Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

災い転じて福となったろうか

2010-03-18 | 雑感
先週は結局腹具合が回復していなかったので、一週間振りのクライミングである。時間が限られている事もあって、先々週とはまた違って集中して登る事が出来た。

心なしか体重が落ちたようで、体の切れも良くなり、腕力の体重比が上がってきたようである。体力的な落ちは全く感じられなかったので、災い転じて福となす呼ぶものかも知れない。

来週はどうなるか判らないが、来来週は外でのクライミングとなりそうだ。室内でやれる若干特殊なトレーニングが出来たので良かった。

その中でも閉じた体勢からの練習は、片足加重が基本となるので、両足で立つときにもその体重の加重の感じが認識し易い様になった。これはスキーやスケートで片足で滑ってみるのと良く似ている。更に片足でも外側と内側の使い分けなどなかなか微妙な感じが得られた。

後は蛙飛びで飛びついたりする方法であるが、これも嘗ての感覚からすればご法度であったが、場合によっては特にかぶり気味の処などでは使えることも間違いない。
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柔らかい緑のなかで始まる一日

2010-03-17 | アウトドーア・環境
朝から一銭にもなら無いようなことで忙しくした。午前中から六キロ以上森を歩けたのは嬉しかった。緑が柔らかい感じで気持ち良い。

取ってきたパンにドイツの青黴チーズとサーモンを乗せて朝食とした。

茶会に関してのスポンサー探しの話の前に、先週体調不十分で休んだクライミングのお誘いが来ていて嬉しくもあり、小忙しかった。

予定の来客があって、片付けものをして、夕方は予定通りフランクフルトへと出かけた。

音楽会は今日と明日の二日続きなのだが、明日は予定が重なっていけない。

充実していたとは言えないが、予定をこなした一日であった。
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ブレーキの効く両輪に身を任せよう

2010-03-16 | 雑感
カトリック教会のペドフィリアへの圧力は一向に衰えない。緑の党キューナス女史は、教会が事件解決に協力的でないとするならばお仕置きの可能性を示唆した。もちろん、ズボンを下ろさせてお尻を叩くと言うものではなく、教会税などの経済的制裁を加えようとするものである。

世俗が深く関わることはあまり良しとしないが、世俗に経済的に多く依存している限りは仕方ないのである。特にヴァチカンは、天皇家とは異なり世俗の強力な権力を保持しているから、世俗の掟に抵触するようなことがあれば厳しく断罪されるべきなのである。

新聞の文化欄は、音楽文化的な影響に見るドームシュパッツェのペドフィリアを扱っている。当然のことながら、その天使の歌声が性的な清澄と呼ばれるそれに背反するものの反映であるのは、この宗教の本質的なものであることを間接的ながらも説明している。

そしてそこで挙がる作家の名前がゲーテからトーマス・マン、バッハからロベルト・シューマンを通ってベンジャミン・ブリテンまでであり、その天使の歌声の本質を捉えている。芸術音楽分野で直ぐに気がつくのが、ルネッサンス・バロック期における除外であり、そこでのカストラートの活躍であろう。

そのカストラートが啓蒙思想から活躍が制限されるようになると、少年合唱という不安定で裏返しに非常に性的な音楽が生じてくるのである。なにもブリテンを挙げなくとも、カトリックに劣らないほどその効果を活かした英国国教会のそれを思い出せば十分だろうか。

音楽教師におけるペドフェリアの率は平均よりも遥かに高いと断言する。それは、身体を心を使った指導であるのは、フィギュアスケートや新体操などの場合と事情が良く似ている。

「性の存在なくして愛が芽生えることはなく、愛の存在なくして性が満たされることもない。愛と性とは車の両輪。」 医学博士 奈良林 祥

それでは問題はどこにあるのか?それは、そうした価値感が商業化されることにある。その点で、児童ポルノ漫画などは、表現の自由とは関係無い所で商売をしているだけなのである。

ドイツでは、ラッチンガー兄弟が認めていたような平手打ちは、最近の判例から十万ユーロの罰金が科せられている。要するに、性の商業化とそこからの逸脱こそが罪悪であり、経済犯罪としてそれ相当に贖罪して貰う必要があるのだ。性の逸脱者を抑制する法律などは存在し得ない。これは致し方ない。



参照:
Im Gesang der Engel lauert die Versuchung, Eleonore Büning,
Vatikan weist Vorwürfe gegen Papst zurück, FAZ vom 15.3.2010
エチケットの守護聖人 (新・緑家のリースリング日記)
新たな社会規範とは処罰の規範 2010-03-12 | 歴史・時事
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寿司飯上のノルウェー産サーモン

