昨日はけったいな人々を見かけた。必ずしも春の寒戻りのせいとは言えない。寧ろ此方が関わり安そうな雰囲気を醸し出しているのかも知れないが、話掛けられて興味深い話もなくはなかった。
先ずは、ガソリンスタンドでのことである。迷彩服のようなおかしな服を来た小柄のインディオ風の男二人がジープに乗ってきてうろうろしている。英語を解さなさそうなので昔良く見かけた米軍でもなさそうだが、暫らく見ていると液体ガスを入れたいようだ。
相変わらずドイツ人の親仁達が車が並んでいるのを知ってながらももさもさとして動作が遅く好き勝手にやっているのを見ると呆れるのだが、こうしたおかしな連中が出没するとまたそれはそれで警笛を鳴らして圧力を掛けようとする。
先日見かけたように奥さんに金を払わしておいて運転手が車の中で待っているぐらいなら場所を空ければ良いのだが、日本人の友人が必ずしていたそういう行為を一切しない。車を一旦動かしてしまうと面倒なこともありえるのでそれはその状況で判断すれば良いが、ドイツ人と日本人のこの対比は極端である。そこに両民族の社会性が明確に占めされている。
さて、問題の車はどこに車を停めればガスを入れられるかを確認して、一人の男がそこに立ち、所定の位置へと列を後ろへとつまり私の後ろへとついた。そこのガス注入場所は丁度真ん中にあるので、何時かは、先頭車両に待っていて貰って敢えて逆走して所定の位置へと車を持ってきた例も見た。要するに三台の真ん中に位置していないと同時に用を足せ無いようになっている少々不便な構造になっている。
此方は先頭で給油しなければいけないので、出来る限り前に車を停める。すると足場も無いほどくっつけてそのジープが所定の位置に車を停めた。それはまあ良いのだが、此方が給油を終えて支払いをしていると、件の男が入ってきての「ノン、コムプレタ」とかなんとか言うのである。それを受けてレジの小母さんは、「クノッペンジーンスタート、ゾンストゲーツニクス」とか言うのである。すると男は此方の顔を覗きこむが、なるほど言葉の通じない者にそのような言い方をしても始らない。典型的なこの手の対応の仕方で、教えると言うことが自覚出来ていないから仕方ない。
全く理解していないと思ったので、車に帰る時ちっらと見るとやはり事が進んでいないようである。緑と赤いボタンがあるので使った事はないが、「ボタンを押せ」と教えてやったが、また赤いボタンを押していたのでその後どうなった事やら。
さて、燃料を半分ほどいれて夜はマタイ受難曲を聞きに出かけたが、またここで様々な人に出会ったり話掛けられたりしたが、極めつけの滑稽な御仁に出会った。我々二人の定期会員の間に挟まるように座っていた男が眼鏡を拭いたり、眼鏡を外してオペラグラスを覗いている様子を見てこれは厄介と思って席を空けて座わり直したのであるが、それでも結局距離が足りなかった。
総譜を捲っていると、ど近視のように眼鏡をくっ付けてプログラムの歌詞を貪っていた男が此方を拝むような顔で覗きこむのである。おかしな人間だなと思ったが、そのアジア人らしき顔を見て、これは韓国のルター教会の狂信的な信者かと思って、なるほど捲る音が邪魔になったのだと気がついた。この手の被害妄想の韓国人の特殊さは良く知っているので少々気をつけて一部を終えて休憩となった。
其の侭知らぬ顔で何処かに行くかと思っていたら声を掛けてきて、「シュプッレッヘンジードイチュ」とか「パピアー」とか首を傾げながら仰る。これは面倒だなと思って「邪魔になりましたか?」と適当に納めとこうと思うと、此方は昼に散々「行者大蒜」を食べてきて匂わしているのにも拘らず「日本人と確信されて」今度は日本語で語りはじめて「数が多い」とか「誰もそんな人は他にいない」とか、またこれは「マナーとかのたまう小日本人特有の正当化」の社会性を主張される。「珍しい御仁ですね」と笑って流していると、「私は場所をかわりますけどと言いながら」まだ文句を言う。
日本でこうした催しに十年以上数多く通った経験もあるが、なるほどBLOGなどで殆ど殴りあいになる状況があると読んでいたが、あの独特の雰囲気を思い出した。その社会学的な文化的考察に関しては改めて述べるとして、やはりこちらはその影の薄い奥さんらしきを余所に座らして入場していた親仁の事に興味が移った。此方には二三年の滞在している感じなのであるが、どうみても会社勤めの社交性が見られず、すし屋の職人や音楽関係にしては体の動きにシャープさが無い。残るは、エンジニアリング関係のエンジニアやメカニカーかとも考えるが、そのような自然化学に少しでも興味のあるものはもう少し客観性と成り行きに興味があるので、おそらくあういう入り方はしないだろう。
自分で問題を指摘しながらその正当性に疑いを持っている混乱も見かけられた。此方が反論するまでも無い論点の無い事象であるから当然である。その辺りの思考の傾向から、所謂クラシックオタクの空港のケータリングのコックか、昔の田舎侍のような顔もしているので短期遊学の教育学ぐらいの教師の可能性が高い。年齢は五十歳台なのだろうが、当方もあまり最近は健康そうとも言えないが比較するまでも無く、肝臓か腎臓でも逝かれているように大変顔色が悪い。あまり、受難を背負っているような御仁をこれ以上攻めるわけにはいかないが、お気の毒に余程音楽に集中出来なかったと思われる。それは、私のせいでは決して無いのである。それは詳しく書き連ねなければいけない興味深い話題なのである。
