きょう、何気なくチャンネルを回していたら、アメリカのハイスクールのものと思しきドラマをやっていた。
アメリカ人とは、よくもまあ、歌や踊りが好きで、テンションが高い人間の集まりだと思うわけだが、犬に柴犬やレトリバーやコリー犬などがいるのと同じように、人間にもいろんな種類があるのだろうと思える。冷静沈着でじっとしているのが平気な犬や、番犬に向いている犬、従順に人間のために働く犬、走り回るのが好きな犬など様々であり、それはその固体によるものもあるが、種類や環境などにもよるものも大きいだろう。人間もまた、人種や民族や育った環境(お国柄)などによって、いろんな特徴があるのだろうと思う。
そうすると、日本人はどちらかというと、あまり歌ったり踊ったりするテンションの高い部類ではないように思えた。
以前、私が日本語を教えていた欧米系外国人が、私に向って何かというと、リラックスリラックスなどといい、楽しくやろうよみたいな感じに言ってくるのだが、こっちとしては、リラックスなどしたくないわけで、リラックスすることが不快な感じさえ受ける。けじめをつけて落ち着いて真面目にやらなきゃいやなわけだ。そこからして、もう理解できない。
それで、アメリカのハイスクールのドラマをチラッと見て、思ったことに、その廊下の壁からして、赤い色に塗られていたりするため、妙に落ち着かない。これが、学校なのか?と思うほどである。そういえば、アメリカの高校生ってのは、「必死に勉強」なんかしているのかな?韓国などでは日本以上に受験勉強に必死になっている様な印象があるが、アメリカ人は楽しくやってるというイメージしかないのはなぜなのか?しかし、優秀なアメリカ人が多いから、決して勉強をしていないわけではないだろう。
アメリカの大学は、出るのは難しいが、入るのは難しくないという。そうは言っても、やはり高校でちゃんと基礎学力をつけているはずである。しかし、そのイメージが、日本のように苦しさを感じさせない。
「勉強が苦しい」と言うことで、真っ先にイメージするのが私の場合、「外国語」である。
日本人にとって「英語」はとても習得しにくく、何年も勉強しても英語を使いこなせる人間というのは少ない。英語に関しては、同じ東アジアの中国や韓国でもかなりの力を入れて勉強している。そして、「英語学習」というものは、どうしても「苦労して身につけるもの」、そして受験には「必要不可欠なもの」ということで、日本人に重い重圧をかけ続けている。
これが、自国の教育があまり発達していない発展途上国となると、英語で文明を取り入れ英語で教育をするという風な感じで、子どもの頃から英語の授業などを受け、意外にスムーズに自国の言葉と英語とを使い分け使いこなす国が多いようだ。また、ヨーロッパのほうの言語では、英語との共通点もあるので、比較的覚えやすいのだと言う。
アメリカのハイスクールの能天気な明るさっていうのは、日本人が英語を勉強するように、外国語を勉強しなくてもいいからではないか?などとさえ私には思えてきた。
だいたい、私の暗い高校生活は「英語の暗記」が主な原因で、暗い青春時代、コンプレックスの塊、も全てが「英語」から始まっているのだ。英語ができなくて毎日生きているのが苦しいなんて、それって何かすごく変じゃないだろうか?
アメリカ人って、外国語ができなくて、落ちこぼれになっている生徒なんかいるのかな?
外国語ができないがゆえに、大学に入れず、したい勉強もできない学生なんかいるのかな?
日本人が英語塾に通うように外国語の塾に通っている生徒がいるのか、そんなことないんじゃないか?
フランス語やドイツ語やスペイン語などやっているとしても、日本人が英語を勉強するよりも楽なんじゃないかな?
日本語っていうのは、外国人が習得するのに非常に難しいことばだそうだ。
初歩はまだいいが、上達すればするほど難しいのだという。
その原因のひとつに漢字がある。中国でも漢字だが、日本語の漢字は音読みだの訓読みだの特殊な読み方などがあって、外国人にとっては非常にわかりにくく、覚えにくいもので、勉強効率が悪い。だから、日本語教育に携る人には、日本語表記から漢字を無くすか、使い方をもっと単純化する必要があるという意見の人も多い。
日本で何年も暮す外国人でも、日本の新聞を日本人のように読むのは至難の業らしい。
たとえば仮に、もしアメリカ人が日本語を必須外国語にするとして、それができなければ高校にも大学にも入れないとしたら、アメリカ人はみんなノイローゼになり、劣等感の固まりになるかもしれない、などと空想する。
ところで、日本語教師の中には、漢字を単純化して日本語をやさしくし、もっと親しみのもてる国際語となるようにするべきだと考える人がいるが、逆に、日本語が簡単に習得できない言語であるために、日本社会は外国人に乗っ取られることがないという利点があるそうだ。
これは「国際特許」等を扱っているひとのブログを読んで「目からうろこ」だったのだが、日本人にとって英語がむずかしいとは言うものの、アメリカ人が日本語を学ぶのは、もっと困難なのだそうだ。
だから、日本語での特許明細書を書けるのは日本人に限るそうだ。それで、その分野に外国人が進出できなくなっているのだ。これが、アメリカの場合、英語での特許明細書を外国人が書くことが可能なのだそうだ。
日本語文書作成の仕事に限らず、外国人には複雑な日本語が充分に操れないということが原因で、日本社会においては、外国人が知的なことを扱う重要な仕事に簡単に入り込めないという現象があるといえるだろう。
そのようなことから考えると、日本語が外国人にとってわかりにくい言語であったのは悪いことばかりではないということになり、それを裏返した、日本人にとって外国語がわかりにくいという現象もしかたがないこととなるのかもしれない。
それにしても、外国語ができないことに呪縛されていなさそうな、のびのびとしたアメリカ人高校生がうらやましいかぎりだった。