2010-03-15 | 料理
八年振りぐらいに寿司飯を作ってみた。ノルウェー産の安物のサーモンを使ってみようと思ったからだ。手元にある材料は、干し椎茸とニンジンと卵に、安売りで多めに買ったブロッコリーである。

米は、偽物のバスマッティーライスが思ったよりも上手く寿司米になる。なによりも乾いているので、酢が良く飛んでべとべとしない。寿司米のお味としてもなかなか上出来であった。太い錦糸玉子はニシキヘビのようになったが干瓢をいれないのでこれも良かろう。

さて、はじめて試すブロッコリーであるが、酢味が効いて米に良く混ざっているので、所謂ブロッコリー臭さも消えて、緑が美しく、トッピングのサーモンに良く合う。

もちろん寿司米の方は時間が経つにつれてぱさぱさしてくるが、残りは蒸し寿司にすれば全く問題ないだろう。案の定、単純な辛口リースリングにはスモークドサーモンとの取り合わせが大変よかった。薄味醤油で幾らか味のついた椎茸もワインの味を壊すほどではなく、殆ど邪魔にならなかった。なによりも寿司飯が上手に出来たからだろう。
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期待をさせる今は昔の新商品

2010-03-14 | 試飲百景
本年初の試飲会であった。春の試飲会は、前年の出来たてのワインを飲んでその出来具合から購入計画などを立てるのに大変役に立つ。そのような按配であるから必ずしもおいしいワインを試せて購入できる訳でないが、逸早い情報として樽出しのワインなどを一足先に試せるのは願ってもない体験である。

総括からすれば、バッサーマン・ヨルダン醸造所では上のような傾向から早飲みのブルグンダー種のワインを早めに瓶詰めしておいて、社長に言わせると「どうせ若いリースリングがお客さんも判断出来ないから」と両方の売り時期を意識している。

そうした明快な方針が功を沿うしていたのか、昨年のクリスマス時期から販売していたソーヴィニオン・ブランだけでなく、あまり良いと思ったことの無いピノグリまでが十分に買えるレヴェルに出来上がっていた。その中でも、シャルドネも立派で、些か大量生産品的な個性の薄さはあるが、ピノブランやムスカテラーやブランデュノワールに混ざって光彩を放っていた。やはり2009年の順調な春をここに留めている。

リースリングにおいては先日のグーツリースリングへの見解を社長に確認しておいたのだが、五月まで待つのも悪くは無い。いずれにしても2009年のリースリングは肌理の細かさがあるので、丁寧に作ってある、肌理の細かな味の出る土壌のものは大変期待出来る。酸の質も軽やかでいて核があるので、2005年産よりも軽妙でありながら、2007年産よりも重心が良いようだ。

もっとも皆の注目を与えたのが樽だし試飲のウンゲホイヤーSであって、今年からの新商品となる。我々が盛んに要望したシュペートレーゼ傾向のものという答えがこれである。要するに30ヘクトリッターまで収穫量を落としているのでグローセスゲヴェックスへとぐっと近づいている。それでもエグサが出ないところが嘗てのシュペートレーゼを思い出させる。少なくとも昨年までのそれからすると大文立派になりつつ、価格は14ユーロと最小限の上げ幅で押さえられている。残念ながらスクリューキャップのようだが、木樽でない限りそれほどの熟成は考えられずないので致し方ないだろう。

同じSシリーズにグラインヒューベルが並び、これは少し甘みが勝っているので価値は寧ろ落ちるかもしれない。それほどウンゲホイヤーが良かったということである。天然酵母醸造のアウフデアマウワーは、おそらく木樽だろうが、コルク栓で比較的お徳ではないかと感じた。今年のものが今までのなかで一番上手に出来ている。

赤ワインに関しては特に語ることもない。その中にあるシュヴァルツ氏の赤ワインはオーナーの名の醸造所産であるだけであまり興味を持つものは少ない。

おばさんが、「私は青年様式のエチケットが素晴らしいと思うのだけど、ブルグンダーのエチケットは嫌いよ。オーナーのニーダベルガーのセンスを疑うわ」と文句を付けるのである。こちらはそれに関しては色々と考えることがあるが、「いや昔は百パーセントリースリングでブルグンダーを醸造していなかったわけだからさ」と反論しておいた。そして、今2009年産のキーゼルベルクを買うなら2008年産にしておきなさいとアドヴァイスしてあげた。

レストランのソムリエの女の子に「今年はどう」と振った。「バランスが良い」までは良かったが、「長持ち」はどうだろう?
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節操の無い金の亡者の商品

