Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

傷だらけになって力尽きて

2009-04-16 | アウトドーア・環境
今日は岩場には遅めに着いたのだが、駐車場には全く車も無く、岩場には二人しかいなかった。片方が少年であり登るのは大変上手いのだが、確保は結局手伝った。

二人とも完全にスポーツクライマーであり、体が重い私にはなかなか全部はついて登れない。七級とかの難易度になれば初めから試みないのだが、登れそうな難易度なのでどうしても手が出てしまう。そして、二勝二敗の結果であった。

大分遅くなってから、久しぶりの面々が顔を出すようになって盛況になったが、こちらはマンハイムで会合があるので早めに切り上げた。

傷だらけになって、力尽きた。それでも三年ほど前に登れなかったルートがなんとかなったのは大成果である。そのために新しい靴を買うときに、そこを登れる靴と考えたぐらいだからである。

細い岩の割れ目につま先を差し込んでも痛くもなくて、上手く捻じ込めるものがほしかったのである。それほどではないが少なくとも足が千切れそうに痛くならないだけで随分と落ち着いて登れる。その分岩の割れ目に深く捻込んだ腕は足を滑らせたら折れてしまわないかと恐怖であった。

金曜日にまた行こうだかとか土曜日に行こうだかとかの話を横目に、此方はそれまでに腕の痛みがとれるだろうかとしか考えられない。
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復活祭の葡萄における展開

2009-04-15 | 
復活祭の日曜日への一週間の内に、葡萄は萌芽から展葉へと転じた。これほど明確な復活祭も珍しい。

アーモンドの花の奥には緑の新緑が潜んでいた。早咲きは完全に花が散って、緑が眩しかった。そして葡萄も葉を広げようとしていた。

名うての地所の葡萄はやはり成長が早く、硬く乾燥した枝からは強く堅い芽が驚いたかのように吹き出して、しなやかで瑞々しい枝からは優しく淡い緑がぷつぷつと頭を出していた。つい先日まで仕付けをしていた横着な醸造所もあったと言うのに今はどうだろう。葡萄の手入れによる差は既に顕著である。

復活祭を迎えるフォルストの町のしっとりした夕景はなんと幻想的だったことか。そこからウンゲホイヤーの地所を廻り込むと真っ白なホーランダーが白い花穂を垂らして白い細かな雪のような小花を散らしていた。思わず桃源郷にトリップしていた。はたまた夢か幻か、そのように思うことすらが幻のようでしかない。裸の腕に吹き付ける逆風に初めてそれを拒む物質を感じることが出来るのである。

葡萄は、その木の力強さと炭水化物の貯蓄がここまでの成長に係わる。
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独・ユダヤ・シナ・日本の愛憎

2009-04-14 | 歴史・時事
承前)映画「ジョン・ラーベ」は、新聞評にもあるようにドイツ・ユダヤ・シナ人男女の愛情関係が余分のように挟まれたり、ドラマトュルギーにしても悪く言えば冗長で完成度が足りなく、良く言えば開かれたままの部分が敢えて残されている。それが、主人公の本当の意志を見極めることが困難なためか、そのきな臭さの匂う当時の状況を敢えてそのような形で提示したかのように、映画自身の評価と共にジャーナリスト泣かせの作品となっている。

当日討論会に参加予定であったが、不明瞭な理由で欠席したフローリアン・ガレンベルガー監督のインタヴューを読んだ。検閲の問題など微妙な問題に答えているので、先ずは要約して紹介する。

政治的な問題があり各国政府が関わってくる映画制作を撮り終えての感想を質すと、中国との共同制作であったにも拘らず撮影許可は大きなハードルであったと答え、日本が微妙な役を演ずることで検閲を通すことが容易ではなかったと答えている。通常は、共産党の文化局の映画課に台本を提供して、そこから訂正された脚本が戻されて、映画が完成後に再び提出するのだが、今回は宣伝省の検閲どころか、外務省のそれを必要としたと、クリップのはりつけ作業の多さを吐露している。

本来は「日本の問題」である筈のこの映画に対してどうしてそこまで中共は拘るのかとの質問に対して、二つの理由を挙げている。一つ目は中国が今日大国然として見られたがっていて、ラーベの歴史は中国が被害者であり、彼らを護るのが外国人である「問題」を挙げる。二つ目には、現在重要な経済パートナーである日本に配慮する必要があったと言うのだ。つまり日本をあまり否定的に描く訳にはいかないと言う事情である。例として、大陸棚油田交渉で両首脳が調印した明くる日には撮影の中止が言い渡されて、また反対に虐殺に触れていない日本の教科書が発刊された時にシナ人は怒り、明くる日には制作を激励されたりと大変薄氷の事情を説明している。

日本での公開に関しては、そこでタブーとなっている南京虐殺であるゆえに公開は非常に難しく、この罪と責任に建設的に係わる道を日本人は未だに見つけていないが、日本で有名な俳優を起用したことによって日本でこの映画が完全に無視されることはないだろうと語っている。

