缶詰だけど、それが何か?

缶詰、レシピ、散歩、食べ歩き、いろんなものがあります

DoaU437日目_Part4_スヰートポーヅ(餃子/神保町)

2010-05-12 20:53:12 | 食べ歩き
PCの文字入力で困ることがひとつ。
平仮名の「ゐ」「ゑ」カタカナの「ヰ」「ヱ」が打てないことである。
「wi」と打つと「うぃ」、「we」と打つと「うぇ」になってしまう。
結局、仮名パレットから拾ってくるしかない、なんとかならんのか?
「うぃ」だったら「uxi」と打てばいいんだけだから、
「ゐ」「ゑ」「ヰ」「ヱ」と表示できるようにしてもらいたいもんだ。

神保町交差点で右に曲がって、1つ目の信号で白山通りを横断。
すずらん通りに入って50mぐらい。



スヰートポーヅ
大学時代に覚えたこの店に、何度足を運んだことか。
キッチングランと同じぐらい、いや、もっと来ているかもしれない。
ただし、昼時は満席であることが非常にしばしば。
相席可能だけれど、この昭和の店はテーブルも椅子も昭和サイズ。
店内に7つのテーブルにそれぞれ4席、しかし、28人が食べられる可能性はゼロ。
トレーが4つはのらないテーブルに、子供用としか思えない小さい椅子。
メタボ気味な男が4人掛けしたら、酸欠になりそうな感じの店内。

まだ13時半だし、無理かな?そう思う。
ダメだったらキッチングランに行こう、そう思っていたら、
先客は3人のみ。
ただ、その後、あれよあれよという間に満席。
タイミングがよかっただけだと安堵する。

以前は、サッポロ黒ラベルだったけれど、キリンのラガーに変わっていた。
ただし、つまみで出てくるものは変わらない。



塩豆をぼりぼり齧りながら、中瓶を傾ける。
そして、気長にのんびり焼き上がりを待つ。
今日は先客が少なかったから待ち時間もわずか10分。



中皿ライス(880円)
餃子12個にライスと漬け物。

コレに味噌汁をつけると中皿定食となり1,010円と跳ね上がる。
ただ、この店は基本は単品でその組み合わせで変わるだけ。
だから、こう頼んだ方がお得とかそんなことはいっさいない。
餃子単品8個だけだと480円、1個あたり60円で、
12個の中皿は60×12=720円、16個の大皿は60×16=960円となる。
それに大中小ライスと味噌汁をどう組み合わせるか、それだけ。
簡単明瞭、実にわかりやすい店。
ただ、値上がりしたような気がする。
大学時代はもちろん消費税なんてなかったけれど、
その後、3%の消費税が導入されてメニューは1円単位となった。
5%になった時も1円単位の表示だったような・・・。
それが下一桁はキレイにゼロが並ぶ。
何がどうなったんだろ?

いや、もちろん餃子を前にそんなことを考えるバカではない。

まずは何も付けずに一口。
いやはやどうにも
相変わらず、豚肉主体の餡、下味の付け方もちょうどいい加減。
中華風なのでニンニクなんてものも入っていない。
そもそも水餃子なので、皮ももっちり。
やっぱりうまいなあ、ホントに。

この店にはラー油がなく、タレと辛子をつけて食べるスタイル。
タレを少しつけると、どうしてくれる?このウマさ。
辛子もちょっとだけつける。キッと引き締まる。
しっかり噛んで、しっかり味わう・・・
いや、ホントにごめんなさい、完食するのに30分もかかっちまった。
ただ、それだけウマかったってことで・・・。

やはり神保町はいい街だ、たとえスヰートポーヅと打てなくても。

DoaU437日目_Part3_靖国神社を上空から眺める

2010-05-12 16:58:06 | 歩道橋
前職にいたころの8月半ば。
早稲田通りを駆け抜ける、街宣車が、
だみ声でわめき散らしながら。
そして近くの朝鮮総連でごんごん吠えて、そこから巨大な神社へと向かう。
その神社は通常の神を祀っている訳ではない、
いわゆる戦没者である、だから街宣車が吠えるのだ。
ただでさえ蒸し暑い東京を、さらにうんざりさせるには十分なほど。

市谷本村町交差点から東へ進む。
市谷八幡町交差点で右から来た外堀通りと合流する。
市谷見附交差点まで100m、靖国通りと外堀通りの重複区間となる。
市谷見附で右に曲がる。



四ッ谷駅方面
外堀の左側を中央線が走り、右側を外堀通りが走る。
3月下旬からココは見事に淡いピンクに染まる、かなり素敵な所。
でも、今日は雨雲でグレーの水面。
おまけに、この辺りから雨脚が強くなる、参ったなあ、ホントに。



市ヶ谷駅方面
靖国通りからちょっとそれる。
一瞬、これが市谷見附跡?と思ったけれど、もちろん違う。



飯田橋方面
テレビ朝日「臨場」で内野聖陽が釣り糸を垂れるのがココ。
正面に法政大学の巨大タワー、明治とどっちがでかいんだろ?
左端に飯田橋に建設中の高層マンション。
昨年7月、元同僚が飛び降りた、もう1年近く経つのか・・・。