2010-03-13 | 料理
マグロ漁の輸出入規制が話題となっているようだ。この問題はまだこれから本格的に此方でも扱われるだろうが、地中海での密漁問題がそこまで伸展するとは思っていなかった。そして日本での水揚げ競り量は密漁品をいれて信じられない量なのである。シナ人や朝鮮人、タイ人やベトナム人も東京の仲買人に卸した方が断然有利なのだろう。おそらくそこから加工商品として世界中に輸出されているとしか思われない量である。

少なくとも我々のように瀬戸内海の新鮮な魚が飽き飽きするほどに食卓に上っていた世代にとっては、遠洋漁業で冷凍処理されるマグロやトロなどは野暮な魚でしかなかった。おこちゃま向きのネタであった。特に鯛や白身の魚はあまり興味無くお茶付けにしてしまうような子供にとっても、ちょっと牛肉のような感覚のあるコッテリとしたそれは食べ易かったのだが、飽きが来る単純な味覚であったのも確かである。

最近は富裕層を中心に長寿の日本人を見習って生の魚を求めるシナ人も少なくないと言う。それは健康ブームによって寿司ネタとしても世界中で食されて、世界中の田舎のスーパーでもマグロの解凍されたものを欠くことは少なくなって来ている。

その証拠に二十年前はフランクフルトでも本トロと赤味が同じ価格で販売されていたというのは今や今は昔の話となって仕舞った。その反面、水銀の含有量から危険な食物であることも認識されて来ている。マグロや鯨やイルカを食する事は、妊婦でない限りその人の勝手であるが、正直なところ野暮な食生活であり、ライフスタイルに違いない。嘗ての日本人が、近海で捕れるような地元でない限りあまり珍重しなかったようなそれを金を積んで食するなどは愚の骨頂なのである。

そして、こうした魚を貪り、食肉を貪り、高級食料や食材を貪るものこそが賤しいのである。まさに生まれながらにして清貧とは何の所縁もない銭の亡者たるに相応しい。さて私自身、何でも食すると有名な人物であり、カニヴァリズム趣味はなくとも人肉でも食してしまう可能性のある雑食性の人間であるので、イルカであろうと猿であろうが好きなようにどんどん食べなさいとしか言わない。しかしそこには飢えとは異なる人間としての思惟が介するべきであり、そうしたところから人類は儀式・儀礼に端を発する独自の文化を発達させて来たのだ。そうした伝統文化が、白い米にさえありつけなかった大半の日本人は、明治維新と共に断絶したことに気づいていない。

牛肉を貪り、嘗ては魚扱いではあっただろうが鯨・イルカの肉を伝統食文化とするなどは、本質的な儀礼的に形づくられた文化を切り捨てて仕舞った所では ― それは金の余った連中の評価本に群がるグルメ趣味のようなもので ― 本来は語るだけでも、とても恥ずかしいことなのである。日本へ搬送された反捕鯨の活動家が肉を喜んで食していたというが、ああした節操の無い連中にこそ鯨肉を与えて辱めておけば良いのである。

昨今はおかしな日本の危ないスナックなどの油脂商品がスーパーなどに出回っている。世界中に中華製品の危険性は知られているが、中華原料なしには世界の生活が成立しなくなっている。そこに日本語表示の商品が便乗して来ているとなると、いよいよトヨタどころではない、偽装商品で有名な正真正銘の日本の商品こそ今後は危ない商品の代表となるのである。四半世紀前にはある程度信頼の出来る良質のコピー商品であったメードインジャパンこそが、今や危険な中華商品を代表している様に映る。特に工業生産化された食料品など、日本人の手に掛かったものなどは気持ち悪くて手がつけられない感じになって来ている。



参照:
EU position on blue fin tuna ban debated Tuesday
Environment - 08-02-2010
 (EU-Parliament)
クロマグロ取引禁止 (ぶたのドルミーレのときどきグルメ)
不都合な情報ほど公開されない (Bee's Rose Garden)
タイミングが良すぎる (ひねもすのたりの日々)
太地イルカ猟と韓米Korus  2008-10-23 00:52 | 文化一般
なんだかんだいってもはじまらない 2010-03-10 | 文化一般
ARD-Tagesthemen zur Delfinjagd in Japan
Japan's dolphin genocide
Stop dolphin hunt. イルカ猟廃止
News: Dolphin Hunt in Japan (YouTube)
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新たな社会規範とは処罰の規範

2010-03-12 | 歴史・時事
兄ゲオルク・ラッツィンガーが再び話題となっている。既に触れていて再び取りあげるつもりはなかったのだが、カトリック教会における児童虐待の話題である。

