無料でチケットが手に入ったので、この映画を見に行きました。
戦争映画ということで、あまり乗り気ではなかったのですが、見てよかったと思いました。
戦争を描いた映画やドラマは他にも何度も見たことはありますが、ただ凄まじかった悲惨だったという印象だけが残ったことが多かったと思います。
でも、この映画は、もっと精神的な捉え方ができたように思いました。
それは、この映画の脚本・総指揮をしている石原慎太郎氏の捕らえ方なのかもしれませんが、その捕らえ方を、靖国神社参拝でもめている今だからこそ、示してくれたのはよかったと思いました。
* * *
戦争はもう負けることはわかっていた。それでも、軍の上部は負け方にこだわった。本土上陸を少しでも引き延ばし、戦えるだけ戦い、日本人の気骨を示して負けたかった。
それが、東洋の一国としてのプライドだったのだろうか。そのためには、若い特攻隊が戦闘機で自ら敵船に突っ込んでともに撃沈するという方法しかなかった。それで、たくさんの貴重な命が犠牲になってしまった。その人たちは、お国(日本政府・軍)のために死んだのだろうか、しかたなく命令に従ったのだろうか。
いや、その国に住む、家族や恋人を守るために死んだということでなければ、思い切りはつかないだろう。
戦後、あの戦争は間違いであり、特攻隊は無駄死にをしたという考え方がされた。
実際、敵に体当たりできた戦闘機は少なく、悪天候や機械の不調で途中で墜落したり、敵に打ち落とされたり、標的を外れ単に海中に突っ込んだりして命を落とした者が多かったので、戦略としてのみ考えたとしても効果は薄かった。
そのようなことに若い貴重な命を失わせたことは非常に愚かで悲しく残念なことだ。
一方、生きてもどったごくわずかな人たちは死に損ないの卑怯者のように扱われ、自らも生き残った自分を責め、戦後は苦悩を背負って生きることにもなった。
* * *
靖国神社にはA級戦犯が合祀されているために、参拝することが非難され、中国や韓国のみならず国内でも反対する人が多い。たしかに、あんなにたくさんの犠牲者を出した戦争自体が間違っていたと思うし、責任者の罪は重い。
しかし、だからといって靖国神社自体の存在も否定すべきものだろうか。
あの時代、日本を守るために罪のない兵隊が戦い、死んでいったのは確かだ。その人たちは、命をかけて日本の人々を守ろうとしたのだ。
今、平和な国があるのも、そういう人たちの犠牲が踏み台になっているのだ。
職務を全うしたら霊となって靖国に集合すると約束して出撃したことは間違いないようだ。もし、霊があるとしたら、とにかく上官の命令どおり靖国に戻っただろう。その後、解散して故郷に帰るかもしれないが、ともかくは靖国という示し合わせだったわけだ。生きて還れないことがわかっていたので、死んだ後まで職務が続いていたということだ。
靖国神社の趣旨が戦死者を「追悼する」よりも「英霊を顕彰する」という精神が強いのはなぜなのか、初めて理解できたように思う。命をかけて任務を全うし、死後もその続きで靖国に戻ってきた霊に対し、「追悼」では気持ちが足りないだろう。
そして、ずいぶんと若い青年がたくさん祀られているのだなということを再認識した。そういう犠牲の元に今の国体があるといえるだろう。
だから、小泉元総理が、断固として靖国を参拝したのはよく理解できる。A級戦犯についてはいろいろな考え方があるが、A級戦犯が合祀されているということで、他の戦死者の霊にも手を合わせることができないというのはおかしい。
国のために死んで行った者に対してその国の者が感謝や追悼することに対して、他国がとやかく言うことではない。
おそらく中国や韓国では、多くの罪のない戦死者のことは考えず、A級戦犯を崇拝しているというような極端な受け取り方で猛反対しているのではないかと思う。そして、日本の国旗を燃やしたりして抗議する多くの若者などは、靖国神社にどういう人々が祀られているかなんて深く知りはせず、単なる反日感情のみで動いていることも多いのではなかろうか。
この映画は外国の人にも見てもらいたいものである。
最後にB’zの歌が流れた。普通に聴いていると普通の歌だが、この歌詞が特攻隊の人の言葉としても受け取れるのが心にしみた。
この映画は、けっして戦争肯定でもなく、軍国主義でもない。また、単なる戦争悲観では終わっていない。特攻隊として散っていった普通の青年たちの心を焦点にした作品であり、その人たちの心を、私たちが今どうやって生かして生きていったらよいかを訴えるものだと思う。私たちは、この平和な世の中で、もっとすべてのことを大切に生きなくてはいけないと感じた。家族や身近な人を思いやり大切にするということもその1つである。
今の日本は、外国と戦争をすることはないものの、敵は自分たちの社会の内部にいる。
凶悪犯もいるし、また、環境破壊の要因や、新型のウィルス、精神力の腐敗や低下など、さまざまな「敵」と命を懸けて戦わなければならないときが来るかもしれない。
だから、少なくとも戦争のない平和に感謝し、もっと大切なことに目をむけて、しっかりと生きていかなくてはならないと感じた。
戦争映画ということで、あまり乗り気ではなかったのですが、見てよかったと思いました。
