Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

今は昔の歴史と共に死す

2010-03-22 | 雑感
ピアノ名人のフランツ・リストの曾孫であり、リヒャルト・ヴァーグナーの孫であるヴォルフガング・ヴァーグナーが九十歳で昨晩亡くなったと未明に発表があった。世継ぎ問題で政治問題化していたが、昨年解決済みで思いを成し遂げたのだろう。

早世した兄のヴィーラントとは比較出来ないほど演出家としては凡才であったが、半世紀に渡ってヴァーグナー音楽祭の監督として君臨した。

しかしその反面アーティストプロデューサーとしての功績として、将来に渡って語り継がれるものに、パトリック・シェロー演出の四部作「指輪」、ゲッツ・フリードリッヒの「タンホイザー」、ハイナー・ミュラーの「トリスタン」、そしてシュリンゲンジーフの「パルシファル」などが挙げられる。

特に、ピエール・ブレーズ指揮とシェローのフランスチームでのそれは大事件となりながらも、その読み替えは音楽舞台上演の世界に大きな影響を与えた。

ヴォルフガンク・ヴァーグナー博士は自書で当時のことを振り返っていた。監督夫妻に脅迫状が届き警察の護衛が必要となり、劇場では女性の衣服が引きちぎられ、ピアスが平手打ちで耳朶を引きちぎる騒ぎとなった。

日本で云えば、靖国問題に躍起となるようなヤクザな国粋主義者が騒ぐの全く同じような、馬鹿騒ぎが繰り広げられたのは1976年から1980年のことであった。現在から考えると、1968年から僅か八年しか経っていなくて、その後のEUの進展も迫っていた時期だと分かる。今は昔のお話であった。



参照:
Wolfgang Wagner ist tot,
家系図 (SPIEGEL ONLINE)
迫る清金曜日の音楽 2008-08-27 | 文化一般
オーラを創造する子供達 2007-09-24 | 文化一般
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外国語が出来る人、出来ない人

2010-03-22 | 
人の名前とその人の実像が重ならないことが良くある。周りの知り合いでもそうなのだが、特に有名人となると名前を耳にすることも多くともそれ以上に関心を持たない人となれば尚更、その名前や露出だけが記憶に残っていてその実像には迫れずに時が進む。

そうした一人にヴァイオリニストのヒラリー・ハーンなどを挙げることが出来る。名前をBLOGに書いたことからサーチエンジンにその名前をいれて驚いた。元々家族はバート・デュルクハイムの人だったようで、今でもまたまた従姉妹が住んでいすようだ。恐らく、家族でドイツ語が分かるのは本人だけというから祖父の時代に移住したのだろう。日本語が出来るのは鈴木メソッドの影響か? ― 復活祭以降の四月十一日から当地で日本週間が開かれる。そうした関係があってか、2001年冬には町のプロテスタント教会でチャリティーコンサートが催されている。何かその時のポスターなど印象にあるようなのだが思い出せ無い。しかし徐々にその当時のことを数珠繋ぎに、九月十一日を挟んで思い起こす。

フランス語の勉強は早くも茨の道に差し掛かって仕舞って、歩みが急に遅くなった。覚えることが積み重なったこともあるが、そもそも正確に話せることなどが出来る筈がないのである。先日、沖縄にいた女子高生が喋る日本語に助詞がかける事を日本語教師が直していたが、日本人でも正確に使うのは難しいがなにかをつけるだけなのである。同じようにドイツ語の格変化も正確には付けられなくても正しい間違い方が出来るのも実力なのである。

胸突き八丁でいつも止めていたのでは結局いつまで経っても駄目なのである。なんとかここが頑張りところである。



参照:
若手女教授の老人へのマカーブル 2010-03-19 | 音
半移住へと弾みの語学練習 2010-03-09 | 雑感
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