市ヶ谷駅
外堀を跨ぐ橋を渡ると右手にJR市ヶ谷駅。
直進すれば、日本テレビがあった場所を抜けて麹町へと。
しかし、靖国通りは左へと向かう。
ここまで新宿区だったけれど、ここから千代田区になる。

すぐすぐ左に外堀公園があるので一服。
するとそこにあった。



市ヶ谷御門橋台の石垣石
市谷見附に使われていたものらしい。
しかし、ほとんどは外堀通りの下に眠っているとのこと。
見附として残っているのは赤坂見附だけというのはホントらしい。

市谷見附から550mぐらい進む。



靖国神社外塀
ここから650mぐらいに渡って靖国神社がだーっと続く。
長いよなあ、ホントに。
ココから350mぐらい進む。



九段坂上交差点
南から走ってきた内堀通りが靖国通りとぶつかる交点である。
ここから450mは靖国通りと内堀通りの重複区間となる。

200m進むとようやく、本日3基目の歩道橋にようやくたどり着く。



田安門前歩道橋
片側3車線となった靖国通りを跨ぐ歩道橋。
階段はこちら側にストレート型が2脚、橋部から90度曲がったこちらへ1脚、
橋部からまっすぐと靖国神社方面へと階段がもう1脚。
向こう側はストレート型の階段だけれど、
その踊り場に折り返すようにもう1本付け加えたような変な階段が1脚。



北の丸公園方面
上ると早々に日本武道館のタマネギがこんにちは。
北の丸公園は環境省の管轄、写真を撮るのも環境省の許可が必要なんてある。
本気か?



新宿駅方面
右側には靖国神社の緑が広がる。
左側100m先を左に曲がった所が千鳥が淵、サクラの名所。



神田方面
右側手前、得体の知れない形をした建物は昭和館。
戦中・戦後の日本の生活を展示しているらしい。
厚生労働省所管だけれど、たぶん、いや確実に天下り先。
その奥に九段会館、けっこう素敵な佇まい。
その奥に千代田区役所がどかんと。

左側ひときわ高い建物は北の丸スクエア、ユニクロの本社がココに入っている。
その横に御茶ノ水の明治大学がそびえ立つ。

右側車線に下りて、200m進む。



名も無い交差点、ココで靖国通りと内堀通りの重複区間は終了。
内堀通りは南下する。
北上する道は、ココから目白通りとなり飯田橋を抜けて
関越の練馬入口まで行ける。
そんな地点なのに、交差点名がないなんてねえ。

首都高をくぐる、日本橋川にかかる俎橋を渡って。
もう神田神保町である。
向かい側にこんな建物。



こんな古びれた建物が神保町にはまだたくさん残っている。
かつて、好きな中華料理屋があったけれど、とっくに閉店。
この建物はどうなるんだろ?
この街の高層化が始まったのは、右上に見える専修大学のビルから。

このまま直進して神保町交差点まで。
新宿大ガード東から神保町まで約5,468m。
歩道橋は3基のみ。
1.4kmぐらいに1基の割合。
少ないけれど、まあこんなもんだ。

この先、浅草橋まで靖国通りは続くけれど、
14時過ぎには帰ってこい、そう携帯が叫ぶのは目に見えている。
もう13時20分過ぎ、昼ごはんを食べておこう。
ココは素敵な神保町、
キッチングラン
キッチンカロリー
いやいや、いやいや

DoaU437日目_Part2_市ヶ谷の空、20年前と今

2010-05-12 11:51:30 | 歩道橋
「3本の棒」を語ったアイソーポスの死から2000年たった日本、
中国地方を治めていた毛利元就。
三本の矢で知られているけれど、彼はそんなことは言っていない。
しかし3人の息子に三子教訓状という文書を書いたことは事実。
3人で毛利家を支えろ、そんな内容。
このことから、後世、三矢の教えとして作られたものだと言われている。

東富久歩道橋を靖国神社方向車線側に降りる。
この辺り15年前に、すでにおでん缶を売っている自販機があった。
しかし、おでん缶が一般化した今はもうない、どうなってんだ?

そのまま400m進むと住吉町交差点。



あけぼのばし通り
台場に移転する前、この道を進んで行くとフジテレビがあった、
それで、ここはフジテレビ通りと言われていた。
「通り」の上に見える巨大なタワーは、フジテレビ跡地に建つ、
仕分け対象のURのマンション。
CXはいなくなったけれど、さほど寂れた感じはしなかった。