戦争を描いた映画やドラマは他にも何度も見たことはありますが、ただ凄まじかった悲惨だったという印象だけが残ったことが多かったと思います。
でも、この映画は、もっと精神的な捉え方ができたように思いました。
それは、この映画の脚本・総指揮をしている石原慎太郎氏の捕らえ方なのかもしれませんが、その捕らえ方を、靖国神社参拝でもめている今だからこそ、示してくれたのはよかったと思いました。
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戦争はもう負けることはわかっていた。それでも、軍の上部は負け方にこだわった。本土上陸を少しでも引き延ばし、戦えるだけ戦い、日本人の気骨を示して負けたかった。
それが、東洋の一国としてのプライドだったのだろうか。そのためには、若い特攻隊が戦闘機で自ら敵船に突っ込んでともに撃沈するという方法しかなかった。それで、たくさんの貴重な命が犠牲になってしまった。その人たちは、お国(日本政府・軍)のために死んだのだろうか、しかたなく命令に従ったのだろうか。
いや、その国に住む、家族や恋人を守るために死んだということでなければ、思い切りはつかないだろう。
戦後、あの戦争は間違いであり、特攻隊は無駄死にをしたという考え方がされた。
実際、敵に体当たりできた戦闘機は少なく、悪天候や機械の不調で途中で墜落したり、敵に打ち落とされたり、標的を外れ単に海中に突っ込んだりして命を落とした者が多かったので、戦略としてのみ考えたとしても効果は薄かった。
そのようなことに若い貴重な命を失わせたことは非常に愚かで悲しく残念なことだ。
一方、生きてもどったごくわずかな人たちは死に損ないの卑怯者のように扱われ、自らも生き残った自分を責め、戦後は苦悩を背負って生きることにもなった。
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靖国神社にはA級戦犯が合祀されているために、参拝することが非難され、中国や韓国のみならず国内でも反対する人が多い。たしかに、あんなにたくさんの犠牲者を出した戦争自体が間違っていたと思うし、責任者の罪は重い。
しかし、だからといって靖国神社自体の存在も否定すべきものだろうか。
あの時代、日本を守るために罪のない兵隊が戦い、死んでいったのは確かだ。その人たちは、命をかけて日本の人々を守ろうとしたのだ。
今、平和な国があるのも、そういう人たちの犠牲が踏み台になっているのだ。
職務を全うしたら霊となって靖国に集合すると約束して出撃したことは間違いないようだ。もし、霊があるとしたら、とにかく上官の命令どおり靖国に戻っただろう。その後、解散して故郷に帰るかもしれないが、ともかくは靖国という示し合わせだったわけだ。生きて還れないことがわかっていたので、死んだ後まで職務が続いていたということだ。
靖国神社の趣旨が戦死者を「追悼する」よりも「英霊を顕彰する」という精神が強いのはなぜなのか、初めて理解できたように思う。命をかけて任務を全うし、死後もその続きで靖国に戻ってきた霊に対し、「追悼」では気持ちが足りないだろう。
そして、ずいぶんと若い青年がたくさん祀られているのだなということを再認識した。そういう犠牲の元に今の国体があるといえるだろう。
だから、小泉元総理が、断固として靖国を参拝したのはよく理解できる。A級戦犯についてはいろいろな考え方があるが、A級戦犯が合祀されているということで、他の戦死者の霊にも手を合わせることができないというのはおかしい。
国のために死んで行った者に対してその国の者が感謝や追悼することに対して、他国がとやかく言うことではない。
おそらく中国や韓国では、多くの罪のない戦死者のことは考えず、A級戦犯を崇拝しているというような極端な受け取り方で猛反対しているのではないかと思う。そして、日本の国旗を燃やしたりして抗議する多くの若者などは、靖国神社にどういう人々が祀られているかなんて深く知りはせず、単なる反日感情のみで動いていることも多いのではなかろうか。
この映画は外国の人にも見てもらいたいものである。
最後にB’zの歌が流れた。普通に聴いていると普通の歌だが、この歌詞が特攻隊の人の言葉としても受け取れるのが心にしみた。
この映画は、けっして戦争肯定でもなく、軍国主義でもない。また、単なる戦争悲観では終わっていない。特攻隊として散っていった普通の青年たちの心を焦点にした作品であり、その人たちの心を、私たちが今どうやって生かして生きていったらよいかを訴えるものだと思う。私たちは、この平和な世の中で、もっとすべてのことを大切に生きなくてはいけないと感じた。家族や身近な人を思いやり大切にするということもその1つである。
今の日本は、外国と戦争をすることはないものの、敵は自分たちの社会の内部にいる。
凶悪犯もいるし、また、環境破壊の要因や、新型のウィルス、精神力の腐敗や低下など、さまざまな「敵」と命を懸けて戦わなければならないときが来るかもしれない。
だから、少なくとも戦争のない平和に感謝し、もっと大切なことに目をむけて、しっかりと生きていかなくてはならないと感じた。