今更敢えて付け加えることもないが、氏がレーゲンスブルク教会の楽師長を勤めていた時の虐待への謝罪が話題となっており、数年前にそこのドームシュパッツェの修道施設で氏が理事長を務めていた協会の人のお話を聞いたりしたことを思いだした。

事件が起こったとされる、この世界的に有名な少年合唱団においては、少なくともラッチンガー氏が在任中はペドフィリアに相当する性的な虐待はなかったようだが、厳しい体罰は公然のことであったようだ。

もちろん、アデナウワー時代には一般社会で児童への体罰は認知されていて、教育現場においても取捨選択されていた事は周知の事実である。この件に関しては、その当時の教育を受けた者の見識もここで何度か紹介している。

つまり、1968年を境に大きく社会は変って行ったことにも留意すべきである。現代においては、ペドフィリアと呼ばれる特に市場価値を持つような行為は児童虐待として厳しく制裁を受けるようになっている。同じように動物に対する虐待も厳しく処罰されるのは当然なのである。

そうした時代変化とはどういうことなのかは別にして、北ドイツ出身の児童がレーゲンスブルクの寄宿学校でバイエルン方言を喋られないばかりにお仕置きされる状況こそが躾とか社会規範とか伝統とか呼ばれるものの実体であることにも留意すべきである。

昔が良かったと思う者は必ずこうした訳の判らないものへの郷愁を持っているだけに過ぎないのである。しかしだからといって、そうした社会規範を捨てて新たになにかを創造しろと言ってもその伝統と思しきもの以上に立派な規範がある訳ではないのである。



参照:
権威とはなんでもありの権力か 2010-02-25 | 女
疑似体験のセーラー服 2005-06-12 | 歴史・時事
純潔に熱く燃えるピュイス 2009-02-08 | マスメディア批評
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白樺に倒壊を招いた宿木

2010-03-11 | アウトドーア・環境
日本でも嵐で大木が倒れたと聞く。先日の嵐で倒木の転がる森を散歩した。林道に近いところは早速小さく刻まれていて搬送出来るようになっていたが、森は広い。

ハイキング道を塞いでいたのは中木が二本であった。一本は白樺、一本は杉であった。

その倒れた白樺をよく観測すると根元は決して虫食いなどはなさそうであったが、倒れた幹の根元が苔に覆われていた。一種のヤドリギである。やはりこうなると樹木は弱っているのだろう。

杉の方は油が乗って若々しく必ずしも倒れるような幹には思えず、上部の枝や新緑が摘み重なって本当に通行を困難にしていた。

どの樹が倒れそうかどうかは想像がつくが、必ずしも倒れそうにもない木がやられていて不思議に思った。



参照:
鶴岡八幡宮の大イチョウ倒れたというニュースに驚愕 (日々雑録 または 魔法の竪琴)
鶴岡八幡宮の大イチョウ倒れるのニュース (江州的人生と音楽の理想郷)
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なんだかんだいってもはじまらない

2010-03-10 | 文化一般
遺伝子操作されたジャガイモの栽培が申請から十三年掛かってEUで許可された。もちろんEU内では食用には禁止されているので、工業用の糊に使われる。

この問題は、アンゲラ・メルケル首相が立候補時から後押ししていた政治課題であった。食卓に化け物食品が乗る事は欧州人は認めないだけでなく、自然影響への悪影響が避けれないと考えるからである。実際今回のジャガイモの抗生物質性が新型の抗体を発生させると考えるからである。

実際問題、EU以外の食卓や環境がそうしたものに侵されている事象はまだ確認されていないと思われるが、今回の決定もそうした環境への影響はないと結論されたからである。化学会社BASFがこの分野においてどれほどの売り上げを上げていくかは知らないが、少なくとも嘗て売りはたいていた化学肥料分の商売はいづれこれで挽回出来ることになるのだろう。

しかし、諸外国のように遺伝子候学商品を食卓においておきながらバイオ商品とか有機商品とかスローフードとか言ってもはじまらないように思うがどうなのだろう。少なくとも農業にはそれなりの対応策もしくはバイオテクノロジーを使わない限りそれ相応の農業経営が成り立たない事は知られている。有機商品が高価になるのはバイオ植物種子の特許料が含まれているからと思っても良いのかもしれない。

さて、昨晩は環境に優しいワイン造りをするゲオルク・モスバッハー醸造所の買いつけ葡萄によるリッターヴァインを開けた。2009年産リースリングの味筋を見るには絶好の商品であった。