そのまま左側を歩いて、坂を上って右に曲がる。
外苑東通りが靖国通りを跨ぐ曙橋へと向かう。



新宿駅方面
左側車線、車が止まっている所が住吉町交差点。
右側にかつてのフジテレビ通り、今のあけぼのばし通り。
左側に入ると、3本目の棒がいる。
名古屋出身のMM社のO社長は、何かにつけて名古屋に来た。
同級生は県会議員とヤクザ、無茶苦茶な組み合わせで飲みに行く。
1軒目は県会議員の馴染みの高級倶楽部、
2軒目も県会議員の馴染みの飲み屋。
そろそろ帰りませんか?ノドまで出てくる、
しかし、ヤクザに言えるか?
しょうがなく、そのままつきあう。
3軒目はヤクザが世話をしているフィリピンパブ。
しかし、だ。
3人とも寝ているのだ、がーがー。
朝6時、オレだって寝てえよ、でも1人、フィリピーナ3人と話す。
O社長には無理も言ったけれど、O社長の無理にもつきあった。
まあ、おあいこだ、そう思おう。



左側、ひときわ巨大な建物が防衛省、その手前に中央大学の市ヶ谷校舎。
右側には10階建てぐらいのビル・マンションが建ち並び、
いつ何時でも強風が吹き捲くるビル風の名所である、ここから先は。

降りる間際に南の新宿通り方面を見上げる。



バブルの塔
バブルの頃に建設が始まり、しかし資金調達が破綻。
建設は中断され、長らく放置され、誰が言ったかバブルの塔。
ただ、電気が付いているフロアがある。
近寄ってみるとタワーレジデンス四谷の文字。
いつの間にか完成していた、どんな人がいるんだろ?

この外苑東通りを南下すれば、四ッ谷三丁目を抜けて、
赤坂御用地の西端を抜けて246を跨いで、六本木交差点飯倉片町を抜け、
飯倉で桜田通りへと接続する。

また坂道を下って靖国通りへ復帰すると・・・。



合羽坂下交差点
何だよ、このカッパ。
合羽坂を下りきった所に設置されているベンチ。
いつできたんだろ?この辺りで働いていた時にあったっけ?

ちょっと行きたい所があるので、新宿方向車線へと渡る。
津の守坂を見上げながら、新宿区坂町に入って100mぐらい進む。



カフェリブ
けっしてウマくはない、カウンターぐらいでくつろげない。
しかし、困った時に昼ごはんを食べていた、そんな店。

そのまま200m進んで右に曲がる。

20年ぐらい前、職場があった所が曲がってすぐの所にある。
その手前。



台湾屋台 新台北
いや、こんな店ではなかった。
窓や外壁は一緒だけれど、こんな下品な黄色と赤の看板はなかった。

Berg und Fruend、和訳すれば山と友達、そんな名前。
LIVとは違ってこちらはまともな洋食を、何時でもごはんを喰わせてくれる、
そんな店だったけれど、いつの間にか閉店。
開いてたら食べたんだけどなあ、チキンピカタを。



坂町から靖国通り方面
オレが働いていた当時は防衛庁陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地。
三島由紀夫が割腹自殺した場所だった。
それが防衛省となり、巨大なビルが建つ。
あんなデカイ建物は見えなかった、だってなかったんだから。

右手のお弁当と抜かれた赤い幟はそもそも肉屋だった。
しかし、こぎれいになって弁当専門に変貌。
焼肉弁当が強烈な匂いで、職場で誰か1人でも食べていれば、
すぐに佐野屋の焼肉弁当だとわかるぐらい。

その向かいには酒屋があった。
やってらんねえな、そう思って自動販売機にビールを買いに行く。
途中から23時以降は買えなくなって、ぎりぎりに買いに行っていた。

その先に、楓庵という蕎麦屋は何も変わらない。
14時過ぎ、カメラマンとビールを飲みながら天麩羅をつついていたら、
総務部長に見つかった。
ほどほどにしとけよ
彼はそう言っただけでお咎めなし。
そんな会社だった。

もうちょっと進む。



四方菓子店
ロッテチョコレートと書かれたファサードは当時からぼろぼろ。
店内を猫がうろついていたから、猫屋と呼んでいた。
シャッターすらさびているから、もう何年も営業はしていないんだろうなあ。
ココで食玩を買って遊んでいた、もちろん会社で。

靖国通りに戻る。



レストラン朱鷺
20年前から変わっていない。
ココは当時としては高めの値段設定だったから、年中行ける店ではなかった。
しかし、ココに年中入り浸っていたのが、当時の取締役。
社長は本社にいたので、事実上のトップはここで毎晩、飲む。
日本酒を置くような店ではないのに、
日本酒を出せ!酔っぱらうと人が変わる彼に強要されて日本酒を置くようになる。
滅茶苦茶だ、ホントに。

ここから200m進むと市谷本村町交差点。
右に曲がって50mぐらい上がると、坂町から移転したあとの職場。
バラバラだった部署が初めて1カ所に集まったビルがある。
ココから北を見る。



防衛省正門
六本木から移転してきたのはもう10年前だけれど、
それ以前は陸上自衛隊の市ヶ谷駐屯地。
こんなにオープンではなく、自衛隊員が警備していた。
もちろん入ることはできない、春の花見と夏のお祭り以外は。

正門を眺めながらてけてけ進む。
市ヶ谷駅はもうすぐ。