アメリカ人とは、よくもまあ、歌や踊りが好きで、テンションが高い人間の集まりだと思うわけだが、犬に柴犬やレトリバーやコリー犬などがいるのと同じように、人間にもいろんな種類があるのだろうと思える。冷静沈着でじっとしているのが平気な犬や、番犬に向いている犬、従順に人間のために働く犬、走り回るのが好きな犬など様々であり、それはその固体によるものもあるが、種類や環境などにもよるものも大きいだろう。人間もまた、人種や民族や育った環境(お国柄)などによって、いろんな特徴があるのだろうと思う。
そうすると、日本人はどちらかというと、あまり歌ったり踊ったりするテンションの高い部類ではないように思えた。
以前、私が日本語を教えていた欧米系外国人が、私に向って何かというと、リラックスリラックスなどといい、楽しくやろうよみたいな感じに言ってくるのだが、こっちとしては、リラックスなどしたくないわけで、リラックスすることが不快な感じさえ受ける。けじめをつけて落ち着いて真面目にやらなきゃいやなわけだ。そこからして、もう理解できない。
それで、アメリカのハイスクールのドラマをチラッと見て、思ったことに、その廊下の壁からして、赤い色に塗られていたりするため、妙に落ち着かない。これが、学校なのか?と思うほどである。そういえば、アメリカの高校生ってのは、「必死に勉強」なんかしているのかな?韓国などでは日本以上に受験勉強に必死になっている様な印象があるが、アメリカ人は楽しくやってるというイメージしかないのはなぜなのか?しかし、優秀なアメリカ人が多いから、決して勉強をしていないわけではないだろう。
アメリカの大学は、出るのは難しいが、入るのは難しくないという。そうは言っても、やはり高校でちゃんと基礎学力をつけているはずである。しかし、そのイメージが、日本のように苦しさを感じさせない。
「勉強が苦しい」と言うことで、真っ先にイメージするのが私の場合、「外国語」である。
日本人にとって「英語」はとても習得しにくく、何年も勉強しても英語を使いこなせる人間というのは少ない。英語に関しては、同じ東アジアの中国や韓国でもかなりの力を入れて勉強している。そして、「英語学習」というものは、どうしても「苦労して身につけるもの」、そして受験には「必要不可欠なもの」ということで、日本人に重い重圧をかけ続けている。
これが、自国の教育があまり発達していない発展途上国となると、英語で文明を取り入れ英語で教育をするという風な感じで、子どもの頃から英語の授業などを受け、意外にスムーズに自国の言葉と英語とを使い分け使いこなす国が多いようだ。また、ヨーロッパのほうの言語では、英語との共通点もあるので、比較的覚えやすいのだと言う。
アメリカのハイスクールの能天気な明るさっていうのは、日本人が英語を勉強するように、外国語を勉強しなくてもいいからではないか?などとさえ私には思えてきた。
だいたい、私の暗い高校生活は「英語の暗記」が主な原因で、暗い青春時代、コンプレックスの塊、も全てが「英語」から始まっているのだ。英語ができなくて毎日生きているのが苦しいなんて、それって何かすごく変じゃないだろうか?
アメリカ人って、外国語ができなくて、落ちこぼれになっている生徒なんかいるのかな?
外国語ができないがゆえに、大学に入れず、したい勉強もできない学生なんかいるのかな?
日本人が英語塾に通うように外国語の塾に通っている生徒がいるのか、そんなことないんじゃないか?
フランス語やドイツ語やスペイン語などやっているとしても、日本人が英語を勉強するよりも楽なんじゃないかな?
日本語っていうのは、外国人が習得するのに非常に難しいことばだそうだ。
初歩はまだいいが、上達すればするほど難しいのだという。
その原因のひとつに漢字がある。中国でも漢字だが、日本語の漢字は音読みだの訓読みだの特殊な読み方などがあって、外国人にとっては非常にわかりにくく、覚えにくいもので、勉強効率が悪い。だから、日本語教育に携る人には、日本語表記から漢字を無くすか、使い方をもっと単純化する必要があるという意見の人も多い。
日本で何年も暮す外国人でも、日本の新聞を日本人のように読むのは至難の業らしい。
たとえば仮に、もしアメリカ人が日本語を必須外国語にするとして、それができなければ高校にも大学にも入れないとしたら、アメリカ人はみんなノイローゼになり、劣等感の固まりになるかもしれない、などと空想する。
ところで、日本語教師の中には、漢字を単純化して日本語をやさしくし、もっと親しみのもてる国際語となるようにするべきだと考える人がいるが、逆に、日本語が簡単に習得できない言語であるために、日本社会は外国人に乗っ取られることがないという利点があるそうだ。
これは「国際特許」等を扱っているひとのブログを読んで「目からうろこ」だったのだが、日本人にとって英語がむずかしいとは言うものの、アメリカ人が日本語を学ぶのは、もっと困難なのだそうだ。
だから、日本語での特許明細書を書けるのは日本人に限るそうだ。それで、その分野に外国人が進出できなくなっているのだ。これが、アメリカの場合、英語での特許明細書を外国人が書くことが可能なのだそうだ。
日本語文書作成の仕事に限らず、外国人には複雑な日本語が充分に操れないということが原因で、日本社会においては、外国人が知的なことを扱う重要な仕事に簡単に入り込めないという現象があるといえるだろう。
そのようなことから考えると、日本語が外国人にとってわかりにくい言語であったのは悪いことばかりではないということになり、それを裏返した、日本人にとって外国語がわかりにくいという現象もしかたがないこととなるのかもしれない。
それにしても、外国語ができないことに呪縛されていなさそうな、のびのびとしたアメリカ人高校生がうらやましいかぎりだった。