先週試した名門バサーマン・ヨルダン醸造所のグーツヴァインと比較すると、色もやや緑がちであるが標準的で味も良く纏まっていた。言い方を換えると昨年の同じ商品が酸が強くて得意な味を放っていたことから比べると上出来なのだ。それ以上にここ数年で最も素晴らしいリッターヴァインとなっている。良い伸びやかで肌理の細かい酸で、旨味も十分にある。おそらく培養酵母の種類からかラインガウのホッホハイム周辺のワインを髣髴させるようなスマートさが特に素晴らしい。

一度、尋ねて見なければいけないだろうがかなり上等のそれを利用したような形跡があり、リッター価格5ユーロ越えは先のものとは比較にならない価値である。

しかし、ここからが肝要である。このリッター瓶を心底楽しめるのは精々夏までぐらいで、それ以降は新鮮さが無くなって不味くはないが飽きてくるに違いない。それに比較して、先のグーツヴァインはなるほど今は酵母味があって美味しくないかも知れないが先一年ほどは成長が期待出来る。その成長の方向に何かが見得てくる筈だ。

ワイン街道でも一般の愛飲家は、こうしたリッターヴァインが見つかればそれで言うことはない。寧ろ、これに準ずるもっと適当なワインの方が一般的に消費されている。そして、このモスバッハーのそれとの違いは一ユーロ程の価格だけでなく質として誰もが分かる。しかし、所謂高級ワインと呼ばれるその入門の所にあるグーツヴァインに関しては価格も高く美味しいと感じなければ誰も買わない。関心がない。それで良いのだ。

なにもワイン如きに高踏的な意見を述べる必要はないが、審美眼とか批評眼とか必ずしも馬鹿に出来ないものが存在して、そうしたものが文化とか芸術とか呼ばれるものを形作っているのである。



参照:
ワインをただ飲むだけか、コレクターになるか。 ワイン好きが集まるブログ
葉緑素味の2009年産との出会い 2010-03-08 | ワイン
エコと呼ばれる遺伝子工学食品 2010-01-16 | アウトドーア・環境
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半移住へと弾みの語学練習

2010-03-09 | 雑感
先週からフランス語の勉強を始めた。ブルゴーニュからジュラへの旅行の予定があるからだ。なんども試みて未だにものにならない。合衆国でMAを取っている友人が持っていたドイツのフランス語テキストを教えてくれとメールしたのだが梨の礫である。ライヴァル意識をもたれるほどに先方は下手ではないのだが。

仕方ないので手元にあるトレーニングペーパー状のものをはじめたらリフレッシュどころか思いがけず力がつきそうな按配なのだ。最も厳しいと思っていた聞き取り能力は、フランス内やフランス人との時間も蓄積しており、ネットラジオなどでも積極的に聞いて来ているのでやはり慣れて来ている。結局、最大の問題点であるリエゾンが自分の音になっていない点が最も難点で、やはり音のリズム勉強が最も役に立つフランス語勉強だと納得している。

やはり、喋れないものは聞けない、その反対も然りで、これはどの外国語にも通じるのだが、特にフランス語の場合はリズム感が重要だと改めて感じた。

数週間でどれ程のものになるかは判らないが、一気に旅行会話を飛び越して日常会話への基礎を作りたい所である ― どうしてもドイツ語学習の経験を考えてしまうのだが、あの時はこうしたフレーズ練習をゲーテインシュティテュートで奨められたに拘らず実施することが出来なかった。その理由はそれ以前に立ちはだかる日本語から欧米語への思考の転換が最重要課題であったからでそれはドイツ人教師には判らない問題であり、ドイツ語からフランス語への移行は全くそうした問題が生じないことでも、逆にその溝の大きさが顕著となるのである。

前々から希望していたフランスでの生活へと半移住へと弾みをつけたい。それとも今回も積み重ならない試みの一つになるのか? 
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葉緑素味の2009年産との出会い

2010-03-08 | ワイン
本来ならば2009年産リースリングの飲み比べをするところだったが、まだ体調が不十分で、断念する。その比較対象の一つバッサーマン・ヨルダン醸造所のグーツリースリングの感想なりとも書き留めて置こう。

先ずは何よりも色が違う。まるで青草のように緑がかっている。そして、その味はその色の影響か、まるで葉緑素味なのである。そのクロロフィルの「味質」は別として、その含有量の多さは開花時期の疎らや秋の実りの葡萄の緑の美しさに記憶に新しい。

2007年産における生物学的未熟性とは異なった生物学的成長をその葡萄が経て、天然飲料であるワインにこうして反映されていると考えて間違いはないであろう。あと数種類のリースリングを飲めばそのことも断定できるが、先ずはここでは印象としておこう。

その青臭い印象が早摘みのこのクラスのリースリングだけの特徴だとは言えないのは、カビネットクラスの収穫時期も青々した新鮮な葡萄であったからだ。反面最後まで残していたグランクリュクラスの葡萄にはこの傾向は少ないのではないかと思われる。