そして、この映画に出演する事で放火や夫人の誘拐に脅える俳優達が驚くべきことに自らの歴史に十分に通じていなかったと、「南京の嘘」出版などの日本の特殊事情を説明する。そして、ホロコースト修正主義者とは比べられないとはしながらもそうしたメカニズムは似ているとして、日本人は「日本と天皇家の恥じを転嫁しようと必死になっている」と解説する。

ここまで読んで気がついた事だけでもメモしておく。一つは、上映会に続いて開かれた討論会のパネリストであったハイデルベルク大学の中華学教授ミュラー・ザイニ女史の些か歯切れが悪く紋切り型の反応である。当日、中共のフランクフルト領事が臨席していたことはアナウンスされたが、欠席した上の監督同様どうしてもオープンに語れない事情が当日あったように今や強く確信している。

映画についてはもう少し考えて行く。(続く



参照:
歴史を導くプロパガンダ 2009-04-05 | 歴史・時事
知性に劣る民を卑下する美徳 2009-04-06 | マスメディア批評
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「ドイツ問題」の追憶の日々

2009-04-13 | 歴史・時事
ドイツ問題は複雑だと書いた。先日のジョン・ラーベのマティネーの討論会に参加していたヴォルフガング・ザイフェルト教授は丸山真男解釈の専門家でもあるが、一連の話の中で「追憶の政治」として、中共による80年代からのプロパガンダが挙げられて、その後の修正主義者とそれに反目する中共との政治関係へと進む日中関係が示された。

追憶の政治学とは、カールスルー大学の研究所で元ジーメンス社長が評議委員になる事などを阻んで、すったもんだの末結局一昨年マンハイム大学にその研究所を移したペーター・シュタインバッハ教授の名付けた歴史政治を指す。先ずそれを氏の文章から掻い摘んで紹介する。

「追憶の政治」として、1985年に行なわれたフォン・ヴァイツゼッカー大統領の演説が最も有名である。最初に追憶の政治が議論となったのが60年代の終わりの11月革命五十周年とその二年後の帝国百周年に際する自由主義者へのラシュタットの記念碑と言われる。

要するに歴史を如何にみるかで、将来への方向をどうしても決めてしまうその追想を指す。西ドイツにおいては、68年の運動から燻り続けた議論の一つの終点でありそこからの解放として大統領の演説があったことは隠せない事実である。例えばポーランドとはオーデルナイセの国境が定められたが、東方条約によって移住者の殆どが信仰するプロテスタント教会はその条約を逸早く認めたとしても、東の国土からの駆逐や捕虜問題まで今も当事者の補償問題として活動があり終結していない政治問題がそこに存在している。これらはもちろん外交上の国の問題としては更なる進展はなく、ただ一般市民が主導権をとって運動する事によって初めて問題化出来ることである。ここで紹介した「躓きの石」にしろ、公的資金を得た展示や記念碑として社会の中に定着して行くのは歴史認識の社会化なのであろう。当然その受け入れられ方に世代差というものが生じる。

ペーター・シュタインバッハは言う。歴史は頭にあると。だからこそ歴史の強調は、セマンティックな意味を変えると。歴史政治は、政治の興味を反映してその社会的影響や意味の浸透を為す。そこに、巷で些か異なる意味で使われる「修正」や「相対化」の言葉も存在するのだが、それ故に誤解を招いているとする。学術な意味において相対化は文字通り二つの事象を比較する事で結果を得る作業であるが、一般的に使われる時は矮小化の意味すら持つと言うようにである。

1989年の壁の崩壊後に東側の独裁主義下の個人性や西側から見た共産党の人権侵害への視点が議論となったのは周知の事であり、未だにそれは連邦政府の歴史政治の一部となっている。またナチスの独裁と他の独裁を比較出来るかという事になれば、アウシュヴィッツを棚に上げろとは誰も要求することはない。欧州のユダヤ民族殺戮は唯一無二とすることに疑問を誰も挟まない。だから、「追憶の政治」として扱われる範疇は、「谷である過去」が戦後政治において、「歴史の反映する条件」に関する議論となる。

もちろん現在においてもEU内での政治的目的が、更に過去へと遡る追想を定める政治形態となっていることは言うまでもないが、そうした歴史家による議論が認識の進展の重要な前提となると言う希望があった訳で、それが偽りであったのは第一次世界大戦におけるドイツ帝国の責任を議論したフィッシャー議論であったと語る。

さて、奇しくもザイフェルト教授は、私と同様フォン・シュタウフェンベルクからジョン・ラーベへと続くレジスタンス活動や皮肉にもナチの力を使ったヒューマニズムが、ドイツのアリバイとなるのではないかとする危惧を表した。そして、それが社会の歴史認識が将来を定めると言うことへの危惧でもある。

