交響楽団の放送を録音して、走っている間にニューヨークフィルも録音しておいた。何度も放送されているようなレリ・グリストを中心としたバーンスタイン指揮のアーカイヴなのだが、「千人の交響曲」第一部は拍手が入っていてライヴ録音だった。それを流してみると、いつものバーンスタイン節なのだが、動機毎の表情が明白に描けていない。改めてブレゲンツでの録音を聞くと超一流の管弦楽団に決して負けない表現を二流交響楽団が聞かせている。まさしく指揮者の差でしかないのだが、キリル・ペトレンコがマーラールネッサンスのレナード・バーンスタインなどに比較しても「世紀の指揮者」であるという事があまりにも明白になる証拠でしかない。本当に素晴らしい世紀の演奏であった。素晴らしく底鳴りしてくるような録音を聞く度に新たな感動が湧き起るが、来年は更にどんなに素晴らしい演奏が繰り広げられるのだろうか。
その他フィラデルフィアからの生中継も録音した。外が喧しくて生ではゆっくり聞けなかったが繰り返し聴きたい。一曲は先日のカーネギーホール公演でのラフマニノフ一番で、何よりも入力を最大で録音したので歪無しのもの凄い録音になった。やはり何回か演奏していて可成りの程度になっている。前半のモーツァルトのコンツェタントも昨年引退したオーボエのリチャード・ウッダムスが演奏していた。正直昨年の最後の海外ツアー同行の節はそれほど聞こえなかった。引退間近で旅行中だから仕方がないだろうか。そして今回モラーレス、マツカワ、モンターンを率いて何回も演奏していてと、なるほどと思う演奏だった。お互いに手の内をよく知っているので逆に聞いて出方を待つ感じがありありで、逆に細かな傷を作ってもいたようだが、やはり音程も美しく、オルガンのようにハモル唯一の木管群だと思う。同じようにソリスツに合わせるためにいつもの耐え切れずのスイングのような指揮になっていたのがネゼセガンである。この指揮者の最大の弱点である。しかし世界の頂点でも中々上手く行かない指揮とは大変なものだと思う。
今晩は21時からベルリンでのユロウスキー指揮のアンサムブルユナイテッドベルリンの録音が流される。リゲティ―のピアノ協奏曲などもあり楽しみである。
さてそろそろ楽劇「サロメ」の準備かと思うと、送料無料サーヴィスでCDを二枚ほど見つけた。一枚は、先ほどズビン・メータが「春の祭典」を振ったとあったが、ニューヨークでの二回目の録音を見つけた。今更とも思うが知らない録音であり、ミリオンセラーのロスでの録音は1969年で、ニューヨークで一回目が1978年、そしてこの二回目が1990年になっている。全く関心が無かった時期なので記憶も全くない、評判もあまり良くないが、デジタルで録り直したのだろう。ブーレーズに続いて首席指揮者になっているので悪くは無いと思うがどうだろう。来年久しぶりにこの管弦楽団を聞く予定なので様子を見てみたい。更にカップリングに来年聞く予定の「三楽章の交響曲」が入っている。
こうやってメータ指揮の録音を見てくると、なんでも振っていたようでありながら特別な楽曲への集中した取り組みがあって、まさしくマイフェーブリーツスを繰り返し取り上げている。「オテロ」の指揮でも感じたが、自家薬篭中のものと言った感じで、その音楽運びが本当に上手い。あれをして嘗ては面白おかしくなどとか非難されたのだが、彼の十八番に文句をつける人は最早居ないのではなかろうか。その意味からも聞いてみたくなった録音である。あの指揮振りと共に至芸だと思わせる芸術だ。幾ら齢を重ねても殆どの指揮者はあそこまでに至らない。
その6ユーロ。また前々から気になっていたウィリアム・クリスティーの自主レーベルからの詰め合わせアルバム「ラモーさんの庭」が八割引き4ユーロなので発注しておいた。場所を取ると言っても10ユーロならば配給業者応援のために役立てれば嬉しい。
週末に帰宅してPCを上げると、画像が乱れた。幸い再起動すると元に戻ったが、そろそろモニターカードが逝かれてきたのかもしれない。完全に壊れるまでに次に乗り換えたい。現在のものを音楽LINUXのPCとして改造可能のうちにという事になる。新たなPCもそれほど強いものは要らない。WIN10が搭載されていても御座なりで使うだけで、どちらでもよい。最早オペレションシステムなどには関心が無くなった。最終的にLINUXとして転用するだけだからである。
参照:
宇宙の力の葛藤 2019-05-20 | 音
METを超えたオペラ 2019-04-17 | 音