山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

お神輿に乗る人間!

2007-05-21 23:39:06 | 未分類過去
みこしに乗った男を逮捕 浅草神社の三社祭で(共同通信) - goo ニュース

キリスト教、仏教と来て、今日はたまたま神道のことを書きます。
神道は日本人にとって、さらに宗教というよりも、文化・風習のようなものになりますね。
宗教というのは、創始者がいて、経典などがあるもの言うそうですが、神道はそういうものがないので、宗教以前に根付いているものといえるでしょう。

それで、今日問題になったのは、「お神輿の上に乗る人間」です。
物理的に困るのは、かつぎ棒が折れるということですが、それ以前に問題なのは、神が乗るものと同じ位置に人間が乗っているということです。昨今は、他人に対する尊重も敬意も何もない世の中ですが、神に対しても同様であり、もはや神に対する畏怖、人間が近寄れない聖域などというものは無くなってしまったことを顕著に現しています。
テレビで映像を見ると、今回、警察や神社の忠告を守らず御神輿に乗っていた人は、腕や足に刺青のあるガラの悪い人たちでした。お神輿の上に乗ると目立って気持ちがいいのだなどとほざいていましたが、見ているほうは気分が悪くなります。迷惑な話です。あんな醜い刺青の男たちが乗っていたら、お祭も興ざめです。外国人にも恥ずかしくて見せられたものではありません。日本文化ももうめちゃくちゃです。あんな男たちを乗せてわっしょいわっしょいしていたら、もうバカをあげ奉っているということです。こんなことが続くようなら、もう御神輿は出さないほうがいいということになるでしょう。
おとなしく、警察に連行されていったようなので、とりあえずはおさまったようですが、日本の常識もここまで堕落したかと思います。

ところで、私が初めて疑問に思ったのは、1~2年前の別の祭での光景でした。
それは、確か吉祥寺だったと思いますが、たまたま買い物に行った時に祭をやっていてお神輿が出ていました。そのお神輿の上に小学生くらいの男の子が乗っていて、大人がお神輿をかついで動いていました。男の子はお神輿の上のまん前に立ち得意げに指揮をとるようなしぐさをしていました。
これを見たとき、非常な違和感にとらわれました。なんで、子供がお神輿に乗っているのだろう!!!と。このガキは神様じゃなかろうに・・・。
しかし、周りの大人はそれを当然のようにしていたのです。
私の感覚がおかしいのかな?と思ったのですが、今回やはりそこは神の位置であるという見解に私の感覚がおかしくなかったことを知りほっとしました。

私は信仰心があるほうでもなく、どちらかというと、神も仏も信じないほうです。
しかし、人間がそういう霊的なものに畏怖の念をなくしたらいけないと思うのです。
それは、昔から秩序を作ってきたものでしょう。悪いことをしたら罰があたるとか、人が見ていなくても神様が見ているなどということで、人間の利己心や貪欲さを抑える役割があったとも思います。

聖書の教えから行くと、天地を創造された神は唯一であり、八百万の神を認めていません。八百万の神は偽りの神ということになります。あるいは、人間が勝手に作り上げた神であるということでしょう。
しかし、そのような神・仏であっても、それを敬い教えを守るという姿勢があった昔はまだ今よりはマシだったような気がします。
コメント

法事

2007-05-21 00:15:19 | 未分類過去
父の25回忌に行ってきました。
先日は聖書の言葉を書きましたが、私の宗教は仏教であり、曹洞宗です。
それは、父が亡くなったときにお寺の檀家になったときからのものです。
日本での仏教行事は、もはや宗教というよりも、文化や習慣というものになって生活の中に溶け込んでいるので、そういう人々が、それを捨てて急にイエス・キリストを信仰することはかなり難しいことです。やはり聖書の教えよりも仏教のほうが自然になじんで受け入れられるような気がします。

仏教でも平和を愛し、家族を大切にするような教えがあります。また、法事という機会に、家族が揃うということができるし、生命について考えることができます。
父が亡くなって24年。父の死後に生まれた孫たちも無事に大きく成長しました。
この24年間、もし父が生きていてくれたなら、母ももっと心強く楽しく暮らせたことでしょう。孫たちもおじいちゃんとすごす楽しい体験ができたことでしょう。
でも、父がいなくても、みんな元気に生きてきました。
いなきゃいないで、それなりにやってきました。
じゃあ、父はいなくても支障はなかったってことなんだろうかと、お経を聞きながらふと考えました。父はただ自分自身がこの世に居続けることができなくなり、父自身の楽しみがなくなり、父自身が60代以降の人生を経験することができなかったということは、大きな喪失でした。
一方、残された私たちには、父がいなくなっても楽しみがなくなったわけではありませんでした。でも、それはやはり生前の父の存在があったおかげに違いないと思います。
それは、亡くなった父が、安定した家庭を築き、ちゃんとした土台を据えていてくれたからだと思います。そして、父についての健全な記憶が私たちに残っているからでしょう。
おじいちゃんを知らない孫たちも、親から聞くおじいちゃん像を描いて大きくなってきたのでしょう。
母と姉と私の心の支えになっていたことは言うまでもありません。

24年間、未亡人として強く生きてきた母の苦労も労いたいし、24年間みんなの記憶の中で生き続けてきた父には、生きていた場合と同じくらい感謝したいと思います。

これからも、母を始め家族が健康で平和に暮らせるように留意したいと思います。
コメント (2)