ゆえに歴史政治の議論は、歴史的な真実の意味付けのためでなく、演出された紛争を捉えるために行なわれ、過去へ遡るナチズムに関する議論は、当時の雰囲気を説明する世論調査的な一目瞭然な感受性を捉えるのではなくて、そうした趨勢に押し寄せる病態と機能というものを捉えるべきだとシュタイン教授は説く。その結果、歴史政治は教育の場においても啓蒙的に現代の歴史議論を踏まえて行なわれるべきだと主張する。

ここまで押さえた上で、映画やそれに纏わる状況を再度捉えてみる。(続く



参照:
Politik mit Geschichte – Geschichtspolitik? Peter Steinbach (Bundeszentrale für politische Bildung)
躓きそうになるとき 2008-10-03 | 生活
石林の抽象への不安 2005-10-25 | 文化一般
IDの危機と確立の好機 2005-04-20 | 文学・思想
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情報の洪水を汲み尽くす阿呆

2009-04-12 | マスメディア批評
ジョン・ラーベとその最新映画の評価はとても難しい。ドイツでの「その問題」は、相対化可能な南京虐殺の真実とかそう言った極東での単純な問題では済まなそうである。一方、上映へのネット署名活動や話題に上る僅かな反響に、日本における情報がマスメディアや似非文化人学者らの影響を強く受けているかが如実に表れている。

麻生による空前の景気刺激案がフランクフルターアルゲマイネ新聞の経済欄の第一面を飾っている。その詳細をここで紹介する必要などさらさらないが、「真水」と題する小さなコラムだけでも扱っておこう。

日本人が真水と呼ぶ政府が直接財政にて支出する刺激策はただの一部であって、その大部分は赤字国債などが割り当てられるものであると述べ、真水という概念は財政の健全さを繕うのに幾らか寄与しているというのだ。巨額な経済刺激策で以って選挙に挑もうとする麻生太郎首相は、その真水効果をもはや汲み尽した。麻生は、だから税制改革を施し、高い消費税を以って財政赤字を押さえ込むと宣言した。経済を不景気から救うことが前提条件として有効となる。そして、将来的に増加する高税への見通しが日本人に重く圧し掛かり、その消費を押さえ込む。同時に、力強い財政赤字の増加は既に長期金利を押し上げている。政府の財政支出の麻薬は、経済成長の底力を強化するにはあまりにも貢献しない。財政負担の井戸から真水らしきものを汲み上げ尽くす者は、「回復」をも洗い流してしまうだ。

ロンドンにてメルケルドイツ首相を批判した麻生首相であるが、経済的なその根本を悔い改めないかぎり同じ事を繰り返すだけである。得をするのは一体誰なのか、考えてみれば明快である。

それからすると、商業主義から一般消費者やさらに専門家と呼ばれる人々を目覚めさせることが如何にに難しいかが分かるだろう。宣伝、評価などがマスメディアに載せられて、僻地へと流れ着くとき恐ろしくそれは実態とは打って変わって変貌している。

既に流通機構にのって商品としてが扱われる時点で商業主義の悪弊から逃れることは難しい。現在のようなネットによる直接な情報が行き来する社会においても辺境の市場においてはその独自の言語とか文化の壁によって、商業主義の影響が極端な方向へと歪められて突出することが少なくない。消費や市場や言論の自由とか宣輩に限って、実は資本経済主義という井戸の中の蛙状態でその自由を知らないのである。その情報の洪水の中で幾ら真水を見極めようともがいても致し方ない。



参照:
Mamizu, Patrick Welter, FAZ vom 11.04.2009
40兆の国債発行と使途も問題にしない高学歴低脳大国 (ザ大衆食つまみぐい)
海外旅行 (虹コンのサウダージ日記)
フランケンのソーヴィニョン (新・緑家のリースリング日記)
ドイツワインガイドの最高峰 ゴーミヨ2009到着! (おいしいワイン見つけた!!)
知性に劣る民を卑下する美徳 2009-04-06 | マスメディア批評
歴史を導くプロパガンダ 2009-04-05 | 歴史・時事」
宵越しの金は持たないと嘯く 2009-04-03 | 歴史・時事
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麹の絞り粕を舐め栄養補給

2009-04-12 | 料理
どうも私はカルシウム不足のようである。四週間も絶食をしていてはそれも仕方ない ― 遠くから友人の声が聞こえる。「この一週間食べたものを挙げてみろ」。肉類は今日全部で一キロ近く購入したこれで欠乏した養分は補給出来るだろう。本当はハイデルベルクへ再び行ってビオ牛肉を食べて、再び墓場に舞い戻ろうと思っていたが止めた。あまりに墓場に入浸れていたのではいけない。

渋滞を越えての八百屋の帰りにスーパーに行こうとすると、案の定駐車場所が無く火曜日まで買物を諦めた。十分に野菜もあり、肉もあれば、飢え死にすることはない。帰りに五月の催し物の打ち合わせも兼ねて醸造所に立ち寄り、新しいオルツリースリングを取って来た。先のグーツヴァインの良さなどを話していると、もう一つのオルツヴァインの第二樽が面白いという話になった。なるほど、そこに含まれている原料の葡萄は?!こうした情報はやはりお徳で美味いワインを探すには聞き逃せないのである。