心配されていた酸の量感は決して低くはないが、先日飲んだソーヴィニオン・ブランの糖過多に見られるように、どちらかと云えば例年に比べ引っ込み思案な繊細な酸である。つまり、2008年産の押し付けがましさがない分、より多くの人に好まれるに違いない。しかし、2007年産のあの新鮮さに欠けるのも特徴である。

さてこの嘗てはサマーワインとして売られていたグーツリースリングであるが、名前が変った分アルコールが12%に上がっており、暑い夏に飲むにはもう合わなくなっている。かといって深みがあるかというと、青臭くさらに酵母味の日本酒のような醪感が頂けない。

百周年を迎えたVDPの現行のカテゴリー分けとして入門者向けの手軽なワインであるグーツリースリングであるが、なかなかうまいワインには巡り会わない。これとオルツヴァインやラーゲンヴァイン、グローセスゲヴェックスなどを比較する対象としては良いが、これがVDPの考えるように「出会いのワイン」となるかどうかはなんとも分からない。年毎の特徴を出して、おかしな手練手管を加えていないことでは自然派ワインには違いはないのだろうが。

音楽など芸術も、自動車などの工業製品でも皆同じであるが、これらグーツヴァインと上位クラスとの差異が判る者には判り、判らない者には判らないとなるのかもしれない。問題は、その判らない者にこうしたワインがパイロット的な価値を持つかどうかである。

おそらく、こうしたワインを自らの口で的確に批判出来る者はそれが判る者に違いなく、その批判点が見つける事が出来るとどうしようもなく上位のものが欲しくなるに違いない。そこに見つかるのは深みであって、容易に判断のつかない深遠であって、それに気がつくと病み付きになってしまうのである。そうなれば一本のワインに三十ユーロの投資も厭わなくなるのである。逆にこれで満足出来る者は要らぬ苦労をしないで良い訳で経済的にもその方が宜しい。高級車とは違って、ワインの場合は一食の外食を我慢するだけで、誰にでも買えてしまうだけにやはりこうした裾物の商品で批判力を養うのも重要であろう。



参照:
昨日の記事のGutsrieslingです。 (saarweineのワインに関してあれこれ)
エチケットの守護聖人 (新・緑家のリースリング日記)
ユドロ・ノエラ ACブルゴーニュ 2007 (ワイン大好き~ラブワインな日々~)
初夏の夕餉を思い浮かべながら 2010-03-03 | ワイン
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腹筋による整腸作用を求めて

2010-03-07 | 生活
昨日土曜日は完全に倒れた。金曜日に摂った冷凍の魚にやられたようだ。普通なら何でもないのだろうが、水曜日の疲れが重なって大事となった。

夜中からお腹がごろごろして睡眠を邪魔したが朝になって下痢症状となり、それよりも全身からの脱力症状が激しかった。金曜日辺りから関節が痛くて瓶ももてない階段もあがれない状態であったが、それが全身に回った。臍の周りが引きつるようなおかしな症状が気になっていたが、これで全開した。

週末の買いものになんとか行き、2009年産のリースリングまで取りに行ったが、帰って来て果物などを摂っても一向に落ち着かない。起きていれないのである。結局殆ど食事もせずに寝て過ごした。

それに追い討ちをかけるように外は吹雪であり、寒くて仕方がない。頭痛も激しいのだが、脱力感の方が更に激しい。夜も更けて、本当ならばVDP百年祭のワイン地所イルミネーションに出かけるつもりでいたが、厳寒の中を出かけたら生き倒れになりそうで断念した。雪の中のイルミネーションは美しいだろうがこの寒さで集まる人はいるのだろうかと思わせた。

なんとかヌードルで温まって再び床につき、正常化した朝を迎えた。殆ど茶色い小水を放出して出せるものは出した。シャワーを帯びると腹筋が痛む。どうも水曜日の運動が影響しているようだ。なるほど上体や下半身は鍛えてきたが、腹筋は腸の働きを良くするために散歩始めた時点で直ぐに忘れていた。逆に腹筋を鍛えることで腹に力が入るようになり虚弱体質から解放される可能性も見えてきた。

兎に角、今年初めての休肝日を迎えることが出来、尚且つ贅肉も少し落ちた。腹の調子が今一つなのでまだ食欲は湧かないが、完全に峠は越えた。
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またまたゴムの圧力に魘される

2010-03-06 | 
一昨日のおかしな夢である。オーストリアか何処かの谷にある小さな村を訪れている。どうも冬季のようである。道に薄っすらと雪が乗って凍てついている。