先ずは、ガソリンスタンドでのことである。迷彩服のようなおかしな服を来た小柄のインディオ風の男二人がジープに乗ってきてうろうろしている。英語を解さなさそうなので昔良く見かけた米軍でもなさそうだが、暫らく見ていると液体ガスを入れたいようだ。
相変わらずドイツ人の親仁達が車が並んでいるのを知ってながらももさもさとして動作が遅く好き勝手にやっているのを見ると呆れるのだが、こうしたおかしな連中が出没するとまたそれはそれで警笛を鳴らして圧力を掛けようとする。
先日見かけたように奥さんに金を払わしておいて運転手が車の中で待っているぐらいなら場所を空ければ良いのだが、日本人の友人が必ずしていたそういう行為を一切しない。車を一旦動かしてしまうと面倒なこともありえるのでそれはその状況で判断すれば良いが、ドイツ人と日本人のこの対比は極端である。そこに両民族の社会性が明確に占めされている。
さて、問題の車はどこに車を停めればガスを入れられるかを確認して、一人の男がそこに立ち、所定の位置へと列を後ろへとつまり私の後ろへとついた。そこのガス注入場所は丁度真ん中にあるので、何時かは、先頭車両に待っていて貰って敢えて逆走して所定の位置へと車を持ってきた例も見た。要するに三台の真ん中に位置していないと同時に用を足せ無いようになっている少々不便な構造になっている。
此方は先頭で給油しなければいけないので、出来る限り前に車を停める。すると足場も無いほどくっつけてそのジープが所定の位置に車を停めた。それはまあ良いのだが、此方が給油を終えて支払いをしていると、件の男が入ってきての「ノン、コムプレタ」とかなんとか言うのである。それを受けてレジの小母さんは、「クノッペンジーンスタート、ゾンストゲーツニクス」とか言うのである。すると男は此方の顔を覗きこむが、なるほど言葉の通じない者にそのような言い方をしても始らない。典型的なこの手の対応の仕方で、教えると言うことが自覚出来ていないから仕方ない。
全く理解していないと思ったので、車に帰る時ちっらと見るとやはり事が進んでいないようである。緑と赤いボタンがあるので使った事はないが、「ボタンを押せ」と教えてやったが、また赤いボタンを押していたのでその後どうなった事やら。
さて、燃料を半分ほどいれて夜はマタイ受難曲を聞きに出かけたが、またここで様々な人に出会ったり話掛けられたりしたが、極めつけの滑稽な御仁に出会った。我々二人の定期会員の間に挟まるように座っていた男が眼鏡を拭いたり、眼鏡を外してオペラグラスを覗いている様子を見てこれは厄介と思って席を空けて座わり直したのであるが、それでも結局距離が足りなかった。
総譜を捲っていると、ど近視のように眼鏡をくっ付けてプログラムの歌詞を貪っていた男が此方を拝むような顔で覗きこむのである。おかしな人間だなと思ったが、そのアジア人らしき顔を見て、これは韓国のルター教会の狂信的な信者かと思って、なるほど捲る音が邪魔になったのだと気がついた。この手の被害妄想の韓国人の特殊さは良く知っているので少々気をつけて一部を終えて休憩となった。
其の侭知らぬ顔で何処かに行くかと思っていたら声を掛けてきて、「シュプッレッヘンジードイチュ」とか「パピアー」とか首を傾げながら仰る。これは面倒だなと思って「邪魔になりましたか?」と適当に納めとこうと思うと、此方は昼に散々「行者大蒜」を食べてきて匂わしているのにも拘らず「日本人と確信されて」今度は日本語で語りはじめて「数が多い」とか「誰もそんな人は他にいない」とか、またこれは「マナーとかのたまう小日本人特有の正当化」の社会性を主張される。「珍しい御仁ですね」と笑って流していると、「私は場所をかわりますけどと言いながら」まだ文句を言う。
日本でこうした催しに十年以上数多く通った経験もあるが、なるほどBLOGなどで殆ど殴りあいになる状況があると読んでいたが、あの独特の雰囲気を思い出した。その社会学的な文化的考察に関しては改めて述べるとして、やはりこちらはその影の薄い奥さんらしきを余所に座らして入場していた親仁の事に興味が移った。此方には二三年の滞在している感じなのであるが、どうみても会社勤めの社交性が見られず、すし屋の職人や音楽関係にしては体の動きにシャープさが無い。残るは、エンジニアリング関係のエンジニアやメカニカーかとも考えるが、そのような自然化学に少しでも興味のあるものはもう少し客観性と成り行きに興味があるので、おそらくあういう入り方はしないだろう。
自分で問題を指摘しながらその正当性に疑いを持っている混乱も見かけられた。此方が反論するまでも無い論点の無い事象であるから当然である。その辺りの思考の傾向から、所謂クラシックオタクの空港のケータリングのコックか、昔の田舎侍のような顔もしているので短期遊学の教育学ぐらいの教師の可能性が高い。年齢は五十歳台なのだろうが、当方もあまり最近は健康そうとも言えないが比較するまでも無く、肝臓か腎臓でも逝かれているように大変顔色が悪い。あまり、受難を背負っているような御仁をこれ以上攻めるわけにはいかないが、お気の毒に余程音楽に集中出来なかったと思われる。それは、私のせいでは決して無いのである。それは詳しく書き連ねなければいけない興味深い話題なのである。