今日は朝から暑かったので、お昼は盛り蕎麦にした。漬け汁を比較的丁寧に味付けしたので結構美味かった。八百屋で買ってきた子蕪も美味い。

昨晩飲んだ天然酵母醸造の2007年産リースリング「ガイス」は、バッサーマン・ヨルダン醸造所のアウフデアマウワーとして賞賛された商品の姉妹商品で、価格リストには載っていなかったのだが今棚卸となっているものである。その味は抜栓当初は癖が強く出るが二日目三日目とその酵母臭さが抜けて旨い味になってくる。これはこうした天然発酵ワインの特徴のようで、ある意味二日目・三日目に出てくる旨味はワインのそれではなく絞り粕汁のようなものだろう。少なくとも、開けた日に美味しく飲めるようなワインでなければワインではないと断言しておこう。これは、二日目にへたるワインは駄目という問題とは関係ない。だから醸造所はこの商品を実験と言って表に出すことを控え、ステンレス醸造して安く提供している。ひょっとするとゼクトに使われた可能性もあるような気がする。

しかし、この絞り粕のような味はビールの酵母のそれと良く似ていて栄養も豊富でアルコールも効かないような絶食向きのワインのように感じるのは私だけではないような気もする。きっと不足のミネラルも補ってくれるものに違いない。
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蕎麦アレルギーに冒されると

2009-04-11 | 料理
昨晩、散歩から帰ってきて、ざっと汗を流した。そして、昔近所に住んでいたエンジニアが日本へ帰任するというので、態々ブルッセルから留守中に持ってきてくれていた日本蕎麦の乾麺を食する。

郵便桶に放り込むであったので、日本人妻を義理の娘に持つ近隣の者などに電話を掛けて確かめたり、可能性のある者をピックアップする。すると留守中に電話が掛かってきた番号を見つける。

蕎麦は一時夏の食事として日本から取り寄せていた時期もあった。それほど暑い夏を過ごした事もあったのだが、ここ十年ほどは殆ど食していない。毒入り乾麺でないことが分かったので愉しみに茹で上げる。

日本食材とはご無沙汰なのだが、こうして手元にあると仇のようにして食べてしまうのである。250Gの袋を釜揚げにして一挙に食べてしまった。蕎麦は好きなのだが子供の頃からのアレルギーがある。流石にこれだけ一挙に食べると気分が悪くなればなるほど、蕎麦粉がしっかりと入っていたと嬉しくなるのだ。アレルギーと堪らない美味さは紙一重なのだ。

お茶も飲まずに、天然麹のリースリングを引っ掛けて寝床についた。明け方、魘された。夢の内容や設定もさることながら、そこではたと、前日の森の中を彷徨った事や最近認めていた文章の節々に深層心理のようなものを見つけて、筋肉痛に病めながらも、愕然とする。

これでは夢判断では無く、文章判断と言うに近い。さらに考えると、散歩の途上にふと考えた事にもそうした影が差し掛かっている。文章表現から、夢を見て、夢から現実の行動が映し出されるように感じる。それは、散歩の途上に考えていた情感的なものが思考に影響すると言う事でもあり、そもそもそうした情感的な影響のないところに純粋思考が存在するかという問いかけでもある。夢であろうが、文章であろうが、思考であろうが、そこに時間軸が存在しないと仮定すれば、そこに境界域が生じないと言うのは、特に情感的な思考を前面に押し出す芸術文化表現では当然の事なのである。



写真:森を散策中に見つけた木に宿る茸。
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回峰途上に見た鯉のぼり

2009-04-10 | 
聖金曜日の前に夕方パンを買いに出かけた。土曜日の朝までのパンと今晩の夜のリースリングに塩焼き結び目パンを手にいれた。歩く格好をして折角そこまで来たので、坂道を最後まで車を走らせ更に奥へと森を入って行く。

そこから、五つばかりの遊歩道が伸びているので、一番短い町の方へと戻る道へと進む。陽射しがあるので夕方にワインの地所を散策するのは暑くて、陽が暮れたぐらいの方が良い。ポーランドでは摂氏28度まで気温が鰻のぼりのようである。森の中はその分Tシャツで歩くと快適である。

町の方に戻ると、森に面した屋並みに鯉のぼりを見つけた。表札にはその鯉の如く家族の名前が書き連ねてあって、誰それの鯉と鯉のぼりまで書いてあった。とてもほほえましい気持ちになって、周回コースを再び森に入って行くと素晴らしい見晴台があって、そちらへと引き込まれた。そして更に進んでいく。

暫らくすると谷へと道はどんどんと下って行き、自宅へ道しるべがついている。車の方へは谷を遡るほうへと行かねばならない。とうとう谷へと降りてしまった。そして少し遡るが一向に来た方向へと登る道が分からない。