旅行の途中なので宿を出て次ぎの目的地に移動しようとしたら車のタイヤがパンクしているのである。この寒い時に都合が悪いと思いながら、今にも雪がちらつこうかとしているような早朝の曇天を、修理する手段を探して最寄の村へと車を転がせる。

次ぎの少し大きめの村で、不幸か幸いかメルセデスに乗っているのだがBMWの代理店を見つけた。仕方なくそこを訪ねるが、タイヤが殆どナイフで切られている様に破損してしまっているので新たに四本のタイヤを交換するしかないという事になる。

早朝でありタイヤの卸などにも連絡がつき難く、いらいらするが、なによりも折角高額を出して態々購入した冬タイヤが、その場の都合だけで悪いものに取って変るのが納得出来ないのである。もちろん二本だけ替えるとかスペアータイヤで急を凌ぐことも出来るのだが、なぜかそのような案は出てこなかった。

その理由には、タイヤの走行音を気にして使えるものを捨ててまで敢えて冬タイヤを交換した事情が隠されているのである。だからもはや同じタイヤは入手不可ならば、更に良いものに付け替えなければ気が済まないのである。とは言いながらどうしてもメーカーも違えば車種も違うので、その代理店で入手出来るタイヤに満足出来るものはない。スペアータイヤをつけて貰って、更に離れたメルセデスの代理店を教えて貰うおうとか考えるのだが、旅行の途中の土地勘のないところでは手間がかかるだけなのである。焦燥しながら眼が覚めた。

前日に夏タイヤのテスト結果が自動車クラブの冊子に載っていたのと、お隣さんのBMWのタイヤがパンクしているのを先日見たばかりなので ― その時、実は不思議な気持ちを抱いたのだが、それが強く意識に残っていたように思われる。しかしこの夢の隠された意味はあまり良く分からない。

ADACのテストはブリジストンのローマ試験コースで試験されたようであったが、やはり夏タイヤはピレリーが良い結果を残している。今まで使った高速タイヤではやはりピレリー車のものが今でも印象に残っている。冬タイヤの評価ではここ数年は、ミシュランが良くて、コンチネンタルなどがいつも良い位置につけている。ミシュランのそれも使ってみたいと思いながら価格が上回っていたりで、未だに経験がない。

昨今の話題は極東からやってくる格安のタイヤで、ネット販売などを通して数が出ているようである。嘗てホンダ車に純正のオカモトリケンのタイヤが使用されていて、初夏のスイスの峠を捻り擦りつくように快走したので驚いたことがあったが、台湾や中国からのそれは当然ながら他社のものをコピーした適当なプロフィールやゴムの混合であって、安かろう悪かろうだけでなくてかなり性能が低く危険とされていた。

タイヤのプリフィールやゴムの調合だけで膨大な研究実験費を計上しているのは周知の事実ではあるが、そこまでの性能を求めない消費者も多い事も間違いない。それに比べ、走行音と振動音に拘って仕舞う自身の神経質な選択を考えると殆ど魘されるほど心理的に重みなのである。

夏タイヤへの交換のお知らせがポストに入っていた。いよいよ次ぎの遠出の時期を考えて適切な交換時期を計画しなければいけない。今年はまだ十分にプロフィールが残っている筈で、夏タイヤを買わないでも済むと思っている。とは言っても、週末はまだ零下八度まで下がり雪が降るとなると、夏タイヤどころではなく積雪も勘定しなければいけない。


追記:一年に二度やってくるタイヤ交換になぜここまで拘るのか?上の夢の正体は何なのかを考えながら就寝すると明け方になって気がついた。夢の行くへへの恐怖心は、そのものトラウマの源にあるタイヤ破裂によるアウトバーンでのスピン事故であった。時速百三十キロ当たりから中央分離帯のガードレールに激突して止まるまでの何秒間かの記憶は夢の中においてさえも隠され続けている。不快とか恐怖の体験とかと思われるものではない本質的な体験であるからこそトラウマとなり得ているのに違いない。



参照:
バイエルンの雪景色 2005-11-22 | アウトドーア・環境
季節間の溝の深さ 2006-10-31 | 暦
再び安全なゴム使用の話 2006-11-26 | 雑感
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飲んで義務を忘れ訴えを曲げる博士

2010-03-05 | 
マルゴート・ケースマン博士の編集長としての恐らく最後の言葉にじっくりと耳を傾ける。新聞に折り込まれている福音雑誌の内容である。そこにあるのはこの女性らしく政治に具体的に言及する姿勢で、宗教者としてドイツ連邦共和国の財政赤字体制を厳しく批判する。

