会津若松の高校3年生の男の子が、母親を殺害し、頭部と右腕を切断していたという事件には衝撃をうけた。
この母親は47歳であり、私と同じ年齢(学年は1つ下)である。3人の子供はうちの子たちよりも年少であるが、この高校生の長男はうちの次女より1学年下で、母子とも同じ世代といえる。
だから、そういう点では他人事ではないのだが、普通、母親が子供に殺され切断までされてしまうという状況は、まったく考えられない。
この子は中学までは明るくスポーツも勉強もできる評判の良い子であり、家庭も普通の全く問題のない家庭だったが、遠く離れた程度の高い高校に進学してからは、性格が内気になり、友達が1人もいなくなったという。子供だけでアパートに下宿するという状況も特殊な生活形態だった。
中学まで健やかに育ってきた少年が、なぜ自然の情愛を失ってしまったのか、理解に苦しむが、人間らしい心っていうのは以前あったからその後もあり続けるというものではなく、環境や時とともに失われてしまうものなのかもしれない。
母が小さいときから手塩にかけて育て、高校生になっても遠くから下宿に足を運び掃除や洗濯などし世話をやいても、それはまごころとして少年には伝わっていなかったのかもしれない。
毎日高校で人間的な感情の行き交うことのない生活を送るうちに、あたたかい感情が消えてしまったのかもしれない。
17歳というのは、確かに危険な年齢である。私も高校生のころ母親と姉には死んでもらいたいなどと思ったことがある。そして、自分も死のうと思ったわけだが、当然ながら実行に至るようなものではなかった。ただ、そのような考えがひらめいたことがあるというのは事実だ。自分が空気のような存在であり、将来性もなく、生きていても意味がないものであるのに対して、世間で評判がよく容姿もきれいだなどともてはやされている姉、その姉といつも意気投合して私を眼中に置かない母、母と姉のパワーが強すぎるというのは、非常に生きにくいのだった。だからと言っておだやかな父と急に懇意にしたり結束を組むことも考えられない状況だった。
また、アメリカで韓国人の男子学生が同じ大学のたくさんの大学生を銃で殺害した事件があったが、それも周りが得意げに幸せに生きているだけで、その姿を見るだけで殺意が沸いてくるというその気もちも、私にはわからないではない。
母殺害の高校生は、ゲームセンターなどで知り合った他校の生徒に、自分は高校で嫌がらせを受けているとか、いじめを受けているなどと言っていたようである。
学校側ではそのような事実はけっしてなかったということだが、同級生があつまって盛り上がったり、ただ単に楽しくやっているというだけで、その中に入れない者にとっては嫌がらせだとかいじめだとか思うことも確かにありうるだろうと思う。
この母親がとてもしっかりした人で、仕事もそつなくこなし、母親としても十分にやってきたということが、この事件を考える上で、「それなのにどうして?」から次第に「だからか!」という解釈に変わってきた。
つまり、母親が強すぎていて、優秀すぎていたのだ。母親のパワーが強すぎたのだろう。
中学2年でスポーツをやめ勉強に力を入れ、遠いエリート校に進学するという道を決めたのも母親だったらしい。この家では母親が教育熱心で一方父親の影は薄い。
立派な母親の期待に沿うことができない息子の行為だったのではないだろうか。その母親の、息子にとっては迷惑な立派さは、母親のよく機能する頭部とよく働く右腕が象徴していたような気がする。
親が子供を愛していないわけがなく、そのために息子の将来なども考えて育ててきたはずであるが、その愛情のかけ方や期待の仕方が息子にどのように伝わっていたのか。残念ながらそれが悲劇をまねいたとしか考えられない。
この息子は自分の人生がすでに破滅していることを感じ、母親を殺害したのだろう。
「殺すのは誰でもよかった」と言っているそうだが、つまり、人を殺して、進む当てのない自分の今の状況にも終止符を打ちたかったということだ。
この母親は47歳であり、私と同じ年齢(学年は1つ下)である。3人の子供はうちの子たちよりも年少であるが、この高校生の長男はうちの次女より1学年下で、母子とも同じ世代といえる。
だから、そういう点では他人事ではないのだが、普通、母親が子供に殺され切断までされてしまうという状況は、まったく考えられない。
この子は中学までは明るくスポーツも勉強もできる評判の良い子であり、家庭も普通の全く問題のない家庭だったが、遠く離れた程度の高い高校に進学してからは、性格が内気になり、友達が1人もいなくなったという。子供だけでアパートに下宿するという状況も特殊な生活形態だった。
中学まで健やかに育ってきた少年が、なぜ自然の情愛を失ってしまったのか、理解に苦しむが、人間らしい心っていうのは以前あったからその後もあり続けるというものではなく、環境や時とともに失われてしまうものなのかもしれない。
母が小さいときから手塩にかけて育て、高校生になっても遠くから下宿に足を運び掃除や洗濯などし世話をやいても、それはまごころとして少年には伝わっていなかったのかもしれない。
毎日高校で人間的な感情の行き交うことのない生活を送るうちに、あたたかい感情が消えてしまったのかもしれない。
17歳というのは、確かに危険な年齢である。私も高校生のころ母親と姉には死んでもらいたいなどと思ったことがある。そして、自分も死のうと思ったわけだが、当然ながら実行に至るようなものではなかった。ただ、そのような考えがひらめいたことがあるというのは事実だ。自分が空気のような存在であり、将来性もなく、生きていても意味がないものであるのに対して、世間で評判がよく容姿もきれいだなどともてはやされている姉、その姉といつも意気投合して私を眼中に置かない母、母と姉のパワーが強すぎるというのは、非常に生きにくいのだった。だからと言っておだやかな父と急に懇意にしたり結束を組むことも考えられない状況だった。
また、アメリカで韓国人の男子学生が同じ大学のたくさんの大学生を銃で殺害した事件があったが、それも周りが得意げに幸せに生きているだけで、その姿を見るだけで殺意が沸いてくるというその気もちも、私にはわからないではない。
母殺害の高校生は、ゲームセンターなどで知り合った他校の生徒に、自分は高校で嫌がらせを受けているとか、いじめを受けているなどと言っていたようである。
学校側ではそのような事実はけっしてなかったということだが、同級生があつまって盛り上がったり、ただ単に楽しくやっているというだけで、その中に入れない者にとっては嫌がらせだとかいじめだとか思うことも確かにありうるだろうと思う。
この母親がとてもしっかりした人で、仕事もそつなくこなし、母親としても十分にやってきたということが、この事件を考える上で、「それなのにどうして?」から次第に「だからか!」という解釈に変わってきた。
つまり、母親が強すぎていて、優秀すぎていたのだ。母親のパワーが強すぎたのだろう。
中学2年でスポーツをやめ勉強に力を入れ、遠いエリート校に進学するという道を決めたのも母親だったらしい。この家では母親が教育熱心で一方父親の影は薄い。
立派な母親の期待に沿うことができない息子の行為だったのではないだろうか。その母親の、息子にとっては迷惑な立派さは、母親のよく機能する頭部とよく働く右腕が象徴していたような気がする。
親が子供を愛していないわけがなく、そのために息子の将来なども考えて育ててきたはずであるが、その愛情のかけ方や期待の仕方が息子にどのように伝わっていたのか。残念ながらそれが悲劇をまねいたとしか考えられない。
この息子は自分の人生がすでに破滅していることを感じ、母親を殺害したのだろう。
「殺すのは誰でもよかった」と言っているそうだが、つまり、人を殺して、進む当てのない自分の今の状況にも終止符を打ちたかったということだ。