これは出直しを決断しなければ陽が暮れてしまうと、急がば回れで谷から再び上へと道を引き返す。高度差八十メートルほどを一機に上がると汗が吹き出した。今年になってはじめての大汗である。そう言えば毎日のように山の中を彷徨っていたのは中学生のころ以来なので、こうして千日回峰のように駆け回っているとあの時のように再び身が軽くなるだろうか。

案の定、鯉のぼりの情緒と見晴台の光景につられて道を失っていた。一時間半ほど掛けて、結局6キロ程を走破した。帰ってくると、ご近所さんはまだ冬タイヤを履いていて来週には夏タイヤにすると語っていた。
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褌を締め直して車を走らせる

2009-04-09 | 雑感
夏タイヤに替えた。復活祭までは冬タイヤを履いて置くのが普通で、最後の春スキーなどを愉しんでいたころは間違いなく冬タイヤの使用を引っ張っていた。

しかし、今年の場合は岩登りをはじめており、たとえスキーシーズンを送っていても今更という感じが強い。今日は特に暖かく、シャツ一枚で歩き回っていた。

体調も気力ももう一つなのだが、先週よりは岩肌も乾いていて、いよいよ本格的なシーズンという印象さえする。体の切れがまだまだ悪いのだが、先週よりは大分楽で、徐々に良くなってくるだろうと期待している。

車が、あまり走らせるメーカーのものではないので、嘗てのようにドライヴの楽しみというものはないが、夏タイヤの走行感や走りはやはり気持ちが良い。

ダイムラー社は、株主総会があったが、売り上げの落ち込みはまだ一年は続きそうで、数減らしも検討に入っていると言う。景気の後退に対して早めに生産調整を出来なかったつけが株主だけでなく、労働者にも廻って来そうである。それでも、将来的な開発や投資は崩せないと、褌を締め直して行くと社長は発言したそうだ。
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グッと我慢してバーと放出

2009-04-08 | 
昨晩、銀行のしくじりに気がついた。細かく都合をつけている金の事なので腹立たしくもあり、大変不愉快であった。朝起きて、流石に怒りは薄れたが、電話をかけるまでやはり気分が悪くむしゃむしゃする。

12時間たったお蔭で、怒りを爆発させる事もなく、事務的にそれを伝えて遺憾の意を示した。何時もどやしてばかりいてはやはりいけない。先方も直ぐに度重なるしくじりを認めたので、そっと鞘を納めた。

時々は引いておかないと、いざという時の怒鳴りが効果を持たない。逆にどやしがあるから、おとなしくすると余計に先方に圧力をかける。要は、間違いなく素直に仕事をして貰いたいだけなのである。

度重なるしくじりをしたのは、若い娘だと分かっているので、なにも教育的な気持ちはなくてもグット押さえて、こちらも我慢するのである。
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非難仕様がないエコ生産品

2009-04-07 | ワイン
昨日は本当の久しぶりにハイデルベルクでフラッシュを焚かれた。パパラッチではなく、警察の交通取締りのそれである。ドイツ国内では十年以上も反則点数もなく模範ドライヴァー顔で走ってきたが、昨日は続々と溢れ出している二輪車を追い越すときに速度標識を一枚見落としてしまった。もちろん、点数が引かれ高額な罰金が科せられるならば言い訳をしなければいけない状況であった。点数抜きの適当な額の警告金なら払ってしまうが、さてどうなるだろう。状況は写真からある程度推測されるとは思うのだが。

帰りに、底をつきだしたワイン蔵の在庫状況から、ビュルクリン・ヴォルフ醸造所でまだ試していない2008年産グーツリースリングを調達して来た。これがまた色が濃く、味もスパイシーで尚且つアルコール12%と立派なのである。味の深みも恐らく多くの一級地所から間引きされた葡萄が集められてキュヴェーになっているのか、かなり複雑なのである。

この先どのような熟成をしていくかなど全く判らないが、とても愉しめて、現時点ではこれ以上のものは要らないぐらいである。近々オルツヴァインも試すが、昨日遠回りして購入しても良かった2007年度産バッサーマンヨルダン醸造所の再び旨くなって来ているヘゴットザッカーと共に、少々の金さえ投入すれば、とても様々なリースリングを愉しめる。

フォン・ブール醸造所の2007年産ヘアゴットザッカーの在庫さらいをした。驚くことに熟成が進んでいて、芋焼酎のような後味に気がついた。早く飲むべきリースリングであるが、これはそれなりに愉しめる。但し、元来その土壌が有している個性がそれほど立派なものではないので、少々薄っぺらい感じは免れない。

さて、ビュルクリン・ヴォルフの2008年産の瓶には新しい表示が施されている。ビオ・ディ・ヴァンというビオデュナーミックのそれである。そして、公的なバイオ農試験検査を通過したエコローギー栽培からの葡萄によってのワインという指定は、そうしたものに関心の薄い者にでも結構輝く。そしてなによりも味が良いのだからけちの付けようがない。
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知性に劣る民を卑下する美徳