旧約聖書の創世記41章にあるファラオが見た「よく肥えた七頭の雌牛とやせ細った七頭の雌牛」の「ヨセフの物語」から書き始め、完全に回復しない実体経済の状況とその政治的対応について説く。要するに、飛びぬけている日本や合衆国の赤字には遠く及ばないながらも、また財政破綻しているアルジェンティンなど ― 昨晩のラジオ討論はギリシャと日本とEUの財政破綻が専門的に比較対象していたが ― を挙げるまでもないが、財政再建がなされない限り、国の存在理由たる「国民の保護」に今後とも殆ど期待することが出来ないとする。

この辺りに裏返しに68年のヒッピー世代に影響を受けた考え方があって、ある意味オバマ大統領などにも通じる世代の主張が見え隠れする訳なのだが、結論としてはキリスト者として、弱者 ― 慢性的な失業者・子沢山・母子家庭!・障害者 ― を強者が支援する社会の必要性を説く。

まさにここにプロテスタント先進工業国のモットーが繰り返されている。ゆえにエリートの養成が必要なのであり、健全な社会の基本となる財政再建は小さな政府と抱き合わせになるのは至極当然なのである。その援助が本当に必要な弱者の為の社会であるためには、「本当に必要のない援助」はなさるべきではないのだ ― 劣悪教育の無料化などは無教養な小沢何某の子分のような成金趣味のキャリアー志向の俗物か、秋葉原事件のような通り魔を養成するだけなのである。

さて自動車クラブの最新の冊子を見ると飲酒運転への対応が厳しくなっていることに気がつく。最近は全く交通違反などとは縁の無い世界にいたこともあり殆ど注意していなかったばかりに昨年は裁判沙汰になったが、改めて現行の規制基準を見ると驚く。

先ずは「酒帯び」と呼んでも良いような、初心者運転者と二十一歳までの運転手にはアルコールに口をつけているだけで250ユーロの罰金と二点減点が科されている。初心者で酒飲み運転をするのはまだ百年早いに違いない。

血中濃度0.03%を越えてもなにもなければご免であるが、それが顕著化した場合、最低30日分の給与所得が罰金となり、七点の減点と最低半年の免停である。事故の場合は45日分の罰金と、最低九か月の免停と九点の減点。

ケースマン博士の場合は、0.11%を越えで0.16%未満であるから、なにも起こしていなくとも40日分の罰金と、最低九か月の免停に七点の減点で、赤信号で停車していたことで五十日間の罰金に最低十二か月の免停と七点の減点となる。常習や人身事故の場合は運転適格テストの必要性と禁固刑の可能性が付加される。

最も驚いたのは、0.16%を越えた場合の適用で、自転車走行にも罰金が科せられて減点があることだ。免停は免許がないから仕方ないのだろうが、30日分の罰金は甚だしい。この血中濃度は真っ直ぐに走行できる具合で無い事は想像出来るのであるが、故ハイダー博士といい、ケースマン博士といい、眼が廻るような状態で運転していてはやはり危ない。

当のケースマン博士は、上の文章を旧約聖書の箴言31章8節「王レムエルの言葉」から次ぎの言葉で結んでいる:

あなた(我々クリスト者)の口を開いて弁護せよ/ものを言えない人を/犠牲になっている人の訴えを。

しかし、次ぎの直前の節は取り挙げていなかった。あまりに出来過ぎている最後の投稿であった。

31章4節
レムエルよ/王たるものにふさわしくない。酒を飲むことは、王たるものにふさわしくない。強い酒を求めることは/君たるものにふさわしくない。

31章5節
飲めば義務を忘れ/貧しい者の訴えを曲げるであろう。

31章6節
強い酒は没落した者に/酒は苦い思いを抱く者に与えよ。

31章7節
飲めば貧乏を忘れ/労苦を思い出すこともない。



参照:
auf ein wort, Dr.Margot Käßmann, Chrismon, Heft 03.2010
Motorwelt, adac, Heft3.2010
箴言31:1
創世記41章 ((財)日本聖書協会)
権威とはなんでもありの権力か 2010-02-25 | 女
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蛙飛び練習で腹筋を使う

2010-03-04 | 生活
本年クライミング第二週は午後五時半からはじめて九時前まで粘った。第一週に比べると流石に身体は動くようになった。数は登ったがまだまだ握力が弱い。

帰ってきてから頭を洗うと、その腕が攣りそうになった。体のサイドを使って、クローズにして登る練習は慣れてくると効果が見えてきた。更に本日は、蛙飛びで離れた手掛かりに飛びつく練習をした。

平素は使わない腹筋を十分に使ったので、腹の贅肉も落ちるだろうが、週末まで痛みそうである。
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