2009-04-06 | マスメディア批評
ジョン・ラーベの映画と討論会は大変有意義であった。ネット上でも「日本では上映させない」とかネット右翼が叫んでいるようだが、共同制作であるから中共はこれを受けざる得ない訳で、日本でこの映画の上映が問題になるようでは明らかに中共よりも日本の民意は劣るという事になる。

この映画が立脚する事実関係は「ラーベの日記」であり、それはネットにて批判対象となっているものであるので、大変問題が多い作品かと思っていたが、上手に教育的な視点を持って大日本帝国軍の罪が完全に相対化されているのである。この典型的なハリウッド風の娯楽映画に事実関係や告発や真相と深層を期待するのは間違っているが、少なくとも多くの人に客観的にその時代を実感して貰うようなつくりとなっている。

個人的には、東京裁判の路線を継いだ朝日新聞や左翼の所謂自虐史観の教育を受けた世代として、述べたような「南京の虐殺」を実感するにはあまりにも物足りなかった。少なくとも突発的に起きたであろう婦女暴行や市民に対する人道に反する帝国日本陸軍の暴走が十分に描かれずに、それは脇に追い遣られて、「本質的な戦争犯罪」こそが描かれるに留まっていた。

つまり、婦女暴行は、一人の娘への未遂と二人の暴漢の日本兵が子供に打ち殺されて、娘がインターナートへ逃げ返ったところへ日本の兵隊がやってきて、寝床から起こされた居並ぶ娘達を真っ裸にして家宅捜査する「DVDマニアに魅せるシーン」としてのみ暗示されていて、その他は「インタナート娘を都合しろ」と迫る日本兵の要求する場面だけに「現在も日本で盛んな抑圧の性犯罪」が美学的に代えられて表現されている。だから基本的に「皇軍」は紀律正しく描かれていて、それはラーベの日記に岡少佐との会話として残されている日本軍との関係に影響されているのだろう。

逆に司令官であった陸軍中将朝香宮鳩彦は、皇族として東京裁判での絞首刑を逃れたゆえに、この映画においては「捕虜の保護の条約を無視」する最大級の戦犯として描かれていて ― 恐らくその事実関係も正しいだろうから ―、ここに日本人に対する教育的なメッセージが隠されている。要するに、討論会であったように政治学の専門でもある日本学のザイフェルト教授が言う「日本での研究は、当初から熱心に行なわれて大変進んでいて、犠牲者の数の問題などはもはや重要ではない」と、中共が誇大な数でプロパガンダをしようがどうでも良いと言うのだ。学術的に重要なのは、「人道的な犯罪へと至るそのメカニズムであり、それは皇軍独自の服従の構造なのか、はたまたそうした抑圧が暴発したからなのか、そうした軍事教育が問題なのか」を考えて行く事で、七十年前の真実よりも今に通じる問題の方が遥かに重要なのは尤もである。

それでは、未だになぜ修正主義者は七十年前の「真実」とかに拘るのか?なぜこれほどに穏やかな映画すら日本での上映に問題が起ると予想されるのか?極右と言われている輩は一体なにを恐れているのか?これらについて明確な回答を他の質問に答える形で教授は示してくれた。

それは、先般も驚くほど知的程度の低い自衛隊の制服組の最高幹部が示したような、第一次中華事変から太平洋戦争までの総てを、反西欧主義のアジアの植民地からの解放として扱い、侵略戦争としての否定面を一切認めないと言う主張の存在である。更迭されたその男が講演会を開いて生計としていることが示すように、ある世代からあとの若い日本人は管理教育と呼ばれる「卑下する国民」として養成された一方、僻みと裏腹な空威張りの愛国教育がなされた現在の日本の社会基盤がそこに存在するからである。それは、江戸時代から戦前の社会まで綿々と続いた「為政者が被支配者の下卑た精神を庶民に植えつける事によって支配する方法」への教育であったのだが、そうした被支配者層が高学歴化への道を歩み、戦前はある種のエリート層のみが国際的関係を持ったのとは異なり、「卑下する庶民」が世界と直接繋がる事により、一種の逆人種差別というような風潮が蔓延しているのは一目瞭然なのである。そうした風潮を戦前の西欧化への試みの教育と重ねるところに、現在のネット右翼と呼ばれるような、もしくはろくでもない発言をする日本社会の指導者層の精神構造が浮き彫りとなる。

それゆえかハイデルベルクのザイフェルト教授は、「日本社会党の村山首相が謝罪を示した以上に、ドイツ首相ヴィリー・ブラントが地面に跪いたような態度をとる必要などない」と断言的に説く。ただし、日本は、大日本帝国がドイツ皇帝ヴィルヘルム二世の真似をして中国において「人道的犯罪を犯した史実だけを認めれば良い」のだという。もちろんそこには、ここで再三扱ったコールハンマー教授が説くように、また本日も話題となったように、日本の教科書の南京虐殺の記載についてその文部省の検定が「広く社会で議論されるが、中共などはそれも全くない訳」で、朝鮮にしろ中共にしろ日本のまともな議論の相手ではないという事情が横たわる。

それならば、ああした日本の極右翼と呼ばれる連中や、もしくは自虐史観や親中・親米を売りものにするマスメディアなどは、「一人前の国際関係を築くための思想集団やジャーナリズム」などでは到底なく、為政者にとって都合の良い対抗軸を築くためのプロパガンダの方棒を担いでいるだけなのである。

たとえ国民の平均化によって戦前よりも現在の日本人の知性が劣っているとしても、例えば中共の人民へと直接語りかける可能性は当時と異なり手軽に幅広く存在している。南京出身者の話に ― その国策教育で植えつけられた感情を取り除いた所で ― 耳を傾けると、我々がネットで見せられているような虐殺行為よりもなによりも、映画で描かれていたような南京絨毯爆撃こそが主な南京市民が被った大日本帝国によって引き起こされた実際の戦争体験なのである。それはベルリンで多くの女子がロシア人に強姦されたように「月並みな戦争状況」なのである。つまり昨日書いたようにそれらは月並みな戦争体験と言っても良い。全くドレスデン市民もそれと変わらない。それどころかザイフェルト教授も、ヴェトナムでの米軍とシナでの皇軍を比較する。それならばと、ハイデルベルクの今回の主催者グループらが音頭をとって、南京市と広島市の姉妹都市交渉を進めているという。ベルリンの寺岡大使もそれに賛意を示したようだ。

こうして将来へと向けて、特殊なイデオロギーを持つ一部の為政者連中とは一線を隔して進んで行くことが出来よう。そうした関係を、対インドネシア、対オランダ、対朝鮮、対ロシア、そして対合衆国へと各々と築く事となる。先ずは、オバマ大統領に広島訪問を期待する前に、日本の選挙民が自らの知性で正しい判断を下す事ではないだろうか?

そこに感情的な市民の被害妄想など必要ないのだ。日本国内での社会的な関係を国際的なそこに結び付けて得をするのは一体誰なのか?

非ナチ化裁判後のラーベへのジーメンスの援助などの質問があったが、その質問の背景にある問いに答える背後状況は残念ながら明らかとはならなかった。また記録映画として現存して挿入されている米国製のフィルムの素性すらなかなか分からないらしい。討論会後、会場の近くのベルクフリートホッフにマックス・ヴェーバーやヴィルヘルム・フルトヴァングラーの墓参りに行ったが今回は残念ながら見つからなかった。



参照:
タイタニックかあ・・・。 (たるブログ)
「南京事件を描いた映画「ジョン・ラーベ」の日本公開を求める署名 」
歴史を導くプロパガンダ 2009-04-05 | 歴史・時事
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歴史を導くプロパガンダ

2009-04-05 | 歴史・時事
ネットで見る限り、日本は一大軍事ショーと戦争ごっこに湧きかえっているようだ。首相がTVの前に出て来ると言うからには、元々ロケットの一部が日本の領土に近づいて来る確率は、それを撃ち落とす確率よりも遥かに低いのだろう。さもなければ、あれだけの税金を投資しておきながら技術的に難しい迎撃に対して自信を持って総選挙へ向けたプロパガンダなど出来る訳がない。とんだ茶番劇ではないのだろうか?麻生の二段ロケットとはこれだったのだろう。それでは一体三段目はなになのか?

明日の討論会の準備をしている。今週から封切になった映画「ジョン・ラーべ」上映に伴うそれの事である。最近は映画館づいているので、先行して独日協会においても情報を流しておいたのだが、結局皆が言うような胡散臭いハイデルベルク「ラーべ記念館」の婦人科医ラーべ教授にも連絡を取る事もなく、マチネーに挑みたいと思っている。足かせとなるイデオロギーとかわらない下手な先入観念は持つまい。

最近はすっかりと影を潜める修正主義の衒学風研究者の論拠と資料に目を通す。その資料とやらの偽造などでその言い分が瓦解したとかある。しかし、南京で起った事件は、極一般的にありえる軍事行動に伴う蛮行であって、なにもベトナム戦争へ遡るまでもなくイラクにおいてもどのように民間人が襲われたかを見ればなにも驚くにあたらない。寧ろ、そうした進駐先ではなく沖縄での大日本帝国陸軍の島民への蛮行の方が興味深い。清潔で統制のとれた軍事行動などを夢想する輩も少なくないようだが、所詮軍族などはそうしたものである。

その点、中国で生き仏と呼ばれるジョン・ラーべなど民間人の場合は複雑で、その行動様式は、シンドラーの場合などのように個人に帰するものではなくて、全く党派や社会に帰するものでありそうだ。ラーべの日記を纏めて「南京の真実」として出版したのが日本で育った人気TVアナウンサーで、ギュウンター・グラスの友人であるウルリッヒ・ヴィッケルトの父親であり、ナチスの政策を押し奨めるために日本に滞在したあと、再び北京のドイツ連邦共和国大使になっているその人だと初めて知った。

ラーべがナチスドイツの命を受けてジーメンスの支配人として南京で活動していた訳で、その企業体と中共政府との付き合いは現在まで滞ることなく続いていることは周知の事実である。バイエルンのシュトラウス首相と中共との親密な付き合いや、シュレーダー時代におけるトランスラピッドの貸与など、一筋縄ではいかぬ賄賂攻勢で大スキャンダルとなったジーメンス社の社風と言える裏事情を髣髴させてくれるのである。今回の映画制作も、恐らく上海での撮影に有形無形に援助の手を差し伸べた中共政府からかなりの圧力がかかったと言われるが、結局肝心の部分は描かれずにハリウッド製作のドイツ映画として評判は悪そうである。

南京で起った事象については色々と印象は持っているが、先ずは映画を観て、ディスカッションの方向をみてから、見解や今後の対応について考えてみたい。少なくとも「良いナチ」評価への動きは見逃さないつもりだ。



参照:
ポストモダンの貸借対照表 2005-09-02 | 歴史・時事
美しい国は何処に? 2006-10-01 | 雑感
社会不安を煽りたい麻生 2009-02-12 | マスメディア批評
2009年度が始って2日目 (日々雑録 または 魔法の竪琴)
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いよいよ四月本番の空気

2009-04-04 | 
今日は予想通り暑かった。季節がら冬物さらい市のセーターを着て出ると、車の風を強く吹き出させる必要があった。道の両サイドはあ彼方此方ピンクのアーモンドが満開である。日差しはそれほど強くなかったので、逆に蒸した。

朝からつまらない調べものをして、買物の帰りに午後の半時間ほどを、先日の筋肉痛を解すために歩いたのだ。バルコニーにも長椅子を出して、これは外で夕食かと思ったが、陽が翳るとやはり室内に閉じこもる。それでもヒーターは要らないかもしれない。

昨晩は、キッチンの窓を開けたまま就寝した。今日はヒーターを切った。2005年だったか、四月に一番暑かった年があったが、今年はそうはならないだろう。

既に夏用に購入したソヴィニオン・ブランを二本空けてしまった。今年の夏は長くなりそうである。オバマ大統領はバーデンバーデン入りを果しただろうか。

来週の復活祭の休暇で、アルプスの殆どのスキー場はシーズンを終える。
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宵越しの金は持たないと嘯く

2009-04-03 | 歴史・時事
日本ではG8とG5を足してメジャーエコノミックミーティングと呼んでいるらしい。ロンドンでのG20について、そうした世界の国々における協調の仕方は様々である方が良いとするヴァリアブル・ジオメトリーがEUでの考え方で、G8の意味合いもそのひとつである。

ベルリンとしては、英米の仕掛ける経済危機における各々の国の公的資金運用による支援体制と強化とオバマ・ブラウンの「環境への経済推進」によって、最も今後の世界にとって重要な金融の秩序作りの課題が暈かされることを恐れたという。

前日には、最も経済危機に際してIMFやOECDを通じて貢献するドイツ連邦共和国をもはや合衆国さえベルリンを非難しないであろうと報じられたが、東京を出発前に新たなアジア諸国に向けての膨大な援助額を表明した麻生にメルケルは批判される事となったようである。

しかし、基本的に今最も大切なのは、こうした金融危機の再発を押さえる方へと、もしくはマカオや香港シンガポール、ルクセンブルク、スイスなどのヤクザな国に圧力を掛けて、税制上の公平性を確立して、世界の金融を安定させていく方へ規制強化して行く事に他ならない。それは所謂プロテクショにズムとは異なる新たな経済的な世界発展への試みである。

さもなければ、幾ら膨大な国際的な援助の潤沢な資金も、同じような金融市場における新たな混乱を招くと考えるのは当然であろう。

要するに、日本人などは、昨今の危機を乗り越えて来たというが、ここに来て同じように経済危機に陥っており、何をか況やである。過去三十年間の経済の歴史を見れば、それが十分に社会に還元されて、社会資本として積み重ねられている様には殆ど見えない。

連邦共和国がいくら輸出大国とは言え、また今後は合衆国が従来のような輸入大国でありえることはないと言うことから、またその限られた経済的な資源や高齢化した社会からして、今後とも財政状況を無視してまで世界に貢献して行くと言うことはありえない。

そうした観点から社会主義政党のシュタイブリュック財務大臣が、SPDお得意のソフトによる途上国援助などを楯に、日本などがアピールするようなハードである「金子の餌撒き」支出を押さえながら、国連の常任理事国入りを目指して行くのは正しいだろう。

所詮、ドイツ連邦共和国は国土も資源も無く、労働力も市場も限られている、それならば世界秩序という知的な貢献をしていけば良い。地震の来るたびに紙の家を建てて生活していれば良い民族とは大いに異なる。

「宵越しの金は持たない」、

「あ、ぞう」。



参照:
生活保護が1割超 (虹コンのサウダージ日記)
エンデから遅れること15年 (